第十五話
『タイチ、すぐに輸送車の中に戻ってくれ』
アマギからの指示が入った。この状況で戻れとはどういう神経だとは思ったが、有無を言わさぬ迫力が言葉にあった。ユウキの方をちらと見ると、彼女は頷きを返した。
「何か策を思いついたんだろ。行ってこい。ここは死守する。刺し違えてもな」
「それは、困る。ヤマトとシュウジが大変な今、君が最大戦力だろ。僕らのためにも、死守して無事でいてくれ。出来れば倒してくれると嬉しい」
「無茶言いやがる」
獰猛に彼女は笑い、タイチが天板に置いておいた重火器でムカデをけん制する。それを見ながらすぐにハッチから梯子を降りる。降りた先には既にアマギが先着し、機材を用意していた。
「それは?」
声をかけると、振り返りもせず彼は答えた。
「試作段階の大口径ライフル、対物ライフルだ」
話だけは聞いていた。強化スーツを着てようやく取り回せる高火力の銃だと。自分が持つスナイパーライフルより一回りは大きく、火力の高さを容易に想像させた。だが、確かそれは。
「ああ。まだ、アンチを組み込む弾丸がない」
「そんなもの、あの化け物どころか普通の奴にも」
「頼む、ここは僕を信じて、手伝ってくれ」
必死な形相にタイチは口を閉じ、組み立てを手伝う。その間に、アマギは全員に対して作戦を伝える。無茶な作戦だが、無茶でもしないと窮地を脱しえない状況なのは全員が理解していたし、現状唯一光明の見える作戦だった。
タイチが対物ライフルを抱えて戻ると、接近するムカデの牙を籠手で殴り返すユウキの姿があった。既に敵の間合いに輸送車は入っていて、一刻の猶予もなかった。
『リコは今指定したルートを全力で走ってくれ。絶対ルートを外れるなよ。数十センチのズレで死ぬのは僕たちだ』
アマギの声が聞こえる。エンジンの回転数が上がり、輸送車の振動が足元を伝う。
『ユウキはそのまま牽制を続けてくれ。ただし、こちらの意図を悟られないよう、付かず離れずの距離を保ってるよう気を配れ』
火花が散り、金属的で耳障りな悲鳴と共に輸送車に傷が入る。しかし、致命傷には至らない。ぎりぎりのラインを死守する。
『タイチ、一発勝負だ。お前の腕にかかってる』
汗が伝い、目に入っても、瞑ることができない。呼吸を止め、この緊迫した状況で心拍すら押さえ、石造のように動かない。ただ、その時その為だけにあつらえた砲台と化す。
――――――――――
ムカデは判断する。
目の前でコバエのように飛び回る個体は、小賢しくもこちらの攻撃をいなしてはいるが既に満身創痍。その後ろで何やら別個体が明後日に銃口を向けて、ピクリとも動かない。恐怖で正気を失ったのだろうか。
唯一の不安点は、今自分たちがいる場所。ワイルドとマテリアルの領土の境界線であることだ。たとえムカデの実力が高かろうが、マテリアルに目を付けられるのは避けたいところだ。可及的速やかに目の前の連中を排除しなければならない。
そして、それは自分にとって不可能なことではない事だと確信する。
決着をつけるために速度をさらに上げた。疲れを知らず、怪我や病から解き放たれた体が万能感をムカデに与える。人間であったころの不安は既に過去のもの。今や自分は人を超越したばかりか、ワイルドの中でも上位個体となった。その沽券にかけても、必ずやワイルドにとって後の障害となりそうなものを確実に排除していく。
足搔く車を追う。距離は更に縮まり、必殺の間合いへ至る。連中の必死さは、哀れを通り越してもはや滑稽だ。見るに堪えず、引導を渡すのが温情のようにも思えた。
【ここまでよく頑張った。だが、これで終わりだ】
三つの頭が、バラバラの方向から攻撃を仕掛ける。避けようのない死が、連中の命を刈り取ろうとする。
瞬間、これまで全く動かなかった個体が反応した。トリガーを引く。轟音とともに銃口から弾が発射される。だが、明後日の方向を向いているのだから当然、ムカデの脅威足りえない。とうとう発狂したのかと意識が逸れる。
それを隙と見たか、車が突如方向転換した。急激な方向転換に車体が傾く。飛び回っていた個体が反対側に飛びつき、バランスを取っている。バタン、と車体が元に戻り、輸送車は急加速する。
【馬鹿め、奇をてらったつもりか? その程度で逃げられるわけが】
ムカデの声が、爆音でかき消えた。突如発生した異変にムカデは足を止め、思わず音がした方角を見る。
巨大な異形が、土の中から現れる。頭部には特徴的な四枚のプロペラが存在した。プロペラは扇風機のように高速で回転しながらも、それ自体が毎秒数万回振動しており、触れた物を粉微塵に切り刻む。加えて。
【ぬ、うおおおおおお!】
ムカデは生まれて初めて狼狽の声を上げた。自身の足元が脆く崩れ、傾斜となったのだ。これも異形の仕業である。プロペラだけでなく、地中深くに残っている本体が震えることで、半径五百メートル超に及ぶ地盤を砂塵に変え、流砂となって中心部へと流れ込んでくる仕掛けとなっている。
人類がその機能から『アリジゴク』と呼ぶ、マテリアルの対集団用戦闘兵器が起動し、己の周囲を飲み込もうとしていた。
ここにきて、ようやくムカデは悟る。コバエがこちらの周りをうっとおしく飛び回っていたのも、狙撃が明後日の方向を向いていたのも、輸送車が届きそうで届かなかったのに、急にこちらの間合いに入ってきたのも、全て奴らの罠だった。
届きそうで届かない距離に標的がいれば、あと少し、あと少しと欲が出てこの位置まで追ってくると踏んだから。周りを飛び跳ねていたのは、周囲の景色からアリジゴクの存在を悟られないようにするためだった。銃撃は倒すためではなく、派手な衝撃と音でアリジゴクを強制的に起動させるためだった。
流砂となった斜面を輸送車とムカデは駆けあがっていく。
無数の細い足は、固い地面を蹴って駆けるには適しているが、細かな砂の上を走るにはあまりに尖りすぎていた。どうしても重量によって先端が砂の中に埋没し、体を押し出すための踏ん張りも効かない。
対して輸送車は幅広のタイヤが砂を噛んで捉え、また平たい本体がサーフボードのような役割をすることで砂に飲まれないようにしている。
ムカデと輸送車の距離が徐々に離れていく。
【逃がさない、逃がさない、逃がしてなるものか!】
絶対に奴らは逃がさない。ワイルドの脅威になるものは必ず滅ぼす。新たに組み込まれた本能が叫ぶ。だが、体の重さはどうにもできず、アリジゴクの方へと引きずり込まれていく。
ならば。
覚悟が決まれば、後はやるだけだ。
――――――――――
ムカデとの距離が開いていく。その光景に、ホッと胸を撫でおろした。隣ではユウキが天板にへたり込んでいる。流石の彼女も、今回ばかりは疲れ切った様子だった。準備が整い、作戦地点に到達するまで、掠っただけで致命傷を受けるムカデの相手をしていたのだ。体力も精神力も削れに削れたことだろう。それでも戦い抜いた。
仰向けに寝ころんでいた彼女は、あぁあ、と大きな声を出して、こちらにちらと顔を向け、拳を突き出した。言わんとすることを理解したタイチは、その拳に自分の拳を当てる。
何とか、逃げ切った。
「ふぅあぁあ」
輸送車内でも、アマギが安堵の吐息を拡散させていた。離れて行く敵影をモニターで確認する。明らかにスピードが落ち、どころか流砂の中心へと流されていく。対して、輸送車は微速ながら徐々に流砂の外へと向かって前進している。この調子で安全圏に出てしまえばこっちのものだ。アリジゴク本体は移動することは滅多にない。そのアリジゴクのおかげで道が完全に途絶えたため、ムカデ以降のワイルドからの追撃も押さえることができる。モニターを見れば、巨大なアリジゴクの反応と飲み込まれていくムカデの反応しかなかった。
これで一息付ける。安心し、椅子に背中を預けようと持たれた時だった。
ムカデの反応が、急に分裂した。アリジゴクのプロペラで切断されたためかと推測したが、中心部から離れた小さな反応は更に距離を取り、輸送車の後方へと迫ってくる。
「ユウキ、タイチ! 警戒してくれ!」
『ユウキ、タイチ! 警戒してくれ!』
ユウキはアマギの声に、仰向けから体を跳ね上げ、宙返りから着地し、膝立ちで備えた。タイチもスナイパーライフルを構え、輸送車の後方に視線を向ける。まさか、ここから更に新手か、と緩みかけた神経と緊張の糸を無理矢理手繰り寄せて、今一度締め直す。
「アマギ、どこから来る?!」
視線を周囲に巡らせながらユウキが尋ねた。
『反応は、え、どうして、嘘だろ』
「何だ。ちゃんと言え!」
『いつの間にか挟まれている。左右から、来るぞ!』
アマギの言葉が終わると同時、砂が盛り上がり、ムカデの首が飛び出した。リコがワザとスピードを落とし、ブレーキをかけた。停止した輸送車の前方をかすめるようにして、ムカデの顎が横切っていく。見届けて、彼女は輸送車を急発進させる。ムカデは再び土に潜り、輸送車の後を追尾している。
「アリジゴクで自分の体をワザと切断したってのか!」
ユウキが驚愕した。彼女たちの目の前に飛び出したムカデは、胴体の大半が失われていた。しかも体中からケミカル色の粘液を出していた。その粘液に砂が多量に付着している。ムカデに毒があることは判明しているから、その毒液なのだろう。残った足と足の隙間にも砂が付着して固まり、水かきのような形状になっていた。
ワザと全身から毒液を噴出して、砂の中を泳いできたのか。だが、あんな状況を続ければ、ムカデだってただでは済まない。
体を千切り、命を削ってでもここで輸送車を破壊するという執念を感じた。
『絶対近づけるな! 首だけとはいえ、輸送車クラスだ。ぶつけられただけでクラッシュする。流砂に流され一巻の終わりだぞ!』
ぐるぐると輸送車の周りでタイミングを窺うムカデの影を、波のようにかすかに盛り上がる砂、タイチはその砂の盛り上がりに向けて対物ライフルを撃つ。衝撃で砂が飛び散り、砂上に何かが浮き上がる。ムカデの外殻の一部だ。体を削っただけで、本体はいまだ健在のようだ。
盛り上がりが、突如消えた。
『油断するなよ。近くにいる』
アマギが言った。
『地中に複数の反応がある。多分ムカデの剥がれた一部だ。そのせいでセンサーが上手く働かない。半径二十メートル以内なのは間違いないんだが』
フウカがいればもっと精査できるのに、と後悔と無念を口にする。
「どこから、来る」
タイチが銃口をさ迷わせる。対物ライフルを当てれば勝ちだ、と言い聞かせ。自分が有利なんだと焦燥感を押さえこむ。
ユウキとタイチは背中合わせになり、死角を可能な限り減らした。
『急接近する反応あり!』
アマギの声と同時、前方の砂が盛り上がった。ムカデの頭が衝突コースで突っ込んでくる。
「くそがぁあああああ!」
ユウキがフロントを蹴って飛んだ。空中で縦に一回転し、ムカデの脳天にダブルスレッジハンマーを叩き込んだ。毒が飛び散り、付着した強化スーツから嫌なにおいと小さな煙がいくつも上がる。ムカデを殴った反動で、ユウキの体は空中に跳ね上げられ、重力を思い出して落ちていく。
だが、成果はあった。ムカデの頭がガクンと下がり、顎が地面に接触した。前進していた運動エネルギーのせいで砂を掘るように沈んでいく。
沈んだムカデの胴体にタイヤが乗りあげる。ガタガタと車体を揺らしながら輸送車は走る。
「ユウキ!」
落ちてくる彼女に、タイチが手を伸ばす。が、届かない。
「こんのぉ!」
体を乗り出し、腕を伸ばし、さらに対物ライフルを突き出す。バレルに伸ばした彼女の指が引っかかった。雲梯の要領で車体に戻ろうとしたユウキの目が見開かれる。
「後ろだタイチ!」
肩越しに振り返ると、車の左側から二本目のムカデが迫っていた。
「しっかり掴まってて!」
「は? はぁああああ?!」
ユウキが掴まったままの対物ライフルを強引に振り回し、構える。
「耳塞いで!」
彼女の返答も聞かず、発砲した。弾丸は一直線にムカデの頭のど真ん中に突き刺さり、弾き、のけぞらせる。ムカデの体がひっくり返り、そのまま流砂の中へと落ちた。
「馬鹿野郎この野郎、無茶苦茶しやがって」
車に這い上がってきたユウキが毒づく。
「ごめん、緊急だったんで」
「まあ、いいさ。何とか生きてるし。流石に今度こそ」
砂が舞い上がった。輸送車の真後ろだ。ムカデの首はもう一本あったのだ。先に二本しか見せなかったのは、油断を誘うための罠だった。舞い上がった砂が呆然と見上げている二人に落ちてくる。
【マテリアルの手先め、死ねぇええええええええ!】
覆いかぶさってくるムカデに、二人は反応できない。
ばん、と輸送車のバックドアが開く。
「させ、るかぁっ!」
盾を構えたシュウジが飛び出した。渾身の体当たりを食らわせる。一人と一匹がもつれあって流砂の上に転がる。
「シュウジ! リコ、シュウジが落ちた、車を」
「止めるな! リコ、行け!」
ユウキの言葉を遮ってシュウジが叫ぶ。
【貴様ぁあああああああ!】
ムカデが体を振って、しがみつく邪魔者を排除しようとする。しかし、シュウジは巧みな体さばきで躱し妨害する。彼らの姿が流砂によって徐々に遠く離れていく。
「駄目だ、シュウジ、一人でいかせねえぞ。おい何してる。リコ、車を止めてくれ」
『だめだユウキ、止めたら車が沈んで、流砂に引っ張られる。こいつは俺に任せて先に行け』
シュウジの声が通信機から聞こえた。
「お前をおいていけるわけないだろ。リコ、頼むから車を」
『全員を殺す気か!』
シュウジの剣幕に、ユウキが口ごもる。
『最後まで、同行できなくて悪い。後は任せた』
声が終わる。センサーから、ムカデの反応が消える。
何もかも飲み込む流砂の上を、慟哭が滑っていく。




