第4章「海と陸の鍵穴」 Scene19
月曜日の朝、森下さんからの返信は、出勤前に届いていた。
『十時なら少し時間が取れます。資料の扱いは、見てから判断しましょう』
最後の一文が、いかにも森下さんだった。見つかるかどうかではない。見つかったとして、それをどう扱うか。
私はスマートフォンの画面を閉じ、いつもより少し早く家を出た。
土曜日に外から見上げた本庁は、夏の空を窓に映して、いつもと違う顔をしていた。けれど、月曜日の本庁は月曜日の本庁だった。中に入ると、空調の冷気と紙の匂いが混じった空気が流れてくる。照明は白く、床はいつものように乾いていて、掲示板には期限の近いお知らせが重なっている。
同じ建物なのに、外から見るのと中に入るのとでは、まるで違う。
土曜日には、旧邑久町役場の時間が残っているかもしれないと思った。
月曜日には、その時間を探す前に、まず自分の出勤打刻を忘れないようにしなければならなかった。
現実は、詩的な気づきのあとでも、きちんと事務処理を要求してくる。そういうところは嫌いではない。こちらが感傷に沈みすぎないよう、ほどよく袖を引いてくれる。
十時の少し前、私はノートと印刷し直しておいた企画書の控えを持って、社会教育課へ向かった。
森下さんは、自分の席で資料に付箋を貼っていた。机の上は整っている。整っているけれど、何もないわけではない。
文化財関係の冊子、地域史の本、クリップで留められた照会文書、付箋の色ごとに分けられたコピー。静かな机なのに、見えないところで作業量が多いことが分かる。森下さんの机は、人柄よりも先に仕事の手順を説明してくる。
「おはようございます。休日にすみませんでした」
私が頭を下げると、森下さんは付箋を貼り終えてから顔を上げた。
「休日に送るだけなら構いません。返信は月曜にしましたので」
「はい。ありがとうございます」
そういう区切り方も森下さんらしい。
「旧邑久町役場時代の観光・文化関係資料でしたね」
「はい。三町広域観光に関わる邑久町側の控えが残っていないか、確認したいと思っています」
森下さんは、すぐには頷かなかった。机の上のメモ用紙に、私の言葉を書き留める。
「まず確認します。探したいのは、文化財資料ですか。観光資料ですか。企画調整系の資料ですか」
「そこが、まだ分かりません」
「でしょうね」
責める声ではなかった。むしろ、そこから始めるのが当然だという声だった。
「旧町時代の資料は、所管が一つとは限りません。文化財に関わるものなら社会教育側に残っている可能性があります。観光パンフレットやキャンペーン関係なら観光側。広域連携や会議体なら企画か総務。町長部局の控えに入っていることもあります。あと、個人名が出る場合は公開や利用の範囲に注意してください。山本健治さんでしたか」
「はい」
「その方の名前が出たとしても、すぐ観光資料に使えるわけではありません」
分かっているつもりだった。けれど、森下さんの口から言われると、改めて背筋が伸びる。
「見つかった、で終わらせないでください。何として残っていたかが大事です」
私はノートにそのまま書いた。何として残っていたか。
「資料は、残っていた場所まで含めて資料です」
森下さんは立ち上がり、手元の鍵を取った。
「とりあえず、社会教育課側で把握している古い簿冊と、総務に残っている旧邑久町引き継ぎ分を見ましょう。ただし、今日は確認だけです。写真を撮る場合も、あとで所在と扱いを整理してからにしてください」
今日は確認だけ。その言葉に、以前の私なら少し焦れたかもしれない。目の前に資料があるなら、すぐ見たい。見つけたなら、すぐ黒田さんに報告したい。けれど、昨日からその気持ちは少し変わっていた。早く進めることと、雑に扱うことは違う。
私たちは本庁の奥へ向かった。普段通る廊下から少し外れると、庁舎は急に無口になる。窓の少ない通路、古い掲示物の跡、扉の横に貼られた小さな管理表示。書庫の扉を開けると、紙と段ボールと、少し乾いた埃の匂いがした。
秘密の部屋、というほどではない。現実の書庫は、もっと事務的で、もっと窮屈で、もっと足元に気を使う場所だ。
棚にはファイルと箱が並び、背表紙の文字は手書きのものもあれば、古いワープロのラベルもある。年度の書き方も統一されていない。
昭和五十七年度、平成十一年、観光、文化財関係、旧邑久町引継ぎ。几帳面なのか雑なのか判断に迷うラベルが、いくつもこちらを向いていた。
「このへんが、旧邑久町時代の引き継ぎ分です。年代的に大部分は処分済みですが、まだけっこう残っているものがありますね」
書庫の奥にいた総務の職員が、棚の一角を指した。名前は何度か見たことがあるが、直接話すのはほとんど初めてだった。
「ただ、中身がラベル通りとは限りません」
「でしょうね」
森下さんが静かに答えた。総務の職員は少し笑った。
「古いものなので、扱いは注意してください。持ち出しは記録を残してもらえれば」
「分かりました」
森下さんが手続きを確認している間、私は棚のラベルを見ていた。旧邑久町。観光。文化。企画。広域。文字だけで、少し呼吸が浅くなる。
いけない。落ち着け。ここで興奮して箱を開けると、紙の端を傷めるか、自分の膝を棚にぶつける。歴史好きの熱量は、物理的にはあまり役に立たない。
「宮地さん」
森下さんが、横から釘を刺すように言った。
「感動はあとでお願いします。まず簿冊名です」
「…顔に出てました?」
「分かりやすい程度には」
私はノートを開いた。社会教育課側確認分。総務書庫旧邑久町引き継ぎ分。箱番号。棚番号。簿冊名。まずは書く。
森下さんが、ひとつめの箱を棚から下ろした。段ボールの側面には、黒いマジックで「観光・文化 昭和五十七〜五十八」と書かれている。上から何度か貼り直されたらしいラベルの跡がある。蓋を開けると、紙ファイルが数冊と、綴じ紐でまとめられた薄い束が入っていた。
「まず、表紙だけ確認しましょう」
森下さんは一冊ずつ取り出し、机代わりの台に置いた。
邑久町文化財関係照会。観光パンフレット配布記録。町内写真貸出控。広域観光関係。
最後の文字を見た瞬間、私は息を止めた。森下さんは、私の反応を見ないふりでファイルを開いた。
「昭和五十七年度、とありますね」
白い紙は、端がわずかに黄ばんでいた。紙の厚さも、今のコピー用紙とは少し違う。表紙には、古い角印の跡と、受付印らしい赤い印が残っている。
昭和五十七年度
三町広域観光連絡会
会議次第
その文字を見た時、胸の奥が小さく鳴った。ある。そう思った。でも、声には出さなかった。
森下さんが、ページをめくる。中身は会議次第だった。日時、場所、出席予定者、議題。配布資料一覧。本文資料らしいものは、そこには綴じられていない。
議題の一つに、見覚えのある言葉があった。
広域観光素材の整理について。
私はノートの上でペンを止めた。広域観光素材。図書館で見た古い冊子の言葉が、ここへ戻ってきた。あの時は印刷物の中の語だった。今度は、旧邑久町側に残っていた会議次第の中にある。
「同じ言葉が出ました」
声を抑えたつもりだったが、少しだけ上ずった。森下さんは、会議次第の余白を指で押さえた。
「ですが、これが同じ事業だとか、同じ資料群だと言うには、もう少し必要です」
「はい」
私はノートに書いた。同じ言葉。同じ事業とはまだ言えない。以前なら、この一行をつまらないブレーキだと思ったかもしれない。
けれど今は、逆だった。
言える範囲を決めてもらえることが、むしろありがたかった。足場のないところで飛ぶより、立てる場所を確かめる方が遠くへ行ける。
会議次第の配布資料一覧には、いくつかの項目が並んでいた。
観光素材共有一覧(案)
各町写真資料提供状況
広域観光モデルルート案
町別文化財・観光施設一覧
そのうち、ファイルの中に残っていたのは二つだけだった。観光素材共有一覧(案)。各町写真資料提供状況。
「全部は残っていませんね」
「はい。会議次第だけ残って、配布資料が抜けていることもあります。逆もあります」
「なぜですか」
「必要なものだけ抜いて別の担当者が持っていったのかもしれませんし、後年に整理された時に一部だけ残ったのかもしれません。理由は、資料から分かる場合と分からない場合があります」
森下さんは淡々と言った。資料は、残っているだけで物語になるわけではない。残っていないことにも、理由があるかもしれない。でも、その理由を勝手に補ってはいけない。
私は頷き、観光素材共有一覧の表を見た。印字は薄い。ところどころコピーのかすれがある。けれど、表の形は残っていた。列には、町名、素材名、区分、写真資料、担当、備考。
牛窓町。港湾風景。島嶼部。海水浴。観光ポスター。黒島周辺。
長船町。備前福岡。刀剣関係。市場小路。街道関係。文化財。
そして。
邑久町。夢二関係。古墳・古代史関係。農産物。文化財案内。町内写真資料。
私は、その行から目を離せなかった。昭和五十七年の紙の中で、邑久は薄くなかった。
牛窓、長船、邑久。三つの町が、同じ表の中に並んでいる。きれいに整っているわけではない。区分も少し荒い。表記も揺れている。備考欄には鉛筆の小さな書き込みもある。それでも、邑久は「生活文化」という薄い言葉に押し込められてはいなかった。昨日までの私の企画書より、ずっと厚い。
私はノートの端に、小さく書いた。
薄かったのは、邑久ではない。
そこまで書いて、ペンを止めた。続きは書かなくても分かった。薄かったのは、私だ。
「宮地さん」
森下さんの声で、顔を上げる。
「大丈夫ですか」
「大丈夫です」
「表を見て、感情が動くのは分かります。でも、そこから先は慎重に」
「はい」
感情が動く。その言い方が、少し意外だった。森下さんは、感情を否定しない。ただ、感情が資料の扱いを追い越さないようにする。
次に森下さんが開いたのは、「各町写真資料提供状況」と書かれた薄い束だった。
こちらはさらに事務的だった。町名、資料種別、点数、提供・整理担当。備考欄。何度かコピーされたのか、文字の輪郭がにじんでいる。
牛窓町の行に、私はその名前を見つけた。
牛窓町役場観光係
山本健治
写真資料提供・整理
声は出なかった。今度は、声を出すべきではないと思った。名前はあった。けれど、見出しではない。主役でもない。牛窓町、長船町、邑久町。それぞれの担当者名が並ぶ表の一行に、山本健治はいた。
資料室のポスター裏では、鉛筆の文字だった。図書館の冊子では、写真提供・協力という活字だった。田原さんの口の中では、「役場の山本さん」「写真の山本さん」だった。
そして今、旧邑久町側の控えの中で、山本健治は「写真資料提供・整理」として出てきた。近づいた。でも、偉くなったわけではない。むしろ、普通の仕事の中に戻ってきたのだと思った。
「これで」
森下さんは表を見ながら言った。
「山本健治さんが、広域観光関係の写真資料整理に関わっていた可能性は高くなりました」
「…断定はできないですね」
「はい。断定できる範囲を広げるには、もう少し資料がほしいです」
私は、ノートにそのまま書いた。可能性は高い。断定ではない。もう一枚必要。
もう一枚。行政資料は、ときどきひどく慎重だ。こちらが抱きしめたいほどの発見をしても、冷静に「もう一枚」と言ってくる。けれど、たぶんその慎重さが、人を勝手に物語へ押し込めないための手すりになる。
「広域観光モデルルート案は残っていないんでしょうか」
私は配布資料一覧に目を戻した。
「会議次第にはありますが、このファイルには見当たりませんね」
森下さんは箱の中をさらに確認した。別の薄い紙束が出てくる。表紙はなく、上の方に「別紙二」とだけ書かれていた。
「別紙二…」
「一はありませんね」
森下さんが言った。淡々としているのに、少し残念そうにも聞こえた。
別紙二の文字は薄く、ところどころ読みにくいけど、断片的な語は拾えた。
牛窓。福岡。邑久。海。街道。文化財。半日。一日。ルート図ではない。全体も分からない。別紙二だけでは、何の案だったのかも確定できない。それでも、三つの町の名前が、同じ紙の上にあった。
私は息を吐いた。嬉しい、というより、静かに重かった。四十年以上前の紙が、こちらの企画書より先に、三町を並べていた。そんなふうに思ってしまいそうになる。でも、まだ言えない。ここにあるのは、会議次第と一覧と別紙二だけだ。実施されたかどうかも、どんな意図だったかも、誰がどこまで関わったかも分からない。
「言えることは増えました」
森下さんが、私の考えを読んだように言った。
「でも、言えないことも増えました」
「はい」
その言葉を、今度は素直に受け取れた。言えないことが増えるのは、失敗ではない。
資料を丁寧に見れば、確定できることと、できないことの境目が増える。その境目が増えるほど、雑な物語にはしにくくなる。言えないことを残すのは、負けではない。言えないまま売る方が、たぶん負けだ。
森下さんが、資料の右上を指した。
「課長補佐に見せるなら、せめて資料名、所在、簿冊名、確認日、現時点で言えることと言えないことをまとめてください」
「今日の午後に出します」
「急がない方がいいです。急いで雑になるより、明日きちんと出した方がいいです」
「…はい」
即答した自分が少し恥ずかしかった。まだ、見つけた熱で走りたくなる癖は残っている。
「それと、写真を撮るなら、まず所管と扱いを確認します。個人名が入っているので、共有範囲にも注意してください」
「分かりました」
「観光利用は、そのあとです」
「はい」
観光利用は、そのあと。その順番を、私はノートの上で丸で囲んだ。
資料を見つける。扱いを確認する。言える範囲を決める。それから、観光の言葉にする。順番を飛ばさない。
それは、道標らしき石造物にも、黒島と潮の道にも、山本健治にも、夢二にも、邑久にも必要なことだった。
森下さんと一緒に資料を元の順に戻し、確認した簿冊だけを一時的に別置きする手続きをした。総務の職員が記録欄に日付と目的を書き込み、私は自分の名前を記入した。そして、その横に、「旧邑久町観光・文化関係資料確認」と書く。自分の名前が、古い資料の出納記録に並んだ。そのことに、妙な緊張を覚えた。
私は誰かの資料を読んでいるだけではない。読んだ記録を、次の誰かに残す側でもある。
書庫を出ると、廊下の明るさが少し眩しかった。白い照明の下で、手元のノートを見返す。
三町広域観光連絡会。
広域観光素材の整理。
観光素材共有一覧。
牛窓町役場観光係、山本健治、写真資料提供・整理。
邑久町、夢二、古墳・古代史、農産物、文化財、町内写真。
別紙二。
牛窓、福岡、邑久、海、街道、文化財。
十分ではない。でも、空想ではない。
私は自席に戻ると、黒田さんの席の方を一瞬見た。すぐに持って行きたい。見つけました、と言いたい。三町は、やっぱりつながっていました、と言いたい。
でも、それはまだ早い。三町をつなごうとした人たちは、いたのかもしれない。
山本健治は、その中の一人だったのかもしれない。
邑久は、最初から薄い町ではなかったのかもしれない。
その「かもしれない」を、観光の言葉にするには、まだ足りない。
私はノートを閉じた。
まずは、言えることから始める。
それが、古い記録に対して、今の私ができる最初の仕事だった。




