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第三章:君を傷つけた日

それは、まだ距離が決定的に変わる前のことだった。

昼休みの教室は、いつもより少し騒がしかった。

笑い声が一か所に集まり、そこを中心に空気がゆるく広がっている。

その輪の中に、蒼がいた。

「いや、それはさすがにないって」

肩をすくめて笑う。

周りもそれにつられて笑う。

「蒼ってほんとノリいいよな」

「普通だろ」

軽い調子のやり取り。

どこにでもあるような光景。

陽菜は、それを少し離れた場所から見ていた。

楽しそうに見える。

少なくとも、周りにはそう見えている。

――でも、違う。

笑うタイミング。

言葉の返し方。

ほんのわずかなズレが、どうしても引っかかる。

「蒼」

気づけば、名前を呼んでいた。

蒼がこちらを見る。

一瞬だけ、表情が抜ける。

「ちょっといい?」

「あー……悪い、ちょっと抜けるわ」

軽く言って、輪から離れる。

廊下に出ると、さっきまでの音が遠ざかる。

静けさが、妙に重く感じられた。

「どうした」

蒼が言う。

いつも通りの声だった。

それが、余計に引っかかる。

「さっきの、何?」

「何って?」

「……笑ってたじゃん」

わずかな沈黙。

「別に」

短い返事。

「大したことじゃない」

その軽さに、胸の奥がざわつく。

「普通じゃないよ」

言葉が、少しだけ強くなる。

「どう見ても、あれ——」

「どう見ても、何?」

蒼の声が、わずかに低くなる。

「……嫌じゃないの?」

やっと出た言葉。

沈黙。

「別に」

また同じ答え。

「嘘でしょ」

思わずこぼれる。

「そんな顔する人じゃなかったじゃん」

言った瞬間、空気が変わる。

蒼の表情から、わずかに色が消える。

「……何それ」

低い声。

「前はさ、もっと——」

言葉がうまく続かない。

それでも、止められなかった。

「ちゃんと、嫌なときは嫌って言う人だったじゃん」

沈黙。

蒼が小さく息を吐く。

「勝手なこと言うなよ」

その一言で、胸が締め付けられる。

「勝手じゃない!」

思わず声が上がる。

「見てれば分かるよ、あんなの——」

「だから何だよ」

言葉がぶつかる。

「分かんないよ!」

声が、震える。

「どうしろっていうの……!」

一歩、距離が詰まる。

「どうしたらいいのか、分かんないよ……!」

息が詰まる。

言葉が止まらない。

「放っておけばいいの?」

「見てるだけでいいの?」

「そんなの、無理に決まってるじゃん……」

初めて、本音がこぼれる。

沈黙。

蒼が、わずかに目を逸らす。

「……関係ないだろ」

静かに落とされた一言。

時間が止まったような感覚。

「……関係、ないって」

「そうだろ」

淡々と続く。

「陽菜には関係ない」

胸の奥で、何かが崩れる。

「……なんで」

声が震える。

「なんでそんな言い方すんの」

蒼は答えない。

「私、ちゃんと見てたのに」

やっと出た本音だった。

沈黙。

蒼が、わずかに視線を逸らす。

「……じゃあさ」

ぽつりと落ちる。

「陽菜は、俺の何を知ってるんだよ」

言葉が出ない。

何も言えない。

頭の中にあったはずの“知ってること”が、形を失っていく。

「……」

「ほらな」

それだけ言う。

「勝手に分かった気になってるだけだろ」

何も返せない。

「でも……」

声を絞り出す。

「ちゃんと向き合ってよ」

「……は?」

「そんなの、逃げてるだけじゃん」

言った瞬間、分かる。

越えてはいけない線だった。

「うるせえな」

低く、遮られる。

初めて聞く声だった。

「勝手に期待して、勝手に失望してるだけだろ」

心臓が強く鳴る。

「それで文句言われても、知らねえよ」

言葉が、深く刺さる。

何も言えない。

沈黙。

「……もういい」

陽菜が、小さくつぶやく。

「ごめん」

それだけ残して、背を向ける。

足音が遠ざかっていく。

呼び止める言葉は、最後まで出てこなかった。

廊下に、蒼だけが残る。

静けさが、やけに重い。

「……」

さっきの言葉が、頭に残っている。

――陽菜には関係ない

小さく息を吐く。

「……関係、ないか」

そう呟いたあと、

ほんの少しだけ、胸の奥に違和感が残った。

それが何なのかは、分からなかった。

――そして今も、たぶん分かっていない。

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