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The Double Feed〜潜入先のボスに気に入られました。なお、正体がバレたら即死です〜  作者: 幻翠仁


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第5話「生死は問わない」



 人は嘘を吐く。それは別に、珍しいことではない。

 金のために吐く者もいる。恐怖から吐く者もいる。見栄や虚栄心のために吐く者もいる。理由は様々だが、結果は同じだ。人間は必要に応じて平然と事実を捻じ曲げる。だからジェイド・サリヴァンは言葉を信用しない。


 肩書も経歴も同じだった。

 履歴書に並んだ実績などいくらでも偽装できる。忠誠心を語る者ほど裏切りを図り、誠実さを誓う者ほど嘘を吐く。


 結局のところ、人間の価値は口ではなく行動に現れる。

 何を言ったかではない。何をしたかでもない。

 何をしなかったか――そこに本質が出る。


 倉庫の天井近くを漂う煙を見上げながら、ジェイドは静かに煙草を吸った。

 鉄骨が剥き出しになった広大な空間。古い照明が不規則な唸りを上げながら光を落としている。冷えた空気の中には鉄錆と油の臭いが混じり、遠くでは雨水がどこかの配管を伝って滴り落ちていた。


 湿った倉庫だった。

 だが静かだった。静か過ぎると言ってもいい。その理由は単純だった。

 誰も口を開こうとしないからだ。


 ジェイドの前には、縄を解かれたばかりの男が立っている。

 レイ。そう名乗った男だ。拘束から解放されたばかりだというのに、その姿勢に乱れはない。手首には縄の跡が残っている。皮膚は擦り切れ、赤く腫れていた。普通なら痛みを隠せない。少なくとも苛立ちくらいは見せる。


 だがレイは違った。

 まるで朝起きてネクタイを締め直した程度の感覚でしかないように見える。

 その様子を眺めながら、ジェイドは内心で小さく息を吐いた。


 やはり妙だった。最初からずっと。妙な男だった。

 暴力そのものはなにも珍しくない。港湾地区には毎日のように暴力が転がっている。喧嘩屋。用心棒。流れ者。元軍人。傭兵崩れ。そういう人間なら掃いて捨てるほど見てきた。だが、この男は違う。暴れるだけなら簡単だ。倉庫に火を放つことも、構成員を撃ち殺すことも、積み荷を吹き飛ばすこともできたはずだ。しかし、この男は、レイはしなかった。


 物流を止めた。人を叩きのめした。警戒網を掻き回した。

 だが、致命傷は与えていない。それが不自然だった。


 暴力を理解している人間ほど、その不自然さが分かる。

 壊そうと思えば壊せたはずなのだ。なのに壊していない。そこには意図がある。目的がある。つまり、この男は最初から何かへ向かって動いていた。


 ジェイドは煙を吐いた。

 白い煙が天井へ昇り、照明の光の中で輪郭を崩していく。


 視線の先では、レイが相変わらず平然としている。

 敵地のど真ん中。周囲には武装した構成員。逃げ道はない。それでも警戒も焦燥も見えない。まるで予定通りに進行しているかのようだった。


「ジェイド様」


 低い声が響く。構成員の一人だった。

 ジェイドは視線だけを向ける。

 男は僅かに言葉を選ぶような間を置いた。


「本気ですか」

 短い問いだった。だが意味は十分伝わる。


「そいつを組織へ入れるという話です」


 倉庫の空気が僅かに張る。

 何人かが表情を強張らせた。誰もが同じことを思っていたからだ。

 得体が知れない。危険だ。信用できない。そして何より。ジェイド自身が誰よりも裏切りを嫌う人間であることを、彼らは知っていた。


 ジェイドは煙草を指先で回した。

 赤い火種が暗闇の中で揺れる。


「問題でもあるのか?」

「あります」


 即答だった。

 男は一歩前へ出る。


「身元不明です。経歴も不明。目的も分からない。こんな奴をサリヴァン海運に近付けるべきじゃありません」


 そこまで言って、男はレイを睨んだ。

 倉庫に沈黙が落ちる。ジェイドは数秒だけ考えた。いや、正確には考える必要すらなかった。答えは最初から決まっている。


「そうだな。……だが、だからこそオレは残す」


 その言葉に、倉庫の空気が僅かに固まった。

 構成員たちは顔を見合わせることこそしなかったが、理解できないという感情だけは隠し切れていなかった。


 得体が知れない。危険だ。だから排除する。

 それが彼らにとっての常識だった。


「得体が知れないから殺す。そんなのは誰にでもできる。本当に厄介なのは、何も知らないまま安心した気になることだ」


 煙を吐く。

 白い煙が天井へ向かって伸び、照明の光に溶けていった。


 深緑の瞳がレイへ向く。その視線に敵意はない。だが好意もない。解体前の機械を見る技術者のような目だった。


「オレは知らねえものを放置する方が嫌いなんでな……」


 静かな声だった。怒鳴る必要などない。

 この場にいる誰もが、その声の意味を理解していた。ジェイド・サリヴァンは疑う。常に疑う。だからこそ今まで生き残ってきた。裏切り者を何人も始末したのも、その疑い深さゆえだ。そして今。その疑念はレイへ向いている。


「ですが、ジェイド様。もし本当に敵だった場合は」

「――敵か」


 ジェイドは小さく呟いた。

 その言葉を口の中で転がすように。そして僅かに笑う。


「なら尚更だ。敵なら敵で面白い」


 煙草の灰が落ちる。

 灰は湿った混凝土へ散り、小さな黒い染みになった。


「オレの目の届かない場所に置いておく方が面倒だ」


 沈黙。誰も反論しない。いや、できなかった。

 それは理屈としては滅茶苦茶だったが、ジェイドらしい理屈でもあったからだ。危険だから遠ざけるのではない。危険だから近くへ置く。猛獣を檻の外へ逃がすより、自分の前で鎖に繋いでおく方を選ぶ人間だった。


 ジェイドは煙草を床へ落とした。

 革靴の踵で火種を踏み潰す。小さな音が響いた。


 そして改めてレイを見る。

 レイもまた、こちらを見ていた。くすんだ金の前髪が僅かに掛かった青い瞳。冷静な目だった。自分の命が今どこに置かれているのか、理解していない人間の目ではない。理解した上で、動じていない目だ。


 だからこそ気に入らない。だからこそ興味が湧く。

 矛盾した感覚だった。ジェイドはゆっくりと息を吐いた。


「レイ。お前、自分がどれだけ怪しいか分かってるか?」

 問いに、レイは肩を竦めた。


「自覚はある」

「結構だ。自覚のない馬鹿よりは話が早い」


 倉庫の照明が小さく明滅した。鉄骨の影が床を横切る。何処かで風が吹き込み高い天井付近で金属板が震えた。ジェイドはその音を聞きながら数秒黙る。思考しているようにも見えた。実際には、ほとんど結論は出ていた。


 レイを殺すか。残すか。

 その答えは先程のやり取りで既に決まっている。


 今考えているのは、その次だった。

 どこまで試すか。どこまで見極めるか。どこで化けの皮が剥がれるか。

 もし剥がれないなら。その時はそれで面白い。


「まあいい」

 静かな声だった。

 ジェイドの口元が僅かに歪む。


「お前にはテストを受けてもらう。それに合格すりゃ、お前の望み通り組織に入れてやらんでもねえ……」


 レイは一度だけ瞬きをした。

 驚きはない。喜びもない。まるで天気予報を聞かされたような反応だった。


「何をやらされるんだ? 強盗か、それとも殺しか」


 倉庫の空気が一瞬だけ止まった。

 周囲の構成員たちが眉をひそめる。普通ならもっと別のことを聞く。条件は何か。報酬はいくらか。いつからだ。どこでだ。


 だがレイは違う。

 まるで職種を確認するような口調だった。


「どっちでもねえ」

 倉庫の空気が僅かに揺れる。

 レイは黙って続きを待っていた。余計な質問をしない。焦って自分を売り込まない。それがまた気に入らなかった。


「護送だ」


 短く告げる。

 レイの表情は変わらない。だが青い瞳だけが僅かに細くなった。


「護送?」

「ああ」


 ジェイドはポケットへ手を入れた。

 内ポケットから一枚の写真を取り出す。写真は少し折れていた。使い回された証拠だった。無精髭を生やした四十代半ばの男。スーツ姿。港湾労働者としては珍しくない顔。ジェイドは写真を二本の指で摘まんだまま続ける。


「名はグレアム・アーチボルド。オレのところで十年以上働いていた人間だ」


 倉庫の照明が僅かに唸る。

 レイはその写真へ視線を落とした。ジェイドはその反応を観察する。驚きもない。憐憫もない。ただ情報として受け取っている。


「三週間前、積み荷の情報が外へ漏れた」

 静かな声だった。


「結果、二百万ドル相当の貨物が消えた。襲撃した連中は東側の連中だ。だが連中だけであの情報は手に入らねえ。調べると、情報へ触れられる立場にいた人間は五人。そのうち四人はシロだった。で、残ったのがコイツだ」


 グレアム・アーチボルド。写真の男は笑っていた。

 家族旅行の写真。背景には海が写っている。肩へ手を回している女。十代半ばくらいの娘。生活の匂いがする写真だった。


 ジェイドはレイを見る。

 人間は面白い。裏切り者の話になると反応が出る。怒る者もいる。軽蔑する者もいる。逆に同情する者もいる。どれだけ平静を装っていても、価値観というものは案外そういう場所から漏れる。


 だがレイは違った。

 写真を見る。男を見る。情報を受け取る。それだけだった。まるで人物ではなく資料を読んでいるような目だった。


 ジェイドは内心で小さく舌を鳴らす。

 つくづく掴みどころがない。


「グレアムは今ボストン南部で身を隠している。お前の仕事は、グレアムを探し出してオレの前に連れてくることだ。勿論、生死は(、、、)問わねえよ」


 その言葉が落ちた瞬間だった。

 倉庫の空気が僅かに張る。誰も声は出さない。だが、周囲の構成員たちの表情がほんの少しだけ変わった。


 視線を伏せる者。無意識に顎を引く者。黙ったまま息を吐く者。

 ごく小さな変化だった。だが確かにあった。レイは気付いたかもしれない。気付かなかったかもしれない。


 ジェイドは特に何も言わなかった。

 説明する必要がないからだ。


「アシは提供してやる。一週間後、ここに連れて来い」


 レイは写真を受け取った。

 指先が僅かに紙を撫でる。だが写真に映る家族へ感情を向ける様子はない。ただ内容を記憶している。顔。年齢。体格。特徴。必要な情報を頭へ収めているだけだった。ジェイドはその様子を黙って見ていた。


 隣へ立っていた構成員が小さな金属音を鳴らす。

 車の鍵だった。


「案内役だ。現地まで連れて行く。必要な情報もコイツから聞け」


 構成員は無言のまま鍵を差し出した。

 レイはそれを受け取る。礼も言わない。気負いもない。まるで仕事の依頼書でも受け取るような動作だった。


「逃しても、遅れても、お前は失格だ。結末は、言うまでもねえな」

「ああ。分かった」


 短い返答だった。

 それだけ言うと、レイは踵を返した。倉庫の巨大なシャッターの向こうでは雨が降っている。夜の港から吹き込む湿った風が足元を撫でた。


 構成員が先導する。レイは何も言わずその後ろを歩いた。

 鉄骨の森のような倉庫を横切り、重い足音が少しずつ遠ざかっていく。やがて鋼鉄製の扉が開き、冷たい夜気が流れ込んだ。雨音が一段大きくなる。


 そして二人の姿は闇の中へ消えた。

 扉が閉まる。再び倉庫へ静寂が戻った。

 ジェイドは腕を組み、閉ざされた扉をしばらく見つめる。


 グレアムを連れて帰るのか。それとも途中で逃げるのか。あるいは、正体を現すのか――まだ分からない。だが一つだけ確かなことがあった。


 退屈はしなさそうだった。



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