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第六章:小さな異変

蒼の家の前で、足が止まる。

ここまで来ておいて、

今さら迷う。

「……」

帰ろうと思えば、帰れる。

まだ、間に合う。

でも、

「……それで終わる方が嫌だ」

小さく呟く。

覚悟なんて、大げさなものじゃない。

ただ、

引き返したくなかった。

そのとき、

階段を上がってくる足音がした。

反射的に、振り向く。

「……」

蒼だった。

少しだけ、息が荒い。

肩で息をしているのを、無理に抑えているみたいに。

片手で口元を押さえて、

何でもないように顔を上げる。

そして、

止まる。

「……は?」

明らかに、予想していない顔。

「なんでお前が……」

言葉が、途切れる。

その一瞬、

蒼の手がポケットに入る。

何かを握り込むように。

白い紙の端が、わずかに見えた。

すぐに押し込む。

何もなかったみたいに。

「……」

陽菜は、それを見逃さなかった。

でも、

今は、そこじゃない。

視線を戻す。

逃がさないように。

「話がある」

まっすぐ言う。

蒼の表情が、わずかに歪む。

「……今じゃなくていいだろ」

すぐに返ってくる。

「今がいい」

間を置かずに言う。

沈黙。

蒼が、小さく息を吐く。

一瞬だけ、壁に手をつく。

ほんの一瞬。

すぐに離す。

「……帰れよ」

低い声。

でも、

さっきより少しだけ弱かった。

「帰らない」

はっきりと言う。

視線は逸らさない。

逃げない。

沈黙。

「……なんなんだよ」

苛立ち混じりの声。

「なんなんだじゃない」

少しだけ強く返す。

「このままでいいの?」

言葉がぶつかる。

蒼は答えない。

「無理って言われたのは分かってる」

一歩、踏み込む。

「関係ないって言われたのも」

それでも、

止まらない。

「でも、それで終わりにする理由にはならない」

はっきりと言い切る。

蒼の視線が、わずかに揺れる。

「……勝手だろ」

低く吐き捨てる。

「勝手でいい」

即答だった。

その言葉に、空気が止まる。

「……お前さ」

蒼が息を吐く。

「なんでそこまで——」

言葉が止まる。

陽菜は、迷わなかった。

「心配だからに決まってるじゃん」

まっすぐ言う。

ごまかしはない。

沈黙。

蒼が、視線を逸らす。

何かを押し殺すように。

「……だからって」

小さく呟く。

「どうにもなんねえだろ」

その言葉は、

拒絶というより、

諦めに近かった。

「なるよ」

陽菜が言う。

「少なくとも、一人じゃなくなる」

蒼の動きが、止まる。

「……は?」

声が、少しだけ弱くなる。

「一人で抱える必要ないって言ってんの」

距離を詰める。

「頼ってって言ったじゃん」

あのときの言葉。

もう一度、重ねる。

「……無理だって言っただろ」

蒼の声が、わずかに揺れる。

「なんで」

問いがこぼれる。

「なんで無理なの」

核心に近づく。

沈黙。

蒼が、目を閉じる。

「……」

言いかけて、

やめる。

「……言えるわけないだろ」

絞り出すような声。

それは、

初めての“本音に近い言葉”だった。

陽菜の呼吸が、止まる。

「……なんで」

小さく、もう一度。

蒼は答えない。

ただ、

ポケットの中の手に、力が入る。

それで、分かってしまう。

“言えない理由がある”。

「……じゃあさ」

ゆっくりと口を開く。

「言えないなら、それでもいい」

蒼の視線が、少し戻る。

「でも」

一拍。

「そばにいることくらい、いいでしょ」

静かな言葉。

でも、

逃げ道はなかった。

沈黙。

長い、沈黙。

蒼は何も言わない。

否定もしない。

肯定もしない。

ただ、

立ち尽くしている。

その沈黙が、

答えだった。

陽菜は、小さく息を吐く。

「……じゃあ、今日は帰る」

一歩、下がる。

「でも」

視線は外さない。

「また来るから」

それだけ言う。

蒼は、何も言わなかった。

言えなかった。

足音が遠ざかっていく。

ドアの前に、静けさが残る。

「……」

蒼は、その場に立ったまま動かない。

ポケットに手を入れる。

さっき握り込んだものを、少しだけ取り出す。

白い封筒。

何も書かれていない。

しばらく見つめて、

また、押し込む。

「……なんなんだよ」

小さく呟く。

でも、

その声は、

さっきよりもずっと弱かった。

壁にもたれる。

目を閉じる。

「……無理だろ」

もう一度、繰り返す。

それは、

陽菜に向けた言葉じゃなかった。

自分に言い聞かせるためのものだった

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