第9話
一方、その頃。
王都の冒険者ギルドでは、ひとりの男がカウンターの前で立ち尽くしていた。
クラン・ベルン。
かつて剣聖と呼ばれ、魔王討伐の有力候補として称賛を浴びていた男である。
「……もう一度、説明してくれ」
クランは、目の前のギルドマスターを睨みつけた。
「俺のランクが、再審査中だと?」
「ああ」
ギルドマスターは、淡々と書類をめくった。
「お前のパーティーは、昨日の討伐依頼で重大な失敗をした。ゴブリンの群れに遭遇し、討伐対象を取り逃がしたうえ、複数の負傷者を出した」
「それは……体調が悪かっただけだ!」
「それなら、なおさら問題だ」
ギルドマスターは顔を上げた。
「お前はこれまで、剣聖の名を冠する冒険者として、通常の依頼よりも高い報酬を受け取っていた。その名に見合う実力があるからこそ、特別扱いを認められていたんだ」
「俺には実力がある!」
「ならば、再審査で証明しろ」
「……っ!」
クランは言葉に詰まった。
ギルドマスターは、さらに書類を一枚差し出した。
「それから、パーティーメンバーのアリスから離脱申請が出ている」
「アリスが……?」
「ああ。今後は別のパーティーに所属するそうだ」
クランの顔が引きつった。
「待て。あいつは俺の恋人だぞ!」
「個人的な交際について、ギルドが口を出すつもりはない」
ギルドマスターは冷静に答えた。
「だが、パーティーとしての継続が困難になった以上、これまでの実績と現在の能力を改めて確認する必要がある。高難度依頼の受注資格も、審査が終わるまでは停止だ」
「そんな馬鹿な……!」
クランはカウンターを叩いた。
「俺は剣聖だぞ! 何度も魔物を倒し、何人もの仲間を救ってきた! 今さら、たった一度の失敗で何もかも取り上げるつもりか!」
「誰も、過去の功績を否定してはいない」
ギルドマスターは、少しも怯まなかった。
「だが、過去の功績だけで、未来の実力まで保証することはできない」
その言葉が、クランの胸に突き刺さった。
未来の実力。
自分の実力。
そうだ。
自分には実力がある。
今までだって、何度も戦ってきた。
たまたま昨日は調子が悪かっただけだ。
そうに決まっている。
「……わかった」
クランは歯を食いしばり、書類を乱暴に押し戻した。
「再審査を受ければいいんだろう。すぐに俺の実力を証明してやる!」
「その意気だ。だが、ひとつ忠告しておく」
ギルドマスターは、彼をまっすぐに見据えた。
「次の審査では、魔法による強化を前提としない状態で、お前自身の戦闘能力を確認する」
「…………何?」
「今までの戦闘記録には、身体能力の向上や疲労の軽減など、通常の支援魔法では説明しにくい現象がいくつも記録されている。お前自身の能力と、外部からの支援。その区別を明確にする必要がある」
クランの喉が、ごくりと鳴った。
外部からの支援。
その言葉を聞いた瞬間、脳裏に銀色の髪がよぎった。
アリア。
彼女が戦闘の前に、必ず自分へ魔法をかけていたこと。
疲労を感じないように。
反応が遅れないように。
どんな傷を負っても、戦い続けられるように。
「……まさか」
クランの口から、かすれた声が漏れた。
ギルドマスターは、彼の表情を見て眉をひそめた。
「心当たりがあるのか?」
「いや……」
クランは、慌てて首を振った。
「何でもない」
そんなはずがない。
自分は剣聖だ。
アリアの魔法がなくなった程度で、実力が変わるはずがない。
そう信じたかった。
だが、昨日の戦闘が脳裏によみがえる。
ゴブリンの攻撃を避けられなかったこと。
剣を振るたびに腕が重くなったこと。
今までなら簡単に倒せた敵に、手も足も出なかったこと。
そして、アリアがいなくなった直後から、それらが起き始めたこと。
「…………」
クランは唇を噛み締めた。
そのとき、ギルドマスターが最後の書類を差し出した。
「なお、Sランク資格を前提に貸与していた装備については、契約内容を確認したうえで扱いを決める。契約上の条件に該当する場合は、返却または残額の精算が必要になる」
「……わかった」
今度は、反論できなかった。
ギルドを出たクランは、王都の通りをふらふらと歩いた。
かつては、彼が姿を見せるだけで人々が歓声を上げた。
「剣聖様だ!」
「魔王討伐の英雄!」
そんな声を聞くたび、胸が誇らしさで満たされたものだった。
だが、今日は違う。
誰も自分に気づかない。
それどころか、すれ違う人々は、疲れ切った男を避けるように歩いていく。
肩の痛みが、じくじくと広がる。
体が重い。
剣の柄を握る手にも、力が入らない。
「……アリア」
気づけば、彼女の名前を口にしていた。
十年間、当たり前のようにそばにいた女。
自分の食事を用意し、装備を整え、戦闘のたびに魔法をかけてくれた女。
彼女がいなくなっただけで、なぜこんなことになったのだろう。
いや。
違う。
アリアがいなくなったからではない。
自分が、彼女を追い出したからだ。
『お前は必要ない』
そう告げたのは、自分だった。
「……くそっ!」
クランは、石畳を蹴った。
何かの間違いだ。
自分は、剣聖なのだ。
アリアの支援がなくても、戦えるはずだ。
そうでなければ、今まで自分が積み上げてきたものは、一体何だったというのか。
彼は顔を上げ、通りの向こうを見つめた。
その先には、高級店が立ち並ぶ大通りが続いていた。
そして、その一角にあるオープンカフェから、楽しげな笑い声が聞こえてきた。
「……え?」
クランは、足を止めた。
白い日傘の下。
銀色の髪を風に揺らしながら、ひとりの女性が笑っていた。
透き通るような肌。
艶やかな銀髪。
上品なドレスに身を包んだ姿は、まるで絵画から抜け出してきた女神のようだった。
だが、クランにはわかった。
あの女性が誰なのか。
「……アリア?」
彼の目が見開かれた。
間違いない。
十年間、ずっとそばにいた女だ。
それなのに、今の彼女は、自分の知っているアリアとはまるで違って見えた。
顔色は明るく、表情には生き生きとした輝きがある。
そして、彼女の隣には、見覚えのある男が座っていた。
黒髪に、鋭い紫色の瞳。
隣国の大公、レオンハルト・ヴァルグレイヴ。
クランは息を呑んだ。
なぜ、アリアが大公と一緒にいる?
どうして、あんなに楽しそうに笑っている?
「……アリア!」
気づけば、彼は駆け出していた。




