第二十九話
人の日常は続いていく。人が生きている限り。
そして、日常を続けるという事は、どうしても【慣れ】が発生する。生きていくために、社会性を保つために、これは大きな問題ではないんだと、心を守るために。
ソウソウ学科Aチームの卒業試験において、重大インシデントが発生した。試験を受けた生徒が死亡したのだ。
死亡したのは以下の生徒である。
パトロール担当フウカ。
ガード担当シュウジ。
スナイパー担当アオイ。
そして、彼らを率いたリーダー、ヤマト。
彼らの死は、ある意味不幸な事件であった。彼らの輸送ルートに突如ワイルドの軍勢が待ち構えていたのだ。最悪な状況下であったにも関わらず、彼らは諦めることなく果敢に戦い、最善を尽くし、遂には依頼を達成した。司令部には情報を、後に続く生徒たちには大きな教訓をもたらしたこの事件は、多摩川島から箱根島の輸送だったため【TM事件】と呼ばれることになる。
司令部は彼らの功績と栄誉を讃え、島の人々は若き命が失われたことに深い悲しみに胸を絞めつけられた。
だが、悲しみはいずれ過去となり風化する。どこかで折り合いをつける。なぜなら、島と島の間を行き来する輸送業者という仕事は、常に命の危機にさらされる仕事だから。だからこそ、この仕事に人を送り込む訓練学校の学科は【葬送学科】と陰で揶揄されるのだ。
商店街の端の一角に、小さなパン屋がある。三年ほど前に、訓練学校を卒業した生徒がパン屋をオープンした。その店はもともと老夫婦が営んでいたが、店主である夫が亡くなり、妻は息子家族と一緒に暮らすために店を手放していた。限られた資源しかない島で空き店舗を遊ばせておく余裕はないため、どうするかと島を管理する運営会議が開かれた際、司令部より食品加工科の卒業生にどうか、と提案があった。輸送を主に担当する司令部から珍しい提案だと会議に参加した者たちは思ったが、反対する理由もないため、卒業生に店を譲渡した。
卒業生が開いた店は、食パンやバゲットの他、貴重なフルーツや砂糖を用いた菓子パンもあり、そこそこ人気を博している。
そのパン屋に関して、面白い噂がまことしやかに流れていた。
店内には一席だがイートインスペースが存在する。店内にあるパンを買って食べることができるのだが、特殊な注文の仕方によって、特別なメニューが提供されるらしい。
噂を聞きつけた何人かが色々と挑戦したが、店主は困ったように笑うだけだった。結局、三年経つ頃には噂の事を皆が忘れ去っていた。
「いらっしゃいませ」
夕方。店内のパンがほとんど売れたパン屋に、客が一人訪れた。客はパンが並べてある棚を一瞥もせず、イートインスペースにある椅子に、やや乱暴に腰を落とした。そこでようやく店内を見渡し、自分以外誰もいないことを確認する。
「ご注文は?」
店主が客に尋ねた。
「かけうどん。ひやで」
「トッピングは?」
パン屋でうどんを注文するというあり得ない客に対し、しかし店主は慌てることなく、どころか質問を重ねた。
「ネギとしょうが、ああ、あとたまご追加」
店主は頷き、閉店作業をしていた店員に視線を向ける。店員もわかっていて、すぐさまブラインドを下ろし、鍵をかけ、クローズの札を窓に取り付けた。店内の明かりを落とし、イートインスペースの周囲だけスポットライトが当たる。
「なあ、このやり取り本当に必要か?」
客、ユウキが呆れたように顔なじみの店主に言った。
「様式美は必要だよ。合言葉に裏メニュー。そこで、パン屋の裏の顔が明かされる、という流れは大切だ」
「裏の顔もくそも、正体を知っている人間からしたら滑稽でしかないぜ。なあ?」
彼女が声をかけた先には、無表情の看板娘リンネがいた。
「今の私の主はタイチです。彼の指示であるなら、私は応えましょう」
「主じゃなく、店主、雇用主ね。あと、世間的には、君は僕の妹という事になってるからね」
「わかりました。タイチ」
本当にわかっているのか疑わしいが、本人はいたってまじめなので、深くは追求しない。
「まあ、仲良くやってるようでよかったわ」
二人のやり取りを見ながら、ユウキは小さく笑った。
真相を知る彼らは、TM事件の後、一時的に司令部によって拘束された。
事件のことを口外しないという誓約書を記入し、また司令部が用意した筋書きの通り振舞うことを条件に、解放された。
そして、マテリアルの残した技術にアクセス権限を持つリンネも、司令部から解放された。あれだけ欲しがっていた彼女の能力をあっさり手放したのには理由がある。
多摩川島に帰島後、どれほど調査し、何度アクセスを試みても、リンネの能力は発揮されなかったからだ。
島の科学者総出で調査した結果、旧大島で施設を起動させたばかりか、構造を無理矢理変化させた負荷により、何らかの不具合が生じてしまっている。司令部が期待した性能は全く発揮できないだろう、と結論づけた。
力が使えなくなったからと言って、利用価値が無くなったわけではない。彼女がマテリアルに接続できがという実績が、別の島の人間に知られてしまう可能性は充分にある。裏切者やスパイが島の中に隠れていることは実証されているからだ。
司令部は、タイチに店を持たせ、そこにリンネを預けてまとめて監視することにした。
彼女が力を使用したのは旧大島での事件の時。あの時と同じようにタイチやユウキと行動を共にすることで、何らかの影響を与えるかもしれない。司令部は淡い期待を持っていた。
加えて、試験で見せたタイチの経験をみすみす無駄にするつもりはなかった。危機的状況においては、成績トップクラスだったヤマトを凌ぐほどの洞察力を持つ彼を、あわよくば取り込みたかった。仮に襲撃等で巻き込まれて死亡しても、秘密を知る人間を効率よく処分できる。
いわば、外部の敵対勢力に対する囮として使うことにしたのだ。
ゆえに、彼の店は商店街の端で、爆発等発生しても他の店舗設備に影響が出にくく、監視しやすい場所にある。
「随分出世したみたいじゃないか」
ユウキにうどんを提供しながら、タイチは言った。いただきます、とユウキは箸を手に取り、まずはそのまますする。腰のある、のどごしの良い麺が口の中で踊る。トッピングを追加して味変する。
「歴代最年少なんだって? その若さで全輸送チームの統括責任者とはね」
「茶化すなよ。権力者の言う事を大人しく聞いてたら貰えた餌みたいなもんだ。私の功績じゃない」
「そんなに卑屈になるなよ。ここに来る生徒たちは、皆君に憧れている。絶望的な状況から生還し依頼を達成した伝説のガード、今なお最前線で戦うエース、島から島への新たなルートを切り拓いてきた英雄だとね」
「現実と事実を知ったら、幻滅しちまうだろうねぇ」
たまごのマイルドさを突き抜けて、ネギとしょうがの辛さが沁みた。




