第七章:蒼の苦悩
病院の前は、やけに静かだった。
白い建物だけが、そこだけ浮いているみたいに見える。
蒼は受付を出て、そのまま外に向かう。
足取りは普通。
でも、“普通のふり”に少しだけ力が入っている。
呼吸が、ほんのわずかに浅い。
それを隠すように、顔は変えない。
「……」
ドアが閉まる音。
その瞬間だった。
少し離れた植え込みの影。
そこに、陽菜がいた。
時間が止まる。
「……え」
声にならない音が漏れる。
陽菜の方も、動かない。
カバンを持つ手だけが、わずかに固まっている。
視線が合う。
逃げ場のない距離。
蒼の表情が、一瞬だけ揺れる。
でもすぐに戻す。
「……何してんだよ」
先に出たのは、低い声だった。
できるだけ“何でもない空気”に戻そうとする声。
陽菜はすぐに返せなかった。
目だけが動く。
病院。
その文字が、頭の中で繋がる。
「……ここ」
やっと出た声は、小さい。
蒼は一瞬だけ視線を逸らす。
その“間”が、すべてを説明していた。
「違う」
短く切る。
早すぎる否定。
陽菜の胸の奥が、少しだけ冷える。
「じゃあ、なんで」
問いは鋭くない。
責めているわけでもない。
ただ、“分からないことが怖い”声だった。
蒼は答えない。
ポケットに手を入れる。
何かを握る。
すぐに離す。
その動作だけが、やけに目についた。
「……帰るだけだろ」
話を終わらせるように言う。
一歩、踏み出す。
陽菜の横を通り過ぎる。
その瞬間だった。
すれ違いざまに、小さな声。
「……嘘」
蒼の足が止まる。
ほんの一瞬。
でも、戻らない。
そのまま歩き出す。
「勝手に決めんな」
それだけ置いていく。
声は冷たいのに、どこか壊れそうだった。
陽菜はその場に残る。
病院の前。
見えなくなった背中の残像だけが残る。
「……」
怒りじゃなかった。
確信でもなかった。
一番近いのは、“不安”だった。
あの間。
あの目の逸らし方。
全部が揃ってしまった。
「……何、隠してるの」
声に出すと、少しだけ現実になる。
でも、答えは返ってこない。
夜。
陽菜はスマホを開く。
連絡先は蒼の名前で止まる。
指が動かない。
送る言葉は、決まっているのに。
「……」
画面を消す。
そして、もう一度つける。
その繰り返し。
最後に、小さく呟く。
「怖いのは……知らないことじゃないのかも」
でも、その先は言わない。
言えない。
一方、蒼の部屋。
静かすぎる空気。
机の上に、封筒。
見慣れた紙。
ポケットから、もう一枚。
病院でもらった説明の一部。
折り目がついている。
「……最悪だな」
小さく呟く。
見られたことは問題じゃない。
問題なのは、
“見られても崩れなかった嘘”が、もう薄いことだった。
「……まだだ」
誰にも届かない声。
でも、それは願いでもある。
まだ、壊したくない。
まだ、言えない。
でも、
“時間がない”ことだけは分かっている。




