第2話 リヒトとランガ
廃都市をリヒトとランガが並んで歩いていた。すでに周囲からはマガツモノの気配は消え去っている。少し先が見えないほどに濃く立ち込めていた霧の中を抜けた証拠だ。
「ほら、見てみろ」
ランガが振り返って先ほどまでいた場所に視線を向ける。
「……え、うわ……」
ランガに言われてリヒトも振り向くと、少し離れた場所に濃い霧で覆われたドーム状の空間があった。
「あれがさっきまでお前がいた場所だ。あの中にはマガツモノがアホほどいる上に、特殊な個体が多い。腕の立つレイダーでも寄り付かねぇゴミみてぇな場所だ」
「でも……俺の時は……」
リヒトが向かっていた際は遠く離れた場所から見ても、近くから見ても、霧で覆われたドーム状の空間なんて見えなかった。僅かに霧がかかっていただけで、マガツモノの気配も一切なかった。
マガツモノに襲われた場所からここに移動するまでに、リヒトは命を助けてくれた恩人であるランガに嘘をつかず、座標のことや事の詳細を話している。ランガは説明を聞いても座標のことや片手斧のことについて問いかけることはなかった。
それよりも、霧が晴れた危険地帯に誘われるように入り込んでしまったリヒトを笑う。
「お前、相当運が悪いだろ。霧が晴れてる時なんて、俺は何百回と見てきたが一度もなかったぞ」
あの霧で囲われたドーム状の空間はあからさま危険な匂いが漂っている。レイダーは当然のこととして、危機感のない『残留物』拾いでも見ただけで寄り付かないような場所だ。
目に見える危険すぎて誰も近寄らないおかげで、逆に安全地帯にすらなっている。
であるというのに、僅か数十分ほどの霧が晴れた時間にリヒトは遭遇してしまった。
自分のことを運が悪いとはリヒトは思っていたが、さすがに予想以上だ。
「ええ、まあ……」
運が悪い事実は認めているが、素直に肯定してしまうと悪運が悪化しそうなので、曖昧な返事だけを返した。
リヒトの微妙な表情を見てランガは鼻で笑うと振り返ってまた歩き始める。
「怪我の状態はどうだ」
「まだ痛みますけど、たぶん大丈夫です」
「そりゃよかった」
リヒトはマガツモノに吹き飛ばされた際に外傷を幾つか負った。幸いにもランガが回復薬をくれたおかげで多量の出血は止めることができたが、骨や内臓に走る僅かな違和感が気になる。
あれだけ吹き飛ばされたのだ。
骨が折れていても不思議ではない。
「ま、お前なら骨が逝っててもどうにかなるだろ」
「ほ、ほんとですか」
「ほんとなわけねぇだろ」
ランガがリヒトの頭にチョップを軽く叩きこむ。
「ったくほんとにスラム育ちかお前? めっちゃ騙されそうに見えるぞ」
「ドブ汁啜って生きてきた正真正銘のスラム人間ですよ。みりゃわかるでしょ」
手入れがされていない髪と煤だらけの顔、汚れた服に栄養失調でやせ細った体。
リヒトはどう見てもスラムの人間にしか見えない。
「というかあなたも同じに見えますよ」
一方でランガもぼさぼさの髪と無精ひげ、それからヨレヨレのコートを羽織ったスラムの人間にしか見えない見た目をしていた。
それを指摘されたランガは自分の体とリヒトの恰好を見比べて笑った。
「おお、確かに俺もスラムの奴らっぽいわ。っつうか似たようなモンなんだけどな」
「似たようなモンって……もうなんなんですか」
独特の距離感とリズムで話すランガという人物をリヒトは捉えることができない。
「ほんとにレイダーなんですか?」
レイダーといえば強化服や『対マガツモノ用兵装』で全身を武装したイメージが思い浮かぶ。
一方でランガとかいうレイダーを自称する浮浪者の恰好を見ると、とてもレイダーだとは思えない。
「いやいや、俺ちゃんとレイダーね? レイダー証もあるから。見せてやるから待ってろ」
ランガが歩きながらがさごそとコートの中やポケットの中に手を突っ込んでお目当ての物を探す。
「……ほら、これ……あ、違うわ」
自信満々にポケットの中からカードを取り出したかと思うと割引券だったり、ポイントカードだったりで、すべてが違う。
「あ、あっれぇ~」
「え、嘘だったんですか」
「いや、ほんとなんだよ! これマジ! 置いてきただけだから! 絶対あるから!」
「……ほんとですか? その拳銃と剣だけしか持ってないような人がレイダーなんですか?」
ランガは左右の腰に拳銃と剣を備え付けていた。
しかし、この二つでマガツモノを相手するのは無理があるように感じる。
ちゃんとしたレイダーならばもっといい武器があるはずだ。
「これは拳銃《非常用》と剣。いつも使ってるのは別のやつだから、俺ちゃんとレイダーだから」
「どうですかね」
「んだと、このガキ」
ランガがリヒトの視界から消えたかと思うと次の瞬間には背後に移動していた。そしてリヒトが反応する間もなく拳でリヒトのこめかみをぐりぐりとドリルのように削る。
「命の恩人に対してなんつう無礼だ、あ?」
「ちょ! いた! やめ!」
リヒトはそのまま頭をぐりぐりと攻撃されながら連行されていく。
「ったくよぉ……最近のガキは躾がなってねぇ」
「やめ、やめろ。いたい!」
リヒトが両腕を上にあげて降参したことを示す姿を見せると、ランガは「ふん」と鼻息を鳴らしてリヒトを開放する。
「ったく、さっきまで死にかけだったっつうのに、よおここまで元気になれるわ」
マガツモノに襲われて、諦めかけて、それでも立ち向かって、けれどゴミのように薙ぎ払われて……絶望は凄まじかったはずだ。常人ならば立ちすくみ動けなくなるような場面でも『死ぬ気』で立ち向かった。
そして一度は死にかけながらも、今は元気を取り戻している。
精神的にとてもタフだ。
「お前、レイダーに向いてるよ」
「俺が? また冗談ですか」
「いやちげぇよ。マジな」
ランガの視線は至って真面目だった。
短い付き合いではあるが、それが本気であることぐらいわかる。
「でも俺は……そもそもレイダーには必要なものが……俺には用意できないですよ」
レイダーになるためには色々な物が必要になるし、時には試験を乗り越えなければならない時だってある。
ただあくまでもそれは、ちゃんとレイダーになろうとすれば、の話だ。
「レイダーになるために必要なモンは何もねぇよ、ただレイダーフロントっつう施設行ってレイダー証を発行してもらうだけだ」
「いやそういうわけじゃなくて……」
レイダーフロントという機関に行って所定の手続きを行えば、誰でもレイダーになれる。
だがレイダーになった後が問題なのだ。
対マガツモノ用兵装やマガツモノの死体を運ぶための手段などを用意するのに、大量の金が必要になる。リヒトにはそれだけの物を買えるだけの貯蓄も稼ぎもなかった。
もし何も用意していない状態で始めれば、マガツモノに喰われて死ぬのがオチだ。丸腰でレイダーはできない。
だが。
リヒトのこの考えは堅実で正しいが、身分不相応な懸念でもあった。
「なあリヒトよ。レイダーで成功した誰も彼もが万全なスタートを切れたわけじゃねぇ。ナイフだけ持って、拳銃だけ持って、レイダーを始めた奴もいる。当然、その多くが死んでいくが百人に一人ぐらいは生還する」
レイダーになった後に莫大な金が必要になることは当然のこととして、始める際、誰も彼もが対マガツモノ用兵装や運搬用の機械を用意できたわけではない。逆にすべてを取り揃えられたのは少数で、ほとんどは何かを欠けた状態で始める。
金を持っている富豪ほどレイダーのような危険な職業はせず、金の持っていない人間ほど誰でも成れるレイダーを目指すのだから、これは当然のことだ。
「確かにお前の意見はリスク管理としては真っ当だ。だがそんな小さいこと気にしてたら一歩目すら踏み出すことはできねぇぜ? ただでさえ、生まれのせいで立場も権力もねぇんだ。どこかでリスク承知で踏み出さねぇとなんも変わんねぇよ」
リヒトの意見が正しいように、ランガの意見もまた正しかった。
スラムで育ってきた人間は一生をごみ溜めの中で終えることがほとんどだ。貧困から抜け出せず、毒と遜色のない食べ物を食べて早死にする。この運命から逃れたいのであればリスクを承知して大きな一歩を踏み出さなければならない。
レイダーは誰でも成れる上に、誰でも莫大な金が稼げる。
スラムの住民が一歩目を踏み出すのにはこれ以上ないほどの選択肢だ。
「お前はアレだな。打たれ弱いくせして耐久性だけはいっちょ前だな」
マガツモノに立ち向かえるだけの勇気があるというのに、現状を変えるためにレイダーになることはなかった。
追い詰められたら強いが、追い詰められるまでは力が発揮できないタイプなのだろう。
「まあいい」
ランガの言葉を聞いて悩む表情を浮かべるリヒトの頭に手を置く。
「な、なんですか」
突然頭の上に置かれた手を払いのけながら、歯を見せて笑うランガに視線を向けた。
「俺はレイダーには――」
「ま、そう言うなって」
ずっと歩いていたランガが立ち止まると、腕を組んで自信満々な姿を見せる。
「お前に今からレイダーの楽しさってやつを教えてやる」
目の前に立ちふさがっていたランガが横にずれて、奥にある物を指し示す。
「酒池肉林を楽しむ、それもいい。買いたいものをすべて買う、それもいい。だが、最高に気持ちいのは、新品の装備でマガツモノをぶっ殺してる時だ」
奥には一台のバイクが止まっていた。
側面には装甲と格納式の機関銃が取り付けられている。反重力機構によって側面の走行をも可能にし、荒れ果てた廃都市を縦横無尽に移動できるよう設計された対マガツモノ用兵装の一つだ。
「お前は今からアレに乗ってもらう」
ランガはそう言いながらバイクの後部にある格納庫を開けて、中から銃器を取り出して――リヒトに向かって投げた。
「――っと、これは……」
困惑を隠せない表情でリヒトが受け取った銃器を眺める。
近未来的な見た目をしたずっしりと重量感のある銃だ。
「そいつはTEN-4。対マガツモノ用兵装の中でも特に火力の高い散弾銃だ」
「こ、こんな物を使って何を……?」
「言ったろ? 俺が今からこのH-P49Kに乗ってお前を家に送り届ける。その道中で襲い掛かってくるマガツモノをそいつでぶっ飛ばせ」
「え、え……でも俺……こんな銃使ったこと」
「まーたうだうだ言ってんのか。お前ってやつははじめの一歩が踏み出せねぇなあ。良いから一度やってみろって」
強引に頭を掴まれて強制的にバイクの後部に座らさせられる。
その際、ランガがリヒトの靴底に何かを取り付けた。
「なんですか、これ」
「強力な磁石でペダルと靴を固定するやつだ。結構な数のマガツモノに襲われる上に九十度あるような側面を走るからな、こいつで足場を固定しておけ」
「俺今からそんなところ行かされるんですか?!」
「お前を家に帰すための最短経路だ。かっ飛ばすぞ」
「え、え」
リヒトの言い訳を聞かずに靴をバイクから飛び出た装甲に固定すると、ランガはハンドルを握りしめた。
「よーしかっ飛ばすぞ! 盛大に楽しめ!」
「ま、ちょ、心の準備がで——」
バイクは鼓膜を破るような心地よいエンジン音を響かせてマガツモノを誘いながら、言い訳途中のリヒトなんか無視して走り出した。
◆
「お前……バイクに乗ったことは」
「ないですけど!」
廃都市を一台のバイクが高速で走っていた。
ランガの運転は非常に荒い上に、廃都市は道が舗装されていなかったり障害物があるせいでさらに揺れる。
きちんとバイクにしがみついておかなければ振り落とされてしまいそうだ。
「なんでこんな荒い運転するんですか!」
「うるせぇなぁ、真後ろで叫ぶなよ。丁寧に運転してマガツモノに囲まれたいか?」
ランガとてただ荒々しく運転しているわけではない。バイクの走る音や振動でマガツモノにすぐ気が付かれる。もし道に沿って丁寧にゆっくりと移動していれば、いつの間にか前にも後ろにも、果てには上空にもマガツモノに囲まれてしまう危険性があった。
大げさに荒々しく運転しているのはランガの好みの問題だが、何割かは真面目な対策でもある。
「てか、そろそろ慣れてきたろ」
バイクで移動を始めてからすでに五分ほどが経過していた。五分も荒々しい運転に振り回されれば慣れることもある。だが、ランガの三半規管をぶっ壊しそうな運転は、慣れるどころか体調を悪化させる確率の方が絶対に高い。
幸いにも、リヒトは丈夫な体と内蔵を持って生まれて来たため何ともなかった。
しかし、この運転に慣れたわけではない。
「いや、ぜんぜんですよ……!」
「嘘つくなよ」
「嘘じゃないですよ……!」
僅かに馴れただけで、依然として恐怖感はある。
「ぎゃーぎゃーうっせぇなぁ。そんなぎゃんぎゃん吠えんだったらここで落としてくぞ!」
姿こそ見えないもののバイクを追って大勢のマガツモノが迫ってきている。ここで降ろされればまず生きて帰れない。
「……それはずるくない?」
「大人はずる賢いゴミばっかなんだよ」
ガッハッハ、と笑いながらランガは舵を切って高架高速道路へと入っていく。
「よし少年! 銃を準備しろ!」
「は?」
一般道路から高架高速道へと向かう上り坂を進んでいる途中に、いつマガツモノが来てもいいよう準備を促した。
突然のことに驚きつつ、少年は御神像を抱きかかえるように散弾銃を持つ。
「馬鹿が。銃の構え方も知らねぇのか」
「知ってる……けど」
ランガに指摘されてリヒトは散弾銃を持ち直した。
ちょうどその時、上り坂を越えて高架高速道路の中へと入る。
同時に、蜘蛛の巣のような物がそこら中に張られた道路が目に入った。
「これ――」
高速道路の壁に張られた蜘蛛の巣には巨大な蜘蛛のようなマガツモノが数えられないほど存在していた。
「自分の身は自分で守れよ!」
ランガはそう言いながら意気揚々とバイクの速度を上げてマガツモノの巣へと突っ込んでいく。
明らかに、高速道路がマガツモノの巣になっていることを知っている口ぶりだ。
そもそも高速道路などに入らず下道を進んでいればこんな事態にはならなかった。
ランガは意図してこの状況を招いた。
「ふざけんな――!」
一体何がしたいのか分からない。
しかし『自分の身は自分で守れ』というランガの言うように、リヒトはマガツモノを殺さなければ生きて帰れない。
ランガに叫びながらも、必死にTEN-4を構え――引き金を絞った。
「――っなん」
撃ち出された弾丸は散弾ではなく、放射状に広がる幾つもの青色のレーザーだった。
狙いなんて曖昧にしか定めていなかったが、放射状に広がったレーザーは一発で数体のマガツモノを破壊する。その強烈な威力の反動は凄まじく、衝撃でリヒトは上半身をのけ反らせてバイクから転げ落ちそうになった。
足がバイクの装甲に引っ付いていたおかげでそのまま吹き飛ばされることはないが、マガツモノ以外のものにも命の危険を感じてしまった。
「――っこれ、反動が――」
「また言い訳かぁ? それでもやんねぇと死んじまうぞー」
うるさい、と内心で呟きつつリヒトは必死に引き金を絞る。
足腰だけでTEN-4の強烈な反動を抑え込みながら、少年の体が使うにしては大きすぎる散弾銃を構えて狙いを定める。レーザーが幾つも射出されるおかげで、狙いは曖昧でも許される。
だがそれでも、初めての銃を使いながら、バイクに跨って射撃をしなければならずリヒトは切羽詰まっていた。
一方でランガは楽しそうに片手でバイクを運転しながら、もう片方の手で拳銃の引き金を引いていた。拳銃からはTEN-4と同じようにレーザーが射出され、一発でマガツモノに穴を空けていく。
片手でバイクを運転しながら、照準の合わせにくい拳銃で正確にマガツモノの頭部だけを撃ち抜くランガの技術は凄まじい。加えてランガが背後でバイク全体を揺らし、タイヤをスリップさせるほどの反動を持つTEN-4を撃っているせいで、バイクの操縦すらも難しい。
衝撃に耐えながら、障害物を避けながら、拳銃を目標に狙いを定めながら、片手だけでバイクを運転する。
「おら行くぞ!」
「ちょま――」
高速道路で一部、天井がある場所に通りかかるとバイクで側面の壁を駆けあがり天井に張り付いた。
高性能なバイクはたとえ百八十度の真反対であろうとも、大きな凹凸の無い道ならば走ることができる。しかしバイクに天井を走れる性能があったとしても、結局は操縦者次第だ。
地面との設置面積が少なければバイク下部に搭載された反重力装置の出力だけでは、バイク本体の体重を支えきれずに落下するし、走る角度を間違えたり、速度を間違えたりすれば容赦なく転落する。
蜘蛛の巣が張られた高速道路で銃の反動に耐えながら拳銃でマガツモノに狙いを定め、片手で運転しているランガの技術は神業ものだ。多くの情報を一気に処理しなければならず、本来ならば歯を食いしばって神経を研ぎ澄ませるのが普通だが、ランガは至って簡単そうに、楽しそうに笑い声をあげながらバイクを操縦する。
だが後ろにいるリヒトからすればたまったものではない。
地上でマガツモノの対処をするだけでも精一杯だというのに、百八十度反転した場所で同じことを強いられている。
足場は磁石で固定されているだけで少年の体重とTEN-4の反動を支えきれるほど強くはない。
(きついきついきつい!)
内股の筋肉に必死に力を込めて、バイクを挟み込むようにして体を強く固定する。
完全に上下逆さまになっているせいで、そうでもしなければ落下してしまいそうだ。
マガツモノを素早く処理しなければ自分が喰われるかもしれないという焦燥感。
足腰に力を入れて踏ん張らなければバイクから落下するという緊張感。
いつこの地獄が終わるのかも分からないという不安感。
「勘弁してくれ……」
高速道路の先を見る。
マガツモノの巣は見える限りでずっと続いていた。
それを見た瞬間、リヒトは顔を青くして絶望した。
◆
「おいおい、大丈夫か」
地獄のような高速道路を抜けた後、バイクは道の脇で停車していた。
バイクが止まるのと同時にリヒトは気絶したように転げ落ち、そのまま地面に倒れている。仕方がないだろう。散弾銃を撃ったことや暴走するバイクに乗って戦う経験なんて今までしたことがない。
訓練も心の用意もできていない状態で、判断を間違えればバイクから転落するかマガツモノに殺される状況に放り込まれたのだ。
今は生還できた安心感から地面に寝っ転がって空を放心状態で眺めていた。
「大丈夫じゃ……ないですよ」
リヒトがぼつりと呟くと、ランガは『ガッハッハ』と笑い声を立てる。
「いいじゃねぇか。でも楽しかったろ」
一歩間違えたら死ぬかもしれないという緊張感の中で、常に思考を回しながら最善手を選択していくのは、能力の全てを駆使して自分の限界を成長させていくような、奇妙な中毒感がある。
しかし。
だからと言って。
またやりたい、とは思わない。
「楽しい一割……あとは最悪です」
明らかに苦労と報酬が見合っていない。
「一割も楽しめたんなら上出来だ。やっぱお前レイダーに向いてるよ」
「今日で絶対ライダーにならないと誓いました」
「そう言ってな? どうせ俺の言う通りになるんだよ」
「じゃあ尚更いやです」
「頑固だなぁ? お前は」
空を見上げて、ぐるぐると回っていた視界が段々と戻ってくると、リヒトはゆっくりと上体を起こす。
「でもまあ……ここまで連れてきてくれてありがとうございます。助かりました」
高速道路の一件が無くとも、リヒトにはランガに対して『命を救われた』と言う前提がある。
高速道路を使用したのだって——おそらく本来の目的はマガツモノと戦うためだろうが——最短経路で帰るためにと行動した結果だ。
結果的にリヒトは命を救われた。
それだけでリヒトはランガに感謝する理由がある。
「良いってことよ、俺は世にも珍しい親切なレイダーだからよ」
「親切な人は自分のことを親切だなんて言ったりしませんよ。言うのは詐欺師だけです」
「さっきは感謝してくれたってのに、もう詐欺師呼ばわりかよ……泣けるぜ……」
しくしくと泣く演技を見せるランガに冷めた視線を向けながらリヒトが立ち上がる。
「ありがとうございました」
頭を下げる。
すでにここは人間の生活圏に近いところであり、マガイモノはほぼいない。座標の場所でマガツモノに遭遇したせいで予定よりも時間がかかってしまったが、バイクに乗ったおかげで結果的に予定通りの時刻に帰ることができた。
夜になればさらに帰るのは難しくなっていただろうし、やはり、ランガには感謝しきれない。
「助かりました……」
リヒトがそう言って身を一歩だけ退く。
ここも夜になれば危険地帯になる。その前に帰宅しなければならなかった。
そうして感謝を述べて帰る支度をしようと動き出すと、ランガが呼び止める。
「おいおい待てよ。ここまでしてもらって『お礼』も無しに帰るつもりか?」
リヒトはランガの要求に驚くことはなかった。
これだけのことをしてもらったのだ。
逆に見返り求められない方が異常。
「……」
ただリヒトに差し出せるモノはあまりない。
体が斧か本か。
きっと斧と本は貴重なモノだろう。
ならば——。
「そんなモン俺はいらねぇよ」
リヒトが斧と本を取り出そうとした時、先回りしてランガが答えた。
「お前が俺に用意できる見返りは一つもない。興味惹かれる物を何一つとして持ってない」
「じゃあ見返りはナシということで……」
「おいおいなんでそうなる。違うだろ? 俺の要求はあの時も、さっきも、何度も言ってるだろ?」
「……?」
思い返してみる。
しかし引っかかるモノは何一つとしてない。
というより、高速道路に入った辺りからの記憶がない。
「……わかんないです」
「おいおいこいつはとんでもなく察せないガキだな」
「すいません」
「謝んなよ俺が悪いみたいじねぇか」
ランガは呟きながらバイクの後部にある格納庫を開き、中に手を入れるとガサゴソと動かして何かを取り出した。
「ほれ」
ランガが取り出した物をリヒトに渡す。
それはレイダー証だった。
レイダー証はランクによって僅かに素材や書かれている内容が違うが、ランガから渡されたレイダー証は今までに見たことがない物だった。
ほとんどが黒塗りで、背面に専用の機械で読み取れるバーコードがあるだけだ。
「レイダー証? ……これがなんなんですか?」
会った時に本当にレイダーが疑っていたので、今更証明しようとしたのかもしれない。
「ちげぇよ。お前、レイダーになれ」
「は?」
「これが見返りだ」
言葉の意味が理解できず、リヒトは固まってレイダー証とランガの顔を交互に見る。
「えっと……え?」
「別に、『残留物』拾いをやめて、マガツモノを討伐して稼げ、って言ってるわけじゃねえよ。レイダーフロントでレイダー証を貰うだけでいい」
レイダーになるためだけならば、レイダー証の発行手数料の500リムさえ払えれば誰でもなれる。
ただ、『レイダーになること』という見返りの内容がリヒトには理解できなかった。
「あの……別にレイダーになることぐらいだったら……全然いいんですけど……なんでなって欲しいんですか?」
ランガは腕を組んで僅かに考える素振りを見せてから答えた。
「同志を集めたくてな」
レイダーの仲間のことを『同志』とは、随分と大袈裟だ。
「なんで同志が欲しいんですか」
「なんでって聞かれてもな」
今度は考える素振りではなく、ちゃんと悩んでいる様子だ。そしていい回答が思いつかなかったのか誤魔化した。
「まあまあ、レイダーになれ、って見返りなら理由もなくやれるだろ?」
「まあそうですけど……」
「取り敢えず俺の見返りはそれだけだ。レイダーになったからってマガツモノを討伐する必要はないぞ? 『残留物』拾いのままでいいからな?」
「じゃあなんでレイダーにしたいんですか」
「その質問はさっき答えたろ……たが安心しろ。どうせお前は自分から進んでマガツモノを討伐するぜ?」
「なんで分かるんですか」
「レイダーは稼げるからだ」
スラムを脱出するだけの金をレイダーならば貯められるし、保護区の中に住むことだって夢ではない。
美味しいご飯を毎日食べれるし、ふかふかのベッドで寝ることもできる。
「それに、レイダーになって稼げれば綺麗なお姉さんとお近づきになれるぞ?」
「えっと……黙ってください」
「おいおい命の恩人に対する態度か? それが」
「じゃあすいませんでした」
「『じゃあ』ってなんだ『じゃあ』って」
いつまで覚えているのか。
リヒトは過去の発言を恥ずかしがりながら、一歩下がって空を見上げた。夕焼けが広がっていて、すぐに夜が来る。
それまでに帰らなければならない。
「まあ分かりました。じゃあレイダーになればいいんですね」
「おうよ」
ランガから確認を取るとリヒトが歩き出す。
だが途中で止まった。
「あれ……来ないんですか……?」
振り向くとランガがバイクに座って一休みをしていた。
「もうすぐで夜来ちゃいますよ」
「俺の帰る方向はあっちだ」
ランガはリヒトが向かう場所とは別の方角を指差す。
だが、その方角に人間の生存圏はなかったはずだ。誰も住んでいない。廃都市だけ地平線の彼方まで続く危険地帯が広がっているだけだ。
「そっちは……」
「おいおい。ガキの狭い常識で考えてもらっちゃ困るぜ。あっちに俺のセーフハウスがあんのよ」
リヒトは地平線の先まで広がる廃都市を見ながら、訝しげな視線をランガに向ける。霧で覆われた危険地帯に足を踏み入れていた理由や、所々で現れる怪しい言動から、彼が何かを隠しているのは簡単に読み取れた。
しかし隠し事をするのは皆同じ。
ランガの言葉が嘘であると思いつつ、敢えて詳しくは訊かずにリヒトは笑った。
「じゃあそういうことにしときますよ」
「おうよ!」
元気にそう答えたランガにリヒトは別れの挨拶を告げてから去っていく。
「ありがとうございました」
「またどこかで会えんだから、別れで泣くなよ?」
またなんか変なこと言ってるな、と思いながら背を向けて家の方へと帰っていく。だが途中でふと立ち止まり、後ろが気になって振り返った。
「……まあ」
すでにランガは姿を消していた。
数十秒ほどでバイクのエンジン音も鳴らさずにどうやって消えたのだろうか。
疑問に思ったが、それ以上は考えなかった。
「そういうもんか」
一人勝手に納得して、リヒトは帰路へと着いた。




