第十四話
木の幹を蹴って飛んだムカデが、斜め四十五度の角度で落ちてくる。
「リコ、全力で飛ばせ!」
シュウジの指示に反応して輸送車が急加速した。彗星の如く落ちて来たムカデの足が輸送車のバンパーをはぎ取る。ムカデの勢いは止まらず地面を抉り、土煙を上げた。走っていた慣性が働き、胴体は止まらず周囲の木々をなぎ倒していく。シュウジが指示しなかったら、リコの加速が少しでも遅れていたらどうなっていたかと、タイチは青ざめた。
【待ぁてぇえええええ!】
土煙を切り裂いて、ムカデが這い寄ってくる。生理的嫌悪感と視覚的恐怖を与えるフォルムが急速に近づいてくる光景は、人間を硬直させるのにうってつけだ。
「タイチ、撃て!」
バン、と肩を叩かれる。ユウキだった。彼女もまた、予備のハンドガンを乱射していた。ガン、ガンと胴体で火花が散る。ハンドガンと言っても、生身の人間が扱えば肩が外れるほどの衝撃が生まれる大口径の銃が弾かれていた。舌打ちとともに彼女は弾倉を取り替える。
叩かれた肩の熱が全身に伝播し、タイチの心臓を動かす。冷たくなった手足に血が巡り、いつも通り、手慣れた動きで弾丸を装填できた。狙いを定める。
「う、ぁ、あああああ!」
スコープ越しに見る醜悪な人相に向けて、弾丸を放つ。七.六二ミリの弾丸が過たずアオバだったものの額に命中した。真ん中の首が大きくのけぞり、わずかにスピードが落ちる。
「やったか?!」
シュウジが期待半分で確認する。が、期待は簡単に裏切られる。
ムカデの足は更に速度を増し輸送車を射程圏内に収める。左右の首が輸送車を挟む形で並走し、タイミングを見計らって襲い掛かってきた。
「ハンドルを右に切れ!」
『急に言わないでくれる?!』
無茶なシュウジの要望にリコが応えた。地面の凸凹をワザと踏んで、タイヤを軋ませ車体の左側が浮く。横転するギリギリのところで耐える輸送車は、あり得ない角度で右方向に曲がっていく。
左側から来た首はすんでのところで躱す事が出来た。しかし、右に行けば当然、右側から来る首に輸送車から突っ込むという図式になる。
アオバの母だったものの皮膚を、内側から飛び出した顎が引き裂いた。開いた顎が輸送車を縦に挟み、噛み千切らんと一息に閉じる。
顎と輸送車の間に、シュウジが割り込んだ。挟みこまれる前に上から迫る右顎の先端に盾を当て、上下左右に滑らないよう、顎が動く方向の正反対へと押し込んだ。
火花を散らして、ムカデと輸送車が互いに逆方向へと弾かれた。
ガチン、とムカデの顎が空を切り、押された方へ首が流れる。
足場にしていた車がぶつかり合った力に押される。浮いていた左側が地面にランディングし、車体が揺れハンドルがとられる。それでも輸送車は無事に存在し、再び距離を開くことに成功した。
代償を、支払いながら。
「っづ、ぅ」
シュウジが蹲る。車から落ちそうになるのをユウキが支え、すぐさま彼の体を観察する。左わき腹から胸にかけて、いびつな裂傷があった。下から来た左顎の先端がかすめたのだ。
「おい、しっかりしろ! シュウジ!」
彼の顔には汗がびっしりと浮かんでいた。そのくせ、体は細かく震えている。傷口は強化スーツのおかげかそこまで深くはない。なのにこの苦しみ方は。
「毒か」
ユウキは顔をしかめた。ワイルドもマテリアルも確実に相手を滅ぼすために、当たり前のように傷つける部分に毒を仕込んでいる。ただその毒は、相手に特化した反応を見せる毒のため、人間への効きはそこまで高くない。連中にとって、人間とはもはや歯牙にかける価値もないからだ。
その人間を傷一つで行動不能にするほど、高い毒性を持つということか。ならば他の部位、足先や尻尾にも当然あるだろうし、体液にも注意を払わなければならない。
シュウジを車内に無理矢理戻し、彼女は叫んだ。
「アマギ、脱出まであとどれだけかかんだよ!」
天板に残されたシュウジの盾を握りしめながら考える。
これ以上シュウジが戦うのは無理だ。かといって、自分にはシュウジのように相手の力を殺し盾でいなして防ぐ、というような真似事はできない。また、真正面から挑んで倒すことも叶わないだろう。自分の実力と相手の実力の比較、客観視がユウキにはでき、見た手におおよそズレはない。
万全の体勢、ヤマトの戦術と指示があり、シュウジとタイチが揃ってようやくスタートラインに立てるかどうかの相手。現状の戦力でまともに戦うのは自殺行為、逃げ切るのが最良の手段だと彼女は判断した。
『ワイルドの領域はとっくに飛び出してる!』
アマギの言う事を証明するように、深かった森の木々の背丈はいつの間にか縮んで光が入り、視界は開けていた。道も木の根が減ったからか凹凸がなくなり、タイヤが地面としっかり噛みあってきてバウンドすることなく走れている。
「なのに、追っかけてくるってのかよ、話が違うじゃねえかクソが!」
『ここは過去に両陣営がぶつかった戦場で、今はけん制しあうグレーゾーン、緩衝地帯だ。おそらくあのムカデの存在は、すでにマテリアルの警戒網に引っかかっている。普通は哨戒機に遭遇、発見される前に撤退するはずなのに』
「こっちを追いかける特別な理由が、ある?」
呟きながら、ユウキは思い出す。ムカデが襲ってくる直前言っていた。こちらに向かって【ワイルドに仇なす兵器】と。
そんなもの、弱小人類陣営が持っているはずがない。確かに使っている技術にはマテリアルのものも組み込まれているが、過剰反応するほどのものなどない。何かを勘違いしているのか、それとも。
【逃がさないと、言ったはず】
真ん中の首が再び元の位置に戻る。額に大きく抉れた痕があるが、意に介さずアオバの顔で化け物は告げた。アンチが回りきる前に傷口周辺を自死させ、抉り取ることで防いだのだ。
スナイパーライフルの弾丸でも致命傷を与えられず、ハンドガン程度では固い外殻に弾かれてしまう。車を降りて近接戦に持ち込んでも、有効打を与えられる可能性は低い。対して、向こうは掠れば勝ちの毒を持つ、力も速さも何もかもが人間を遥かに凌駕する化け物。
頼みの領域外まで逃げれば勝ち、という勝利条件も、マトリクスとの衝突の危機すら顧みない追跡によって失われた。
人間の絶望などお構いなしに、ムカデが速度をさらに上げた。他の首と同じようにアオバの皮膚が内から裂け、巨大な顎が現れる。
鎌首をもたげ、次の瞬間、加速付きで顎を突き出してきた。ユウキはとっさに握っていた盾を投げつけた。顎の間に挟まった瞬間、開いていた顎は閉じ、盾はかかる圧力によって一瞬の均衡を保った後、砕けた。
盾の犠牲のおかげで、致命的な一撃は免れた。ムカデの速度もわずかに落ち、輸送車との距離が生まれる。わずかではあるが、時間が稼げた形になる。
一分にも満たないほどの時間で、絶望に抗う術を見いだすしかない。
天板にいる二人ほどではないが、輸送車内のアマギたちにも絶望感が漂っていた。それでも、死にたくないから、生き残るために必死で今できることを模索している。
ふと、モニターに反応があった。アマギはすぐに解析に移る。
「こいつは」
反応の正体を理解したアマギの頭に天啓が降りてくる。この状況を抜け出すための、綱渡りのような策が。だが、何もしないよりは全然ましだ。やれることをやり尽くさないで後悔だけはしたくない。
「リコ、確か輸送車に試作品のあれを乗せてなかったか?」
『あれ? ああ、あるわよ。確か輸送車の壁収納にしまってある。けど、殺傷効果は期待できないわよ? だって』
「いや、良いんだ。倒す必要は、僕たちにはない」
そうとわかれば、すぐに準備しなければ。アマギはモニター席から離れて、人事を尽くしに奔走する。




