第1話 一つの幸運と十の不運
(まだまだあるな……)
荒れ果てた都市を少年が歩いていた。旧型の通信端末を手に持ち、画面に表示された座標へと向かって突き進んでいる。周囲は半壊したビル群に囲まれていて、地面は所々にクレーターができていた。
遠くを見上げれば折れ曲がったビルが隣の建物に寄りかかるようにして橋を作っているし、霧の向こうに巨大な生物の影が蠢く姿も見える。少年は今、遠く離れたあの場所に向かっていた。
(ここまで来たこともねえのに、あそこか)
少年のいる場所から、通信端末の画面に表示された座標の位置まで、まだかなりある。
普段なら命と隣り合わせの廃都市には近寄らず、稼ぐために立ち入ったとしても深入りはしない。今日はまだ姿を見ていないが、廃都市に立ち入れば『マガツモノ』と呼ばれる生物に襲われる可能性が高くなる。
当然のことながら、人類の生存圏から離れれば離れるごとに、廃都市に深入りすればするほどに、マガツモノと接触する確率は高くなる。その上、接触するマガツモノはより巨大になる。
少年が手に持っているのは型落ちの拳銃ただ一つだけ。
大型のマガツモノは当然のこととして、小型の個体を殺せるかも怪しい装備だ。
そもそもとして、マガツモノを殺すためには対マガツモノ用の装備を使わなければならず、人や動物を殺すために設計された拳銃では歯が立たない。マガツモノの死体から皮や装甲、血肉などの素材を基に作られる『対マガツモノ用兵装』でなければ、本来ここに立ち入る資格がない。
しかしそれでも、少年が廃都市の奥深くに足を踏み入れようとしているのは、通信端末に表示された座標のためだ。数日前にスラムで抗争に巻き込まれた際、少年は一つのUSBを拾った。
USBの中に入っていたのは座標に関しての情報のみで、通信端末の画面に映し出されているものになる。
座標は幾つか記録されてあり、その内のほとんどが遠く離れた場所にある。型落ちの拳銃しか持たず、十分な知識も持たない少年の足では到底たどり着くことのできない領域だった。たどり着く前に喰われるか、野垂れ死ぬか、建物の崩落に巻き込まれて死ぬかの三択だ。
少年の貧弱な装備と浅い知識で行けそうな座標は一つしかなかった。しかしその一つでさえも、少年がいつも行動している範囲からは遠く離れている。一つでも間違いを犯せば死ぬし、間違いを起こさずとも運が悪ければ呆気なく命を落とす可能性がある。
ただそれでも、少年には座標の場所に向かわなければならない理由があった。
(ここら辺……『残留物』がありそうだけど……さすがに探してる時間はないか……)
世界は少年のいるような半壊した都市で埋め尽くされている。原因は都市開発AIのエラーによって無限に都市開発が進められた成れの果て、というのが有力だ。他には秘密結社の陰謀だとか、政府の策略だとか言われているが定かではない。
スラムで暮らしている少年にとって世界が都市で埋め尽くされてしまった理由なんてどうでもいいことだ。重要なのは稼ぐ方法だけ。
(いい『残留物』ありそうだけどな……)
無限に都市開発が進められていく中で、貴重品や高価な品物も作られる。稀に現代の技術では再現不可能な科学で作られた物品が稀に落ちていることもあり、そうした『残留物』は高値で売れる。
少年はこの『残留物』を集め、売ることで生計を立てていた。ただ、この仕事はマガツモノに襲われる危険性があるというのに稼ぎ自体は少ない上に収入も不規則だ。
少年でも探索できるような危険度の低い場所は、すでに他の誰かが巡回した後であることがほとんどで、高値の『残留物』はほぼ残っていない。
かといって遠出してまで『残留物』の回収に勤しむのは割に合わない。
その日暮らしができるだけの『残留物』をバックパックに詰めて帰り、換金するだけの毎日。
危険で、変わり映えのしない退屈な日々だ。
このつまらない現状を変えるために、少年はUSBが指し示す座標を目指していた。一発逆転を狙っているわけではないが、無理でもいいから現実を変えるきっかけが欲しい。あるいは、現実を変えるために行動しているという実感のため。
正直なところ、座標の場所に行ったからといって何かが劇的に変わるような物を発見するのは難しいだろう。
しかしそれでも行く価値はある。
(……こいつは)
立ち止まった少年が視線を向ける先には、一体の白骨死体が転がっていた。頭部や腕の骨、その他にも幾つかの骨がないせいで人骨だとは一目で判別することができなかったが、身に着けている衣服などですぐ分かった。
付近に散らばっている小銃の残骸や不自然に折れた骨を見る限り、マガツモノに殺されたのだろう。
少年のように『残留物』を回収するために遠出してここまで来た愚か者か、それとも……。
(……レイダーか)
レイダーはマガツモノを専門で討伐する者達の総称だ。
『対マガツモノ用兵装』を製造する過程で必ず、マガツモノの素材が必要となる。また、『対マガツモノ用兵装』の製造に関わらず、マガツモノの素材が使われる機会というのは多い。
建築用機械や防護服、果ては医療器具に至るまでマガツモノの素材が使われている。
上質な素材であれば高く売れるため、危険を冒してでもマガツモノを狩る価値はある。それこそ、少年のような『残留物』をちまちま拾い集めるよりも格段に良い稼ぎが期待できる。
(小銃は壊れてるから……使い物にならないな)
死体を漁って何か金になるものはないかと探る。
死んでからかなり時間が経っている上にマガツモノに死体を漁られた形跡もあるため、高値で売れそうなものはあまりない。財布の中に少量の現金が入っているところを見るに、同業者に漁られてはいない。
(……こいつランク『1』かよ)
財布の中からレイダーとしての身分を証明するためのレイダー証が出て来た。
レイダー証は指定の機関に渡せば代わりとして報酬が貰えるが、ランク『2』からが条件となる。ランク『1』のハンター証に価値はない。どうせ貰える報酬は少なかった、と割り切って少年はまた進み始める。
周囲の光景は変わらず半壊した都市が広がっている。
ここまでくれば『残留物』も多く残っているだろうが、建物の中に入るのもリスクが付きまとう。今のように大通り沿いの道を周囲に警戒しながら歩いた方が安全だ。一攫千金を狙うより、まず命を大事にした方がいい。
(こんなところにいるけどな)
命が大事ならば座標のことなど忘れていつもの生活に戻った方がいい、少年は思考を巡らせる中でそう自虐しながら足を進ませる。
すでに廃都市のかなり奥の方まで足を踏み入れている。
徒歩で移動できる範囲内の限界だ。
依然として周囲の風景は変わらず、空は曇天の様相を呈している。
唯一違いがあるとすれば霧が濃くなったぐらいなもの。
遠くから今いる場所を眺めた時、巨大なマガツモノの影が蠢いていたが、今は気配すら感じない。それどころか、生命の気配が全くなかった。普段探索している危険度の低い場所でも数時間ほど探索すれば、マガツモノの姿を見かける。
しかし今日はいつもより危険な場所を探索しているというのに、一度もマガツモノの姿を見ていない。
果たして幸運と捉えて良いものか。
(いや……気にしても仕方ないな)
考えても結論の出ない問題を考えるのは、家に帰った後の暇な時でいい。
ちょうど座標の近くまで来たところだし、無駄なことに割く思考は取り払っておいた方がいい。
「……でけぇ」
座標の位置には一つの高層ビルがあった。
周りに立ち並ぶビル群と規模感は変わらないものの、窓が割れておらず古ぼけた状態ながら綺麗に見える。透明な素材でできた入り口から見える中の様子は、どうやらロビーのようで広い空間とその奥に受付をするはずのカウンターが置かれていた。
目視した限りでマガツモノの気配はない。
しかし目の前にあるのは状態の良いビルだ。
周りに並ぶ半壊した建物とはわけが違う。
都市開発AIは奇妙な形の建物をエラーで作り出すが、もともと埋め込まれていた都市計画図を基にしてビルや建物、都市を作っていくことがほとんどだ。周囲の半壊した建物はエラーによって構造上の不備を抱えていたせいで自壊したか、もともとそういう作りだったか、マガツモノに破壊されたかの三択だ。
こうした建物は防衛設備などの機能を備えていないことが多く、中に入っても警戒するのはマガツモノだけでいい。しかし壊れていない状態を保ったままの建物は違う。 防衛設備が機能している場合があり、もしマガツモノに出会わなくとも警備網に引っかかれば命の危険がある。
警備ロボットの出動や出入口の完全封鎖、それから警報アラームが鳴るような場合でもマガツモノを呼び寄せる危険性があるため、できれば状態の良い建物に入らない方がいい。
状態が良い分『残留物』が残っている場合もあるが、リスクとリターンを考えた時に立ち入る選択を取るのはごく稀だ。
(どうすっかな……)
通信端末に表示された座標は確かに目の前のビルを指示している。
今更成果も無しに帰るのはさすがに許容できない。
ビルの中に入るリスクも考慮すれば足踏みせざるを得ない。
かといって、ここで立ち止まっていればマガツモノに襲われる危険性が上がるだけ。
「よし……」
少年は進むことにした。
一度呼吸を整えて、拳銃の状態を確認してからビルに近づく。
「――っうあ」
少年がビルに近づいた時、音を立てて扉が開いた。
(機能が……)
見た目が綺麗なだけで機能が停止しているビルならばどれほどよかったか。
ビルはまだ扉を自動で開閉するシステムと少年を認識するセンサーを稼働させていた。
つまり、このビルはまだ稼働している。
「……まあいいか」
リスクを考慮するのならば引き返した方がいい。しかし先ほどの結論を変える気にはならず、そのままビルの中に足を踏み入れた。中は僅かに照明が灯り、薄暗い。少年が中に入ると照明は点灯し、ロビーを明るく照らす。
その反応に、少年は肩を震わせてびくびくとしていたがそれ以外に変化はなかった。
「ビビらせんなよ……」
臆病な自分に言い聞かせてどうにか平静を保つ。
依然として周囲は不気味なほどに静かだ。
変化は何一つとしてない。
「……ふぅ……」
呼吸を整えてから通信端末に目を向ける。
座標はこのビルを指示しているだけで、具体的に何を探せばいいか表記しているわけではない。
座標が示すのはモノなのか人なのか、それとも意味などないのか。
ここまで来たのだから成果の一つでも持ち帰りたい、少年はそう考えてロビーを見渡した。
白い内壁に囲まれたロビーには何も置かれていない。来客用のソファと受付をするカウンターだけ。物があまりないからかすぐにそれらしき物品が目に入った。
(あれか……?)
カウンターの上に何かが置いてあった。何かの袋のような、布でできた……。
(バックパックか)
白い壁に傷一つないカウンターと、綺麗なロビーには似つかわしくないボロボロのバックパックが天板の上に置かれていた。
穴は空いていないようだが、茶色の塗装は剥げているしチャックはかみ合っていない。このバックパックを触ることで防衛設備が起動でもしたら大変だが、ここまで来て危険だからと引き下がることはできない。
少年は恐る恐るバックパックに手を伸ばして持ち上げてみる。
警報はならない。その他にも変わった様子はない。
取り合えず胸を撫でおろし、周囲に警戒を向けたままバックパックの中を覗いた。
(本か……? と、これはなんだ?)
バックパックの中に入っていた物を取り出してカウンターの上に並べてみる。入っていたのは分厚い本と片手斧だった。重厚な質感と紋様らしき刻印が彫られた表紙の本の中身は白紙で、すべての頁に何も書かれていなかった。
QRコードを読み取る方式なのか、ホログラムが表示される方式なのか、読み取り式なのか、少年は色々と試してみたがこれといって変化はない。無駄に時間を使いすぎると夜が来てしまうので、取り合えず本のことは忘れてバックパックの中に視線を戻すと、今度は片手斧を手に持った。
「なんで斧?」
バックパックの中に白紙だけの本が入っているというだけでも意味不明なのに、一緒に片手斧までついている。コンバットアックスのような見た目で、解体用に使われる斧とは違うことが一目見て分かる。どちらかといえば戦闘用。しかし腰に添えて万が一の時に――ナイフのようにして――使うには大きすぎる。
質感は驚くほど良い。軽いのに振ってみると確かな重みを感じる。柄のグリップ感も良く、不思議と手に馴染んだ。昔見た『対マガツモノ用兵装』と雰囲気は似ている気がするが、もしそうだとして、廃都市のビルに置かれている理由が分からない。
「これだけか……」
バックパックの中を全て確認し終えた後、ロビーを再度見渡してから呟いた。
エレベーターでしか上の階に行く方法はないし、そのエレベーターは稼働していない。
ビルの探索はここで終わりだ。
「……」
斧と白紙の本という微妙な成果に納得ができなかったのか、少年は徐にまた一度だけ本を手に取って中を覗いてみる。
「あ……あれ?」
本を開くと白紙だったはずの一頁目に文章が刻まれていた。ほとんどが文字化けしていてたり、初めてみる記号や言語で書かれているため読み取りづらい。
断片的に理解できる部分を読んでいくと、どうやら内容は、バックパックの中に入っていた片手斧に関してのことで、名前や製作者、機能について書かれていた。
「名前……? 対マガツモノ用兵装か……?」
対マガツモノ用兵装——『LEX-E』
製作者:鍛冶師ナヘム。
七禍シリーズ。
分類:不良品。
規定により独自規格使用の当該兵装を七禍シリーズから除外。
当方機関に希少な特別災害指定個体の素材再利用を目的に解体を提言。
製作者ナヘムの否認、理事会の保留により、提言は却下。
現在、『塑性粒子』との適合可能性を模索中。
「え、なんだこれ」
書かれている内容の一部は理解できたものの、その他は文字化けのせいで一切理解できなかった。その上、独自用語が飛び交っているし、段落もバラバラだ。組織内の報告書のようだが、具体的な組織名は分からない。
おそらく、文字化けしたどこかに載っているのだろう。
再度、本に書かれていることを読んでみるが、やはり理解できない。
三回目に挑戦してみるが、今度は脳が諦めてしまって文字が左から右に流れて行ってしまった。
「……まあいいや」
解読に無駄な時間をかけると夜が来てしまう。ただでさえ、予定よりも時間が遅れているせいでタイムリミットが迫ってきている。取りあえず今は、片手斧が『対マガツモノ用兵装』ということが分かっただけでいい。
(いや、斧でどうやって……)
片手斧で巨大なマガツモノとどう戦えばいいのか、少年は湧き出して来た疑問をそっと懐に収めて、斧と本をバックパックに仕舞う。それからもともと持ってきていたバックパックの中に、今拾ったバックパックを畳んで入れる。
(何してんだろ)
バックパックの中にバックパックを詰める謎の行為を自分でも疑問に思いながら、準備を済ませた少年はビルの外に出る。
扉は入ってきた時とは変わらず自動で開き、快く少年を外へと案内した。
「――が」
少年外に出た瞬間、目の前の大通りに巨大生物の足が落ちた。
幸いにも扉を出てすぐのところに設置されていた巨大な日よけのおかげで、少年の姿が捕捉されることはない。巨大生物はそのまま前へと進み、地面には足跡だけが残る。
だが問題はそれだけでは終わらず、周囲からマガツモノの足音や声が聞こえ始めていた。
「な……え」
マガツモノがこれほどの数いるというのに、先ほどまで全く気が付かなかった。急にマガツモノが出現したということはまずありえないし、だとすると気が付けなかったということになる。
(この距離に近づかれるまで……? 俺が……?)
廃都市の探索はかなりの年数、かなりの回数をこなしてきた。その中でマガツモノの姿を見ることはあれど、接触する機会はほぼなかった。隠密には自信があるし、周囲の状況を把握することには長けていると思っていた。
ビルの中に入ったことで注意が逸れていたのか、単純に注意不足だったのか。
「ふざ……」
一旦ビルの中にもう一度入ろうと扉に近づいても、今度は開かなかった。
頭の中で様々な仮定が思い浮かぶ。
そして自らの状況を鑑みて焦った。
(いや……)
今は無駄なことに思考を割いている場合ではない。土地勘もない初めて来た場所で複数のマガツモノに囲まれている状況では無理なことはできないが、夜がもうすぐで来る以上、時間は無駄にできない。
すぐに行動するべきだ。
「あぁ……ったく」
一つ良いことがあると十個悪いことが起こる、これが今まで人生で、きっとこれからも変わらないのだろう。
生れながらの悪運に唾を吐き付けながら移動する。すでに霧はさらに濃くなって、少し先の方は完全に見えなくなっていた。大型の生物が跋扈する足音、建物が崩れる音、遠吠えや叫び声、それから銃声。
少年は落ち着くよう自分に言い聞かせるが、一度では到底処理しきれない情報ゆえ、平静を保つのは難しい。これまでもマガツモノに囲まれた経験はあるが、この量は初めてだ。
(いやいや、多すぎるだろ)
霧と倒壊した建物が作り出す複雑な地形のおかげでマガツモノと出会っていないが、聞こえる足音から想像を絶する数が周囲にいることが分かる。空も霧で覆われてしまって夕方になったのか夜になったのか、まだ昼間なのかもわからない。
(運てない……)
通信端末で時刻を確認しようとしたが、画面が点かない。
どうやら通信端末もおかしくなってしまったらしい。
不幸は立て続けに起こる。
目の前の建物が突然崩れたかと思うと、崩壊の原因となった二体のマガツモノが絡み合うようにして現れる。
蜥蜴のような見た目の生物と、全身が装甲で覆われた機械型のマガツモノだ。どちらもかなりの巨体で、縄張り争いをしているのか戦い合っている。
勝敗は火を見るよりも明らかで、蜥蜴のような生物型マガツモノが機械型マガツモノに絡みついて頭部を引きちぎろうとしていた。機械型マガツモノは軋む音を響かせながら必死に振りほどこうと全身からあらゆる武装を引き出す。
しかし両腕は折れ曲がり、引きちぎれている状況ではそれらの武装を掴むことができない。軋む音は強まり装甲は凹み折り曲がり、やがて——機械型マガツモノは機能を完全に停止させる。
(あ、これ……)
瓦礫の奥に隠れていた少年は、生物型マガツモノがこちらに意識を向けたことに気がついた。
建物が崩落した時に姿を見られていたのか、それとも物音を立ててしまったのか、どこでミスをしたのかは分からない。
「――っ勘弁してくれ」
生物型マガツモノが自分に狙いを定めたことが分かると少年は一目散に走り出した。
周りに大量のマガツモノがいるだとか、知らない場所だとか、すべてどうでもいい。今は生きることさえ――。
「あ――っが」
人間が走る速度では生物型マガツモノから逃げられない。
その上、生物型マガツモノは地形なんて無視して建物の壁を突き破って現れる。
破壊された衝撃で吹き飛ばされた瓦礫の破片が当たるだけでも致命傷になるというのに、5メートルはあろう巨体が高速で迫ってきている。
「ぁあああぁああ!」
咄嗟に錆びだらけの拳銃を引き抜いて、標的に向かって引き金を絞る。
だが弾丸はスライドの中で詰まると、そのまま爆発した。
「――んでだよ!」
スライドが吹き飛ばされ無残な状態になった拳銃をぶっきらぼうに投げ捨てる。
「何か――なんかねぇの――」
拳銃の代わりになりそうなモノを探して周囲を見回した。しかし期待に応えられるモノを見つける前に、生物型マガツモノの巨体に吹き飛ばされる。
「っぁっぐ……」
幸いにも食べられることはなかったし、瓦礫がクッションになってくれたおかげで、真正面からぶつかって吹き飛ばされることはなかった。
ただそれでも、吹き飛ばされた体は壁にめり込んで、内臓が破裂したような衝撃と痛みが脳髄を叩く。
「ぅっ、くそ……」
倒れた少年が這いつくばりながら周りに視線を向ける。
生物型マガツモノは少年を見失っているようだが、すぐに気がつくだろう。
時間がない。
しかし……。
「……ざけんな、くそが……」
倒れた少年の目の前にバックパックが転がっていた。破れていて、中に入っているもう一つのバックパックが見えている。その上、チャックが甘かったのか、片手斧の先端が見えていた。
これ見よがしに、使えとでも言いたげに、倒れ伏した少年の前に片手斧が転がっている。
(対マガツモノ用兵装だっつってたが……)
この片手斧で何ができるというのか。
この刃先で首を切り落とすためには何十回と斧を振らなければならない。そして、何百回と死にかけなければならない。
「なんだ、なんかいいことでも起きるのか?」
少年は片手斧に手を伸ばしながら呟く。
これがよく出来た物語であれば、斧が変形したり不思議な力を解放して窮地を退ける展開だろうが、少年にはとてもそうは思えなかった。
「変わんねぇ……」
乾いた笑いが出てくるほどに、この片手斧は普通だ。
握りしめてみても見た目は変わらない。
力が湧き上がることもない。
奇跡が起きるわけでない。
ただ握り心地が良くて、軽くて、取り回しがしやすい最高の斧があるだけだ。
「うげぇ……きつい」
斧を持って立ち上がり、生物型マガツモノと相対してみると、どうも絶望的に感じてしまう。
あの巨大にあの一本で挑んでいるという事実自体に笑いが込み上げてくる。
「しゃーなしか……」
今日はどの絶望ではなかったが、生きてきた中で窮地に陥ってきたことなんて数えきれないほどある。
餓死しそうになったこと。
裏切られて傭兵団に売られかけたこと。
物乞いにトースターや電磁砲を向けられたこと。
崩落に巻き込まれて生き埋めになりかけたこと。
マガツモノに囲まれた時のこと。
思い出せばキリがないほどの窮地に陥っている。
(一ついいことありゃ、十個ゴミみてぇなことあるんだからよ)
自らが生きる上で嫌というほど思い知ってきた法則を呟く。
今日は座標の場所までマガツモノに襲われずに来れた上に、本と片手斧を回収することが出来た。
果たしてこの二つが価値あるモノなのかは分からない。しかしこれが『良い事』である以上、反動のように『悪い事』が起きるのも当然のこと。
特に今日は朝起きてから運が良かった。
まだ食える飯が捨ててあったり、ネズミを狩れたり、死体を漁れたり……これだけ良いことが起きているのだから、法則に当てはめると恐ろしいほどの『悪い事』が起きても不思議ではない。
つまりこれは仕方のないこと。
何十年と生きてきた中で何度も出会ってきた『悪い事』と何ら変わらない平凡な窮地だ。
「さてさて……」
今までの人生で『悪い事』に遭遇した時どうしてきたかを思い出す。
マガツモノや傭兵団に囲まれた時。
食い逃げをして店主に撃たれた時。
あらゆる窮地に陥った際に講じてきた変わらない一つの対処法。
「死ぬ気でやる」
問題の理想的な対処法なんてすぐには考えつかないし、思いついたとしても実行できるだけの知識と経験とモノがあるかは怪しい。
ひとまず考えてみて思考が停止するようなどうしようもない状況であれば、拳銃や拳を握り、時には奇声を発して、全力で抗えばいい。
今までそうして切り抜けてきた。
今日も変わらない。
「ふぅ……っはは」
息を整えるために深呼吸をしてみるが、一切整わず少年は自分自身を笑った。
どうやら心臓が破裂してしまいそうなほどの心拍数のまま戦わなければいけないらしい。
生物型マガツモノはまだこちらの存在に気が付いていない。
このまま先ほど破壊した機械型マガツモノの方に向かってくれたら嬉しいが、周囲を見渡してこちらを探している様子だ。
大きいけれど食えない機械より小さいけれど食える肉の方が遥かに良いのだろう。
マガツモノの視界に入らないよう慎重に背後へと回り込む。
そして瓦礫の破片を拾い上げ空に向かって投げた。そして落下した瞬間を狙って動き出す。
マガツモノは反射的に降ってきた瓦礫を目で追いかけ、注意を逸らす。その瞬間に少年はマガツモノの背中に飛び乗った。
鱗の隙間に指を入れながらよじ登りすぐ頭部の上にしがみつく。すでにマガツモノは少年の存在に気が付いており、頭部によじ登った不届者を振り払おうと頭を壁にぶつけ、擦り付ける。
「——暴れんなよ!」
頭部にしがみ付きながら左目に向かって片手斧を振った。
驚くほど軽い。
しかし振り下ろした瞬間は確かな質量を感じた。
そして空気でも切っているのではないかと勘違いしてしまうほど容易く、眼球に刃がめり込んだ。
マガツモノが片目を潰されて暴れる。
少年は眼球に刃を食い込ませて固定する事で振り落とされないようにしたが、あまりに切れたため引っかからずに斧が抜けた。
同時に身が空中に投げ出される。
「——っは、切った!」
体が空中に投げ出されながらも、口を開けながら食べようと近づいたマガツモノの右目を片手斧で切った。
眼球のほんの表面だけをなぞっただけだ。
しかしそれでも眼球としての機能はほとんど失っただろう。
(よし、逃げよう!)
少年はバックパックを拾ってから、意気揚々と撤退する。
別に殺さずとも両目を潰せば追いかけられはしない。『死ぬ気』で戦ったのだから、今度は『死ぬ気』で逃げる番。
マガツモノが暴れて瓦礫や建物を崩落させている音を聞きながら、後ろも見ずに駆け出す。
「頑張った! 俺頑張ったぞ!」
昂る気持ちをそのままに、意味不明な言葉を発しながら走り去る。
そんな少年よりも早く、背後から《《マガツモノの頭部》》が飛んで来て、体のすぐ横を通り過ぎると、前方の壁にぶつかって肉片や脳が飛び散った。
「え、が、え、あえ、は?」
先ほど両目を潰したマガツモノの頭部が、自らの脇を通り過ぎて飛んでいく、という理解のできない状況に晒されて、少年の思考は完全に停止した。
そして頭も動かないまま状況を把握するために振り向く。
「……勘弁してよ」
少年はそう呟くことしかできなかった。
「……うっそだよ、もう……」
振り向くと、蜥蜴のようなマガツモノの体を貪る巨大なマガツモノがいた。巨大な牛やバイソンを思わせる姿をした、全長10mほどの四足獣。
頭部は大型の牛によく似ている。しかし、そこに生物らしい目は存在しない。眼窩に相当する部分には複数の光学センサーや測距装置が埋め込まれ、周囲を絶えず走査している。
頭の左右から伸びる二本の巨大な角も、ただの角ではない。高硬度合金で作られた掘削用ブレードであり、瓦礫や硬化した土壌を砕くためのものだ。
胴体は分厚い装甲に覆われている。長い年月を経て表面はくすんだ灰色に変色し、ところどころ錆が浮いている。その隙間からは油圧シリンダーや太いケーブルが覗いており、機械であることを隠そうとする様子すらない。
生物と機械が融合したような姿をしていた。
「勘弁してよ」
マガツモノには生物型を機械型、そして両方の性質を持った混合型の三つがいる。
目の前にいるのは混合型のマガツモノだった。
さっきまで相手にしていた蜥蜴のようなマガツモノがいとも容易く殺されたという事実が突き刺さる。両目を潰されたとはいえ、少しぐらいは健闘できたはずだ。しかし頭部を引きちぎられ、四肢をもぎ取られて無残な状態に転がっているのが現実だ。
負傷を与えるだけでも苦労したというのに、今度はさらに危険な個体と相対している。
(あれだけじゃ足りなかったのかよ……)
『良い事』が立て続けに起きたのだから『悪い事』が起こっても、今までの人生経験のおかげで受け入れられた。しかし今日は『悪い事』が起きすぎだ。
「そんないい経験してねぇぞ」
一つの『良い事』と十の『悪い事』という不平等な法則すら意味を成していない。
たかが斧と本を手に入れたぐらいで百の『悪い事』が起きるのは聞いていない。
明らかな設計ミスだ。
「あぁ……クソクソ!」
最期ぐらい美味い飯を食ってみたかった。
保護区の中で暮してみたかった。
ふかふかのベッドで寝てみたかった。
明日の生活を考えずに今日を生きてみたかった。
「最期ぐらい……」
例えば綺麗なお姉さんの膝の上で寝てみたり、美味しいご飯を食べたり。
「おかしいよ……」
悉くがうまくいかない。
「やってやんよ! やりゃいいんだろ!」
最期まで死ぬ気でやるだけ。
それは今も変わらない。
片手斧を握り締め、破裂しそうな心臓の鼓動と共に体を震わせて、走り出す。
不思議と恐怖は無かった。
片手斧が気持ちに呼応するように熱を帯びている気がする。
振り上げれば今までよりも確かな質量を感じた。
瓦礫の山を駆けあがり、踏み越えて、飛び出した。
空中で体勢を整えながら片手斧を両の手でしっかりと握り締めて振り下ろす――よりも早く、マガツモノが腕で少年を薙ぎ払った。
「――っぐば」
吹き飛ばされた少年はそのまま瓦礫にぶつかって、山を転がり落ちる。
(奇跡なんてねぇじゃねぇか)
気力も体力もすべて出し切って、死ぬ気で突撃したというのに薙ぎ払うようにして振られた腕にぶつかっただけで、面白いように吹き飛ばされた。それだけで体が壊れてしまったのか動かない。
息も吸いづらいし、視界も朧げ。
「ふざけ……んな」
それでも右手に握られた斧の感触だけは確かにあった。
しかし体が動かないのだから、斧を持っていたところで意味がない。
マガツモノが歩き近づいて来る足音と振動がする。
なぜ最期に握り締めているのが斧なのか。
「綺麗なお姉さんに手を握ってもらいたかった……」
せめて最期ぐらい、と少年が呟く。
斧などではなく、信頼できる人が傍にいて欲しかった。
身勝手な願いだというのは分かっている。
「くそぉ……」
倒れ込む少年をマガツモノの瞳が見下ろしていた。
瓦礫のように踏みつぶされるのか、それとも食べられるのか、おもちゃのように遊ばれるのか……自らの行く末を思い浮かべて絶望する。感覚も意識も薄くなっているというのに、眼球はマガツモノを捉え続け、右手は片手斧の感触を伝えていた。
(おわった……)
死ぬ気で体を動かそうとしても言う事を聞いてくれず、やっと少年はすべてを諦めて目を閉じようとした。
その時、自らに覆いかぶさるようにして覗き込んでいたマガツモノが、視界外から飛来した巨大な鉄球に吹き飛ばされた。
「なん……」
状況が理解できないまま、閉じかけていた瞼を見開くと、マガツモノに代わって、今度はヘルメットを被った人間が覗き込む様子が見えた。
その者は少年が生きていることを確認すると、ヘルメットを外して声をかける。
「よぉ少年、大丈夫か。綺麗なお姉さんじゃないが、許してくれよな」
ヘルメットを外して現れた無精ひげを生やした、浮浪者のような男だった。
知っていた。
華麗で美麗で優しいお姉さんが助けに来てくれる……お決まりの展開は訪れてくれないのだ。
「俺はランガだ。お前は」
「リヒト……です」
「よし、意識はあるな。その怪我で眠りこけてたいところ悪いが、立ち上がってくれ」
「……あなたは……」
「今は俺のことなんてどうでもいいんだよ。せっかくぶっ飛ばしたマガツモノが起き上がってきちまうじゃねぇか」
「す、すいません……」
「謝罪も感謝も後だ。今はとっとと立ち上がって俺についてこい。早くしねぇと、もっとやばいのが来ちまうぜ?」
「……わ……分かりました」
少年――リヒトの体は不思議と動けるようになっていた。それでも関節がさび付いたロボットのように、ぎこちない動きだ。
「歩けるな? とっとと来い、こちとら仕事終わりで疲れてんだ」
「はい……」
後ろで軋みをあげながら立ち上がろうとするマガツモノを他所にして、ランガと名乗った男は歩き去ってしまう。
ここで一人取り残されたら確実に死ぬ。
スラムでは赤の他人についていかないことが絶対のルールだが、こればかりは仕方ない。
「ちょ……は、はやい」
リヒトは痛む体を無理矢理動かしてランガの元まで駆け足で向かった。




