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The Double Feed〜潜入先のボスに気に入られました。なお、正体がバレたら即死です〜  作者: 幻翠仁


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第4話「殺す理由、残す理由」



 揺れていた。規則的ではない。舗装の継ぎ目を越えるたびに小さく跳ね、緩やかなカーブでは重力の向きだけが静かに変わる。車体の挙動は抑えられているが、それでも完全には消えていない。座席ではなく床へ転がされた身体は、そのたびに拘束された手首と足首を引かれ続けていた。


 暗闇の中で、レイは目を閉じている。

 目隠しをされている以上、開いていても意味はない。視界は最初から奪われていた。代わりに残されているのは音と振動だった。エンジンは静かだ。排気音も低く抑えられている。大型セダンか、それに近い車種。サスは柔らかく、路面の凹凸を丁寧に殺している。安価な車両ではない。


 身体が再び揺れる。縄が食い込んだ。手首に鈍い痛みが走る。後ろ手に拘束された両腕は、既に感覚が曖昧になり始めていた。縄は容赦なく締め上げられている。少し身動きを取るだけで繊維が皮膚を擦り、熱を持った痛みが走る。それは逃がさないための拘束だった。慣れていない人間が行う雑な拘束ではない。逃走を想定し、抵抗を前提に縛った手つきだった。


 レイは僅かに指を動かした。

 痺れ。血流の滞り。縄の太さ。結び目の位置。確認はする。だが、今は意味がない。無理に解こうとすれば皮膚が裂けるだけだ。だから動かない。


 焦る理由もなかった。

 車内には複数人いる。前方に二名。後部座席に一名。

 呼吸音と衣擦れだけで十分だった。誰も話さない。まるで運搬しているのが人間ではなく荷物であるかのような沈黙だった。


 車は走り続ける。十分、二十分、三十分。

 時間だけが緩やかに流れていく。やがて車体の揺れ方が変わった。路面が荒くなる。舗装道路から外れたのか、それとも整備の行き届いていない私有地へ入ったのか。タイヤの下で砂利が砕ける音が聞こえた。


 減速。右へ旋回。短い直進。そして停止。

 エンジンはまだ生きている。だが移動は終わった。


 レイは静かに呼吸を整える。外の音を聞くためだった。

 ドアが開かれる。夜気が流れ込んできた。潮の匂いは薄い。港からは離れている。代わりに鼻を刺したのは、湿った鉄と古い油の臭気だった。工場跡地。倉庫。あるいは整備施設。用途は断定できない。ただ、人の出入りが長く続いている場所特有の臭いだった。


「出せ」


 誰かが言った。酷く端的な声。

 レイの腕が掴まれる。次の瞬間、身体が持ち上がった。乱暴だった。荷物を運ぶのと変わらない扱い。足が地面から離れる。肩へ食い込む男の腕。身体が上下に揺れる。運ばれている。その事実だけが伝わってくる。


 靴音が響いた。混凝土の上ではない。金属だ。空洞を含んだ反響音。

 鉄製の足場か、搬入口のスロープか。


 数歩。さらに数歩。そして、重い音が鳴った。

 錆び付いた蝶番が悲鳴を上げる。鉄扉だった。長く手入れされていない金属特有の軋みが、耳障りな残響を引きずる。


 冷えた空気が流れてくる。

 屋内。広い空間。反響の返り方で分かる。倉庫のような場所だった。

 レイは運ばれたまま、その暗がりの奥へ進んでいく。


 音が変わる。外の風が遠ざかる。

 代わりに、自分たちの足音だけが空間の中を転がり始めた。

 広い。そして空だ。何も置かれていないのか、それとも中央だけを意図的に空けているのか。判別はつかない。


 数秒後。身体を支えていた力が消えた。

 投げられる。感覚が先に理解する。受け身を取る余地はない。拘束された身体は重力に従い、そのまま落下した。鈍い衝撃。背中。肩。肘。硬い感触が骨へ直接伝わる。肺の中の空気が押し出された。混凝土だった。冷たい。湿気を含んだ床面が、服越しにも分かるほど冷えている。


 数秒。誰も喋らない。

 ただ靴音だけが響いていた。


 レイは倒れたまま動かない。

 目隠しの向こうは相変わらず闇だ。だが、その闇の向こう側から複数の視線が注がれていることだけは分かった。観察されている。値踏みされている。品定めにも似た沈黙だった。そして、その沈黙の中心には。おそらく、この場所へ連れて来られた理由そのものが座っている。


「随分と手間の掛かる面会希望だったな」


 低い声が響く。近くもなく、遠くもない。

 広い空間の中央から発せられたような距離感だった。


「気は済んだか?」


 声だけは穏やかだった。

 怒気もない。苛立ちもない。まるで、予定外の書類が机に一枚増えた程度の興味しか持っていない人間の声だった。


 数秒後、頭上から手が伸びた。

 目隠しを固定していた結び目が解かれる。布が外され、光が流れ込んだ。視界が白く焼ける。反射的に瞼が閉じかける。レイは僅かに目を細めたまま顔を上げた。ぼやけた輪郭が、ゆっくりと焦点を結ぶ。


 まず見えたのは煙だった。

 細く立ち昇る灰色の線。高い天井へ向かって伸びるそれは、まるで空間の中心を示す標識のようだった。


 その先に男がいる。

 椅子へ深く腰掛けた長身の男。仕立ての良いチャコールグレーのスーツ。無駄のない肩の線。組まれた脚。指先に挟まれた煙草。銀色の髪は後ろへ流され一筋の乱れもない。そして、その顔を覆う黒いサングラス。レンズの向こうに視線は見えない。だが見られていることだけは分かった。空間全体が、その男の視線の延長線上に置かれている。そんな錯覚があった。


 男の周囲には数人の構成員が立っている。

 全員が武装している。だが不思議なことに、最初に意識へ入ってくるのは彼らではない。視線も空気も重心も。すべてが自然に一人へ集まっている。まるで、この倉庫自体がその男を中心に設計されているかのようだった。


 ――ジェイド・サリヴァン。

 サリヴァン海運を実質的に動かしている男。レイがこの一週間、わざわざ騒ぎを起こし続けた理由そのものが、そこにいた。


「気は済んだか、か……残念だが、まだだな」

 レイは目を細め、笑みを浮かべた。


「そうか。なら聞いてやる。金か。恨みか。それとも誰かに雇われたか」

「どれでもない」

「なら、尚更分からねえな」


 そう言いながらも、ジェイドの声音に困惑はなかった。

 指先の煙草から灰が落ちる。 灰は音もなく混凝土へ散り、薄く広がった。


 サングラスの奥にある視線は見えない。

 だが、見られている感覚だけは消えなかった。それは敵を見る目ではない。 尋問官の目でもない。品物を査定する商人の目に近かった。


「理解できねえのは、お前が暴れたことじゃない」


 煙草の先端が赤く灯る。ジェイドは灰を落とした。

 それだけだった。だが続きを急がない。沈黙が落ちる。問いを投げた人間ではなく、答えを聞く側が時間を支配している。


「港で暴れる馬鹿共なら掃いて捨てるほど見てきた。だが、お前は違う。倉庫を燃やさなかった。船も沈めなかった。人は撃ったが殺していない。物流は止めたが致命傷は与えていない。オレに会うためだったことは分かる。分からねえのは、そのためにここまで回りくどい真似をしたワケだ」


 レイは思わず笑った。それは嘲笑ではない。安堵に近いものだった。

 目の前の男は、自分が見せた結果ではなく、意図を見ている。騒ぎそのものではなく、その制限の仕方を。だからこそ価値がある。


「欲しい答えは出ている。あんたは、俺が何をしたかじゃなく、何をしなかったか(・・・・・・・・)を見ている。だから会いたくなった。価値のある人間ってのは、派手な結果より先に、その裏側を読むからな」


 倉庫の空気が静まる。構成員の何人かが露骨に眉をひそめた。拘束された男が、まるで対等な商談でもしているかのような口を利いている。だが、ジェイドだけは何も言わない。煙草の煙がゆっくりと天井へ昇っていく。


「それで? 会ってどうする」

「確認したかった。命を張るだけの価値がある相手かどうか」


 周囲の空気が僅かに張った。

 誰かが舌打ちする。だがレイは気にも留めない。


「――で、結果は」

「今のところ悪くない」


 数人が一歩前へ出た。

 怒気が混じる。

 しかしジェイドが指を僅かに動かしただけで、その動きは止まった。


「フン……面白えな」

 ジェイドは煙を吐く。


「お前、自分の立場が分かってるか?」

「ああ。縄で縛られて床に転がされてるな。……だが、殺されていない。本当に価値がないなら、俺はここにいない。違うか?」


 ジェイドの口元が僅かに歪んだ。

 笑ったのかどうかも分からない程度の変化だった。だが周囲の構成員たちが顔を見合わせる。少なくとも彼らは知っていた。ジェイドがこういう顔をする時は、相手を殺すと決めた時でも、気に入った時でもない。その中間だ。


 最も扱いが面倒な領域だった。

 ジェイドは灰を落とし、ゆっくりと脚を組み直した。


「ああ、違わねえな。だが、ひとつ勘違いしてるぜ……価値があるから殺さないんじゃねえ。価値がある奴ほど、殺すか手元に置くかを慎重に決めるんだ。そして価値があると思い込んでる奴ほど、判断を誤るってな」


 ジェイドはゆっくりと立ち上がった。

 それだけで空気が変わる。周囲の構成員たちの視線が一斉にレイへ向いた。 


 ジェイドはチャコールグレーのスーツの胸元へ手を差し入れた。

 次の瞬間、磨き上げられた銀色の金属が姿を現す。


 コルト・ガバメントM1911。

 長年使い込まれた一挺だった。ジェイドは慣れた手付きで銃を握り、そのままレイへ向かって数歩近付く。靴音が倉庫へ静かに響いた。


 銃口はまだ上がらない。

 だが、その無造作な持ち方の方が余程危険だった。この男は必要になれば躊躇なく引き金を引く。そういう人間だけが持つ静けさがあった。


「お前はオレに何をくれるんだ? 命を張る価値がある相手か確かめに来たらしいが……それで、お前自身にはいくらの値札が付いてるんだ?」


 レイは一度だけ瞬きをした。

 値札。商人らしい質問だと思った。金額。利益。損失。人間を秤に載せることに慣れた男だからこそ出てくる言葉だった。


 ガバメントはまだ下を向いている。

 だが、重要なのは銃ではない。


 ジェイド・サリヴァンが答えを待っている。

 それだけだった。レイは小さく息を吐いた。


「自分の価値を自分で決める奴は詐欺師だ。俺は違う。……だから見てもらいに来た。価値が分かる人間にな」


 倉庫の空気が静まり返る。

 ジェイドは何も言わない。

 ただ銃口だけが、ゆっくりと持ち上がった。


「――なら、証明してみせろ。今此処で」

「断る」


 額へ向けられた黒い穴を見つめながら、レイは笑った。

 構成員たちが息を呑んだ。数人が眉をひそめる。

 ジェイドだけは微動だにしない。ただ片眉を上げるだけだ。


「ほう?」

「証明ってのは売り込む側がするもんだ。だが、俺は営業に来たんじゃない。選ぶのはあんただ」


 数秒。誰も動かなかった。

 銃口はレイの額へ向けられたまま。引き金に掛けられた指も動かない。

 倉庫を満たしていた緊張は、張り詰めたまま凍り付いていた。


「……クク」


 唐突に、小さな笑い声が漏れた。

 構成員たちが勢い良く顔を上げる。


 次の瞬間、ジェイドが肩を震わせた。

 乾いた笑いだった。愉快そうでもなく、侮蔑でもない。予想外の答えを聞かされた人間だけが漏らす笑いだった。


「ククッ、ははは……!」


 ジェイドは煙草を持つ手とは逆の手を額へ当てた。

 まるで頭痛でも堪えるように、あるいは、自分でも可笑しさを抑えきれないようにも見える。


 ガバメントの銃口がゆっくりと下がった。

 倉庫の誰一人として口を挟まない。ここにいる全員が理解していた。今この男の機嫌を損ねる方が危険だと。笑い声は数秒続き、やがて静かに途切れた。


「参ったな。久しぶりだ。こんな馬鹿に会ったのは」


 そう言って顔を覆っていた手を外す。

 次いで指先がサングラスへ掛かった。ゆっくりと。本当にゆっくりと。黒いレンズが外される。初めて露わになった瞳を見て、レイは僅かに目を細めた。


 深い緑だった。夜の海の色にも似ている。

 冷たさはある。鋭さもある。だが、その奥にあったものは先程までと違っていた。値踏みは残っている。警戒も残っている。それでも。もうそこに、引き金を引く人間の目はなかった。


 レイは理解する。

 少なくとも今この瞬間、自分は生き残った。ジェイド・サリヴァンは、もう自分を敵として見ていない。価値を測る対象として見ている。そして、それはこの男にとって、命を奪うより遥かに面倒なことだった。



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