ピエロが泣いた!
午前から始まった試合も徐々に勝敗が最も左右される試合へと向かっていく。双方の高校への声援も絶え間なく飛び交う。先程の試合で私は負けた。そして次は後輩の一人であり部長を任された宮島唯が立つ。こちらの高校は負けてしまった私を励まそうと輪になって囲むが、次の試合に出場する唯が気が気でならないでいた。
唯と出会ったのはまだ今年の春のこと。新入生として県立峯田高等学校へと入学して来た。初めて彼女と話したのは桜の木を学校の敷地内に植える植樹祭であった。植樹祭とは私達の高校が3年に一度行う春の訪れを感じられるイベントで毎回そのイベントでは最高学年である高校三年生が一人代表として桜の木を植樹する。植樹する代表生徒は生徒会から指定されたクラスの中から選ばれる。そして私が立候補した訳でもなく選ばれた。植樹祭では桜の木の植樹のみならず学園祭の様な学生が出店する出店も学園内に立ち並ぶ。植樹の際、代表として教頭先生から名前を紹介される。私には3つ上の姉がいる。その姉が当時、教員だった現教頭先生の教え子な為か廊下ですれ違う度いつも姉と比較される。姉は学力も優秀でスポーツも万能。まるでアニメで良くある完璧設定されたような女性だ。姉妹とはどうしてこうなる運命なのかと頭を悩まされる。
話は逸れるが、唯とは先程の植樹祭で私たちのクラスが出店した出店に彼女の友達と買いに来てくれた事からが始まりだった。私のクラスの出店は金魚すくい。繰り返し言うが金魚すくいである。これを聞いて植樹祭と関連付けられた人はいない。しかし唯はそんな私たちのお店に立ち寄り、物欲しそうな目で金魚がいるビニールプールを示そうとするが彼女の口から出た言葉には思わず拍子抜けしてしまった。何故ならば、唯から放たれた第一声は"金魚って何食べるのですか?"だったからである。思わず彼女を前に笑い声を上げてしまったが不思議と安心感を得られた。というのも私が他学年の生徒たちから話し掛けられるのは姉の話題でしか無いからである。すると唯は困惑したような表情を浮かべ友達と顔を突き合わせ笑いの意味を問うが、その答えはこちらしか知る由も無く何ともその姿が愛くるしくも思えてしまった。その後、唯は一人黙り込んでしまい私たちは彼女と一緒に居た友達といわゆるガールズトークを展開していた。しかし私の頭には彼女の何とも言葉に表せない"あの表情"が気が気でならなかった。それは私の笑うという反応が唯を傷つけてしまったのではないかといった後悔の念が強かったからである。けれど私の予想は大きく外れた。後日当時を振り返ると、どうやら会話に入るタイミングを伺っていただけであり全然気にしていないというので安堵する。そして前述のように本校では出店を周る前、それぞれの学年代表がスピーチを行う。唯は私の拙いスピーチを聞いていたらしく閉じていた口を数分振りに開くと"あの、先輩って・・・剣道部で強いのですよね!"と余りに真っすぐな瞳で言われるのだから鼻が高い。だが私は彼女のグッと握ってできた拳の震えを見逃さず話を続ける。
「聞いてたんだ、私のスピーチ・・・ちゃんと伝わったかな?」私は照れ隠しのつもりで頭を二度程軽く搔く仕草をしながら返答する。「はい!とても!・・・それでですね・・・」急に改まった口調へとなり、もじもじと自身なさげに切り出す。"私も剣道部に入部したら強くなれますか?" 私は開口一番に言おうと思った。部活に入っただけでは強くなれないという現実を。しかし必死に自身の意志を伝えようとする姿に押され「それは入ってみないと分からないよ?」と濁す発言に留まった。
「では・・・私を。私を是非剣道部に入部させて頂けませんでしょうか!!」
この瞬間だけは植樹祭だという感覚が無くなり何故か恥ずかしい気持ちに包まれたのである。というのも他学年、他クラスの出店を周ろうと道行く沢山の方々がこちらの一点を見つめ足を止めるのだから。これでは公開プロポーズになってしまう。そもそも公開プロポーズとは一体どんなものなのか?と脳内にて自問自答するが、その問い掛けには誰からも返答はない。私は彼女のやる気にスイッチを押され急遽、植樹祭の後に少し時間を作れないかと提案した。入部というものは一部員の私だけでは決められないものだからである。その提案に一瞬、驚きながらも顎に人差し指を触れ、青空の下に舞う桜の花びらを眺めるかのように空に視線を向ける。きっと予定を思い出していたのであろう。女性ながらにその仕草には何処か愛おしさをも抱いてしまう。どうやらその日は母親から買い物を頼まれていたらしいので用件を手短に済ませるからという条件で承諾を得ることが出来た。早速、手順を進めようと個々に招集を呼び掛けようとするが"この子"の親の事を考えると部長に連絡を取り植樹祭が終了した後、武道場に全部員を集めてもらえないか交渉に入る。招集された理由は集まった際に切り出すとして校内行事が閉幕するや否や彼女と事前に待ち合わせ場所として決めていた一年生の下駄箱に向かった。私が"その子"に駆け寄ると静かに微笑み軽く会釈をする。彼女の律儀さは会って間もないが十二分に分かった。それにしても互いに未だ自己紹介をしていない。この子が唯一、知っている私の情報は最高学年である事そして剣道部の一部員である事だけだろう。招集をかけてもらった武道場まで若干、早歩きで向かいながらも私とのツーショットといった馴れない環境に緊張しているのは彼女の俯き加減から読み取れる。少しでも重く肩にのしかかる沈黙を払うべく話題を切り出そうとするが頭が真っ白になってしまう。フォローしようとしているのか彼女の口から咄嗟に「・・・先輩の家庭って、何人暮らしですか?」といった一つ返しで終わってしまう一杯一杯の何とも可愛らしい奮闘が見れた所で武道場に到着する。今思えば、もっとこの問いに向き合えていれば良かったと後に後悔を覚えた。
そんな唯が今や11名もの部員をまとめようと奮闘しているのだから"若さ"とは末恐ろしい。あの頃の唯は瞬時に抱いた熱量だけで突破口を見つけようと必死になり過ぎて後先が考えられず空回りの日々を過ごしていた。でも今、そんな彼女は目の前で私に背中を向け静かに"その瞬間"を待つ。まるで、その背中は「唯の背中を押してあげて」と言わんばかりに大きく見えた。あの後、武道場で部員皆の前で本人から入部の意志を伝えると誰が誘った訳でもない自然な拍手が天井に反響したのが記憶に新しい。唯は剣道初心者だった為、一から私を含む3年が時には厳しく時には優しく徹底した教えを伝授したつもりである。
審判が私の時同様、互いの出場高校名と選手名をアナウンスする。呼ばれるや否や部員は"頑張れ"と自らの両手をグッと握りエールを送る中、私は誰もしなかった唯の背中を「ポンッ」と若干強めに押しつつ「思いっきりいってきな!」と勢い任せのエールで見送った。唯はそれに対し「クシャッ」とした笑顔を作りつつ、その目から涙が一直線に流れるのが見え、思わず「え!?」と口をOの字に開けたまま彼女から発せられるであろう次の言葉に耳を傾けていると彼女は一言「あの、私、先輩の・・・!」痺れを切らしてなのか「早く出て下さい!」と急かされ会話が強制的に中断された。唯には申し訳ないが、それからは試合に集中できず、あの言葉の続きを直ぐにでも聞きたくなってしまい竹刀と竹刀がぶつかり合う音の中で私は時計の秒針に早く進めと願い続けた。
結果、破れてしまった。敗因は峯田高校サイドの違反行為だと指摘される。もっと言えば唯が何らかの禁止されている行為を試合の最中、行ったと思われる。試合の終了を合図する審判の声が相手高校の歓喜する歓声と重なる。負けてしまった峯田高校の客席に目を向けると誰一人、席を立たず悟るように拍手が贈られ、相手高校の選手そして相手高校を応援する観客たちも温かい空気からか拍手をもらった。唯はその場に立ちすくんだ状態で未だこちらと目が合わない。タオルを渡そうと駆け寄ると部員皆、開口一番「お疲れ!」「頑張ったね!」の称賛で溢れた。どんな負け方をしようが彼女を責める者はいなかったことに安堵する。勿論、私自身も敗北を期した訳だが責められる事は無かったのだから当然とも言える。彼女は仲間たちから掛けられる一言一言を受け止めるように頷き続け、ここぞというタイミングで別人格みたく話し始めた。
「私なんです。先輩。一ヶ月前、家に上がったの・・・」
その瞳は明らかに私の居る方向へと向けられている。唯は一度足りと私の名前を「先輩」としか呼ばれたことがない。最初は動揺しつつ話を聞いていたが確信を突く言葉は次々と息つく間もなく連ねる。要するにあの日、私たち家族の前に現れたピエロの正体は疑っていた二年生の夏希ではなく代理部長である宮島唯であると聞く。私たちの会話から作り出される物々しい雰囲気に観客も耳を傾ける。これ以上、事を大きくされたくないので咄嗟に後の決勝を残し会場を離れるという苦しい決断をしなくてはならないと思った。正直、この件は私たち家族と宮島唯だけの問題。関係の無い剣道部顧問の 先生や同じ剣道部の仲間たちに合わせる顔がない。そして詫びる言葉しか出て来ない。会場を離れるといった表現は表向きであって実際には棄権。試合を放棄したのだ。私のせいで。
皆には私と唯、二人だけで話す時間をもらえないか頭を下げた。すると下げた頭にポンッとそっと触れ、訳も分からず撫でられると「負けたのは樹だけのせいじゃない。私たち剣道部の部員全員が気持ちで負けていたよ。」思わず流すまいとしていた涙は頬をつたわず夏の熱さに焼かれたアスファルトへと証拠を残さぬよう何滴も零れ落ちた。




