第十一話
全ては突然だった。
メンテナンスのために車体の下に潜り込んでいたリコは、背中に伝わる振動が気になり、ゆっくりと這い出した。左右を見渡すと、右方向から大きな影が走ってきている。
近づいてきたのは、一塊になった三人だった。真ん中にいるのはシュウジだ。彼は右側にキャリーケースを抱えたアダチ所長を、左側にゴロウを担いでこちらに向かって走っている。
「シュウジ?! 一体何が」
言いかけて、リコは口元を両手で押さえた。彼が担いでいるゴロウは、腹部から血を流していたのだ。
「リコ、すぐに輸送車に入れ! 襲撃だ!」
「襲撃?! そんな、ここは安全だったんじゃないの?」
「状況が変わった! ヤマトたちもこっちに向かっている。だが、フウカの応答がないらしい。先に入って様子を確認してくれ!」
「わ、わかった」
言われるがまま、輸送車に戻る。車の後部に彼女の姿はなかった。ここで休んでいたはずなのに。
もしかして、モニターを見に行ったんじゃ。
先ほど、シュウジは軍隊蟻が出たと言った。彼女もそれに気づいた可能性がある。リコはすぐさま輸送車の前方へと移動した。ドア一枚隔ててすぐにモニターを配備した座席がある。そこにフウカの後ろ姿があった。
「そこに居たのフウカ! 今、大変なことに」
そう言って彼女の肩を掴んで揺さぶると、力を入れられた方向にゆっくりと体が傾き、びしゃり、と床に落ちた。
「へ、ふう」
倒れた体が仰向けになる。リコは知らず、悲鳴を上げていた。
フウカは死んでいた。彼女ののどからは大量の血が流れ、座席の下に血だまりを作っていた。
『何があった!』
ヤマトの呼びかけが聞こえた。
「ふ、フウカ、フウカが、死んでる」
かろうじて、現状を知らせることができた。だが、そこから何をすればいいかわからない。何かをする気力、考えすら浮かばない。体は完全に恐怖と悲しみと混乱によって縛られ、動けなくなっていた。
「リコっ、リコ!」
体が揺さぶられている。かちこちに固まった体が、軋みを上げながら声のする方へと振り返る。そこにいたのはゴロウだった。
「しっかりしろ!」
「で、でも、フ、フウカが死んでる。死んでるの」
「わかってる! でも、このままじゃ俺たちも死んじまう! つらいのはわかるが今は動いてくれ」
「動く? 私が?」
「情けねえ話だが、今の俺じゃ運転できない」
ゴロウは腹のけがに加えて、足が間接ではないところで折れ曲がっていた。
「お前が代わりに運転してくれ。たしか、ドライバーの技能適性もあっただろ」
「そりゃ持ってるけど、ゴロウみたいに上手くは」
「んなこと言ってる場合じゃねえんだ。お前しかいないんだよ。大丈夫。俺が指示する通りにやれば問題ない。良いな。俺の言う通りにすれば簡単だ」
「分かった」
「助かる。じゃあ、運転席に座ってくれ」
リコを運転席に座らせた後、ゴロウは助手席に腰を降ろした。痛みで気が遠くなりそうだが、食いしばってこらえる。
「大丈夫。やることはシンプルだ。仲間を載せたら逃げる。たったそれだけだぜ」
―――――――――――
バン、と音がした。ヤマトが両手で自分の両頬を叩いた音だ。フウカが死んだという、信じがたい情報のせいで、頭が混線ていた頭をリセットした。
彼女がいなかったから敵の接近に気づかなかったのか。
どうしてアダチ所長は外に出たのか。
村人はどこから助ければいいのか。
ゴロウが負傷したがどの程度の怪我なのか。
敵は蟻だけなのか。
他にもいくつかの思考が同時に存在して、脳の中で渋滞を起こしていた。それを、物理的に叩いて一旦追い出し、思考をシンプルにする。
生き残ったチームメンバーの安全確保が第一。次に村周辺の状況の確認。無事な人間を輸送車に誘導し、ここから撤退。
「まずは輸送車に戻るぞ。ユウキ、先導してくれ。アマギは真ん中。俺とタイチは後方警戒、殿を務める」
三人が頷き、すぐさま行動に移る。輸送車があるのは、集落の入り口付近。それより中には木が密集しすぎて車での侵入は困難だった。無理すれば入れないことはないが、木に挟まってスタックしたら目も当てられないと離れた場所に駐車した。
輸送車までの最短距離を突っ切る。周辺にいる蟻たちが向いている方向も、奇しくも同じ輸送車の方向だ。その間にいる人間を襲っている、という風に見受けられた。
ユウキが跳躍する。大木の幹を蹴って更に上に飛び上がり、背中を向け、蟻の頭上を取った。彼女の足裏が枝に接触する。蹴った時とは違う、柔らかな接触が枝を折ることなくしならせる。折れる寸前まで曲がった枝は、元の位置に戻ろうと反発する。その反動を使って、彼女は急降下した。おそらく、鳥が地上の獲物を狙ったら同じ軌道を辿るに違いない。
一直線に落ちていくユウキが蟻の脳天に拳を叩き込む。巨大な頭ががくんと下がり、前方につんのめった。
攻撃後はたとえ会心の一撃であっても慢心せず、蟻から離れる。頭部が半壊し、アンチを流し込まれた蟻だが、まだコアが生きており、アンチが体内に回り完全に消滅するまで動き続ける。離れたユウキに向かって蟻は襲い掛かった。彼女はさらに後ろへ引き距離を取る。蟻の意識が彼女に向く。ひとたび警戒されれば、彼女も手を焼くことになる。
ゆえに、後続がとどめを刺す。静止物に対する射撃能力はAクラスにも引けを取らないタイチが、動きが止まった蟻の足を撃つ。近距離から放たれた銃弾によって六本あるうちの後ろ足が千切れ、中足も抉れたことで蟻はバランスを崩した。タイチを追い抜いたヤマトがナイフを千切れかけの中足に突き刺し、物理的に切り離す。体重を支えきれない蟻が傾き、彼の蹴りがそれを加速させる。
「足を止めるな!」
転がる蟻を飛び越えてヤマトが叫ぶ。優先は仲間との合流だ。
この後も進行ルート上にある蟻のみを迎撃し、最低限の交戦で輸送車に辿り着く。輸送車前にはシュウジが蟻二体を相手取っていた。流石の彼も、二体同時では防戦を強いられていたが、タイチのけん制から流れが変わる。銃撃によって蟻がタイチの方を振り返った時、既にユウキとヤマトは蟻の一匹に肉薄していた。
地面と擦れそうなくらい低い位置から、突進力が加わった拳が、地面に接地していた蟻の後ろ足を折る。痛みを無視し、更に懐に潜り込んできた彼女に向かって前足を払う。スライディングで蟻の足を避け、反対側へと潜り抜ける。蟻が頭を巡らせユウキを追随する。
「こっちだ!」
声に反応し振り返った瞬間、蟻の頭部に衝撃が走る。ユウキが逆手に持ったナイフを力任せに突き刺したのだ。頬を張られたように蟻の首がぐるんと右へ回った。
突き出たナイフの柄に、ユウキのハイキックが叩きこまれた。押し込まれたナイフは蟻の頭部を破壊しながら突き進み、反対側から飛び出した。落ちてくるナイフをヤマトが掴む。
「無事か、シュウジ!」
残心をとりながら、ヤマトは尋ねた。
「当然だ」
言葉通り、シュウジは一体となった蟻の攻撃をいなし、反撃に転じる。その隙にアマギを輸送車に乗せた。
「中で状況を確認してくれ。こっちが片付いたら俺もすぐに行く」
「分かった」
固い顔で輸送車に入っていくアマギを見届け、ユウキと共にシュウジの加勢に行く。
もう一匹も動かなくなったことを確認してヤマトは次の指示を出した。
「三人は周囲を警戒していてくれ」
三人を残して中に入ると、車内は血の匂いが充満していた。顔を巡らせる。片隅で、アダチがキャリーケースを抱えて震えていた。
後部の一角に、布をかけられた、人間大のものがあった。めくると、両手を胸の前で組まされ、仰向きになったフウカがいた。目を瞑っていて、一瞬眠っているのかと錯覚しそうになるが、その夢想は顔の下側、のどから胸へとかけて染まる赤が完璧なまでに否定していた。
「何で」
ついさっきまで、彼女は生きていた。いつも通り、真面目に、しかし固くなり過ぎず、皆を優しくフォローしていたのに。
『ヤマト』
アマギから通信が入る。
『状況を説明する。フウカが死亡。ゴロウが重傷を負った。運転はリコが、センサー類の操作は僕が対応する。彼女のように上手くできるわけではないが、この中では最も適性がある』
「分かった。周辺の様子は?」
『現在、輸送車の周囲に蟻の反応が多数。おそらく小隊以上の規模がこちらに向かっている。 だが、一部隙間がある。そこを抜ければ、先ほどイツキ氏たちが話していた川に出るぞ』
「よし、村人の位置はわかるか?」
『この状況で助けに行く気か? いや、君はそういう奴か。すぐにサーチする』
「頼む」
一分待ってくれ、と通信が終わる。
「貴様のせいだぞ」
震える声が、ヤマトに届く。
「貴様が、余計なことをするからこんな目遭ったんだ! どう責任を取るつもりだ、ええ!」
アダチは立ち上がり、ヤマトの胸倉を掴んだ。
「最初から言っただろうが! 余計な真似はするなと! 何だこの体たらくは。人の忠告も聞かず、自信満々に突っ走った結果がこれか? ふざけるなよ!」
「申し訳、ありません」
「今更遅い! いいか、無能なガキが一人死のうが、二人死のうが私の関知するところではない。勝手に死ね。だが、依頼は必ずこなせ。全員死んでも、私を目的地まで必ず連れていけ。貴様にはその義務があるはずだ!」
分かったな、とアダチはヤマトを突き放した。大切な仲間を失ったところに、その仲間を侮辱され、頭に血が上りかけたヤマトだが、すんでのところで堪える。殴るなら依頼後でいい。今は、この危機を乗り越えることに全精力を傾ける。
『ヤマト、悪い知らせだ』
センサーで周辺をサーチしていたアマギから再び連絡が来た。
『村人の反応だが、もう、ほとんどない』
そんな、と膝から崩れかける。自分たちが来たせいで彼らの命が失われたのかと絶望的な気分がヤマトと、同じく通信を聞いているメンバーたちを包む。
『残っているのは、三つだ。位置的に、先ほどのイツキ氏たちの家だろう。それと、あともう一つ』
まだ生きている。償いにはならないが、それでも、やらないよりはましだと思った。天板から外に出て、周囲を見渡す。
「アマギ、最後の一つの反応はどっちだ」
『二時の方向だ。かなり近い』
助けてください。昨夜と同じように、また声が響いた。




