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もう私は闘えない


一ヶ月前の武道場での一件をきっかけに剣道部部長代理を任せていた剣道部でたった一人の二年生部員である夏希が学校に登校しなくなってしまう。暫くは部長不在のまま部活を行っていたが、あまりのまとまりの無さに部員皆違和感を覚え始める。そこで大会まで残りわずかとなったある日、三年生が部活にはまとめる役割が必要不可欠だと声を大にして改めて提案する。どう新部長代理を決めるべきか悩んだ末、三年生が一年生部員の中から多数決で決めるということに。新たに部長代理となったのは宮島唯だったが彼女には性格上ある問題があった。


大会当日となった朝はいつもと変わらない日常そのものであった。母に早朝5時に起こしてもらい、眠気覚ましに近所をジョギングする。ただいつもと違う事が一つ。これまで毎朝母親にお弁当を作ってもらっていたがこの日はない。新部長となった数日後、唯が剣道部の全部員を招集した。彼女が口を開いた瞬間、恐らく部員皆手に汗握ったと思われる。なんと唯が皆のお弁当を作ってくると言い出したのである。新部長となってその決意を表したいという事なのだろうと察したが、唯の凛とした瞳から伝わってくるものからしてそうではないらしい。どうやら本気なのである。部員達はほぼ同時に息をのんだが剣道部は一年から三年までで9名いる。それを一日でやると意気込む。流石に却下しようとしたが、あの時の唯の内に秘めた熱い気持ちには誰一人口出す人はいなかった。これが新部長就任後の初仕事である。


9時から試合が始まる為、会場までの移動時間を考慮して7時に学校の校門前に集合した。移動は剣道部の顧問である高橋先生と高橋先生の奥さんがそれぞれ運転する普通自動車2台でそれぞれ向かう。剣道部の活動はとても厳しいが移動中の車内は等身大である10代青春真っただ中な少女たちの会話が繰り広げられていた。試合を行う会場に向かう途中、海が見える道路を走る。高校生最後の大会で希望に満ちる9名の"選手達"は海の美しさに背中を押されたからなのか、まるで自分たちの目を覚まさせるようにそれぞれ両手で自身の頬を三回程軽く叩いた。3時間の長い道のりの末会場へ到着すると試合会場の前には沢山の報道関係者達が今か今かと待ち切れんばかりに出場学校の選手達が到着するのを心待ちしている。私達が乗る車の直ぐ隣には2台の大型観光バスが存在感を際立たせていた。私達が試合を行う道場へ入ろうとするやいなや待機していた報道陣がこちらへとカメラのレンズとマイクを向ける。しかしどうやら報道関係者達はこれから戦う強豪校と勘違いをしていたらしい。洗礼というものだろう。幸先良いスタートは切れなかったが、こう見えても私たちの学校はこれから県大会の決勝に臨むのである。


試合する相手高校は数年前まで弱小高校とまで世間から非難された学校であるが、ある時から顧問の先生が変わったという噂を聞く。その理由までは謎に包まれているが知る由も無い。私達は相手がどんな選手であれ倒すのみなのだから。しかしそんな高校がまさか県大会にまで上り詰めて来るとは予想だにしなかった。私達の顧問である高橋先生は道場に入るなり口数が極端に減っている事が気になった。すると高橋先生は緊張する部員の肩にそっと手を乗せ何か言おうとするが先生のその手は震えていた。先生の状態を見兼ねてなのか代わるように奥さんが気持ちを代弁する。


「先生だって怖いのよ。だって教え子だった子達と戦わなくてはいけないのだから・・・」


そう先生を労わるように話すが私達部員にそんな事実は今まで話さなかった。何かモヤモヤしたような気持ちになったが、ふわふわしていた点と点が一つに繋がったのである。要するに"ある時から顧問が変わった"と聞いていたがその変えられた顧問の先生が今私達の顧問をしている高橋先生なのだ。だが、これから試合の為それ以上の事は考えるのを止めた。今思えばそれ程気持ちに余裕がなかったのである。


「それまで!」


私達の前の試合が終わった。試合会場である市営体育館に甲高く笛の音が鳴り響くと共に男性審判の野太い声で数秒もの間、一体は静けさに包まれた。静けさから伝わってくるものの正体はすぐに分かった。胸の鼓動が時間が経つにつれて早くなる。私達しか出来ない己との闘いが始まった。


「神条高校、成海郁実!」

「峯田高校、向田樹!」


お互いの名前が呼ばれると持っている竹刀を構えるが突然頭に頭痛が走った。原因は分からないが、私は幼い頃から一度も頭痛に悩まされた事がない。不思議な現象と共に試合開始の合図に注目した。試合が始まって1分くらい経過したであろう。またも身体に違和感があった。竹刀を構える腕が震えているのである。


大会を2日前に控えたある日、しばらく登校していなかった二年生部員である夏希から一件のメールが届いたのだ。数日もの間、顔を見ていなかった為、心のどこかで心配をしていたが彼女の突然の告白には頭が真っ白になってしまった。その内容とは2ヶ月前に私の両親が目撃したピエロの正体は夏希であると言い出したのである。しかもそのピエロは今、私の頭の中に住みついているという。最初に聞いた時、混乱と心配が混ざったどうしようもない気持ちに浸された。動揺からか彼女から送られてきたメールには返信出来ないでいた。


ピエロがもし本当に私の頭の中にいるのであれば何かしらの症状が出るであろうと考えていたことをふと思い出した。その症状が今の頭痛である事は言うまでもない。相手校である神条高校の選手は手数が多く、一本一本を確実に決めようと慎重に狙ってくる。私はその攻撃から身を守る事で精一杯である。この痛みが消えるまでは。


「先輩!!負けないで下さい!」


私の様子を見兼ねてだろうか後ろからどこか安心する声が聞こえてきた。そうだ、私はまだ負けていない。頭の痛みで勝負を投げ捨ててしまっていた自分の気持ちを震え立たせるよう言い聞かせた。後ろの観客席から応援している後輩に向けて右手でVサインをするとその途端、先程まで震えていた腕の震えが消えていった。改めて相手選手の方に意識を集中させ、捨て身の覚悟で向かっていった。あの声は脳裏に今でも記憶として刻まれている。


結果、私は負けてしまった。敗因は言うまでもない。ただ一つ言えることがある。それは私が数ヶ月もの間、見てきた後輩達はもう私達の知らない選手になっていたという事である。


「先輩、大丈夫です!次、私が取り返しますから!」


あの言葉には思わず涙が出てきた。試合に負けた悔しさもあるがこれは違う。何かに胸が締め付けられる痛みから言い表せない温かさに身体中が包まれるのだ。流れる涙は嬉し涙。


「君の言葉に私は背中を押された、強くなったね・・・」


この喜びが次の試合も続けば良いのだが運命の神様というものは、どうやらそうはさせてくれないらしい。


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