第6話
「アリア、明日の朝食は何がいい?」
「……え?」
私は紅茶を吹き出しかけた。
「明日の朝食、ですか?」
「ああ。料理長が、君の好みを知りたいと言っていてな」
「まだ夕食を食べ終わったばかりなんですが……」
「だからこそ、今のうちに考えておこうと思った」
レオンハルトは真剣だった。
あまりにも真剣だった。
「卵料理は好きか? 焼きたてのパンは? 果物は何が好みだ? 甘いものは朝から食べられるだろうか?」
「ちょ、ちょっと待ってください!」
私は思わず両手を上げた。
「そんなに一度に聞かれても答えられません!」
「そうか。では、一つずつ聞こう」
「そういう問題ではありません!」
彼は不思議そうに首を傾げた。
……駄目だ。
この人、本当に私を甘やかすことしか考えていない。
いや、恩返しをしてくれているのだから、ありがたいことではある。
あるのだけれど。
「レオンハルト様」
「何だ?」
「私、明日には王都へ行くつもりだったんですが」
「…………」
彼の笑顔が止まった。
「……王都へ?」
「はい。美味しいものを食べ歩きたいので」
「……そうか」
紫色の瞳が、目に見えて曇る。
いや、そんな顔をされても。
私は自由を満喫したいのであって、大公城に永住するつもりはない。
「もちろん、君の意思を尊重する」
レオンハルトは静かに頷いた。
「君は自由だ。私が君を引き止める権利はない」
「……ありがとうございます」
「ただ」
「ただ?」
「王都にも、私の別邸がある」
「…………」
「料理人もいる。温泉もある。寝室の寝具は最高級のものを揃えているし、君が希望するなら、いつでも専属の侍女を手配できる」
「…………」
「もちろん、三食昼寝付きだ」
私は、ゆっくりと紅茶を置いた。
(……この人、なかなか手強い)
レオンハルトは私を閉じ込めようとはしない。
行くなとも、そばにいろとも命じない。
ただ、私がどこへ行こうと、そこに自分の居場所を用意しようとしている。
まるで、私が自由に歩き回ることを前提に、帰ってこられる場所を増やしているようだった。
「……レオンハルト様」
「何だ?」
「もしかして、私が逃げても追いかけてくるつもりですか?」
「君が望まない限り、無理に追いかけることはしない」
彼は少しだけ考え、微笑んだ。
「ただ、君が帰ってきたときに、いつでも迎えられるようにしておきたい」
私は言葉を失った。
この人は、私を自分のものにしたいわけではないのかもしれない。
少なくとも、今のところは。
私が自分の人生を楽しむことを認めたうえで、その隣にいたいと思ってくれている。
それは、今までの私が知らなかった種類の優しさだった。
「……ありがとうございます」
今度は、先ほどよりも自然に笑えた。
「では、王都の別邸にも、一度お邪魔させてください」
「……本当か?」
「はい。ただし、行き先は私が決めます。食事も、私が食べたいものを選びます」
「もちろんだ」
「それから、私の予定に口を出さないこと」
「承知した」
「……本当に?」
「誓おう」
レオンハルトは、私の手をそっと取った。
「君が自由であること。それが、私の願いでもある」
私は少しだけ頬が熱くなるのを感じた。
……いや、待って。
これは、別に恋愛的な意味ではない。
十年間、自分の意思を後回しにしてきた私にとって、自分の選択を尊重してくれる人がいることが嬉しいだけだ。
そう。
きっと、そうに違いない。
「……では、明日の朝食は焼きたてのパンと、半熟卵がいいです」
「わかった。料理長に伝えよう」
「あと、ベーコンもお願いします」
「もちろんだ」
「それから、デザートに果物を……」
「すべて用意させよう」
私は満足げに頷いた。
よし。
明日も美味しいものが食べられる。
自由って、最高だ。
そして、私の隣では、冷酷無慈悲の大公閣下が、まるで主人に褒められた大型犬のように、幸せそうな顔をしていた。
……どうやら私の自由な人生には、少々距離感のおかしい大公閣下がついてくるらしい。
まあ。
美味しいご飯が食べられるうちは、悪くないかもしれない。
ただし。
恋人になるかどうかは、また別のお話である。




