第4話
食後には、果実の香りが広がる紅茶と、小さな焼き菓子が運ばれてきた。
お腹も心も満たされ、私はすっかり上機嫌だった。
このまま一週間くらい滞在してもいいかもしれない。
いや、三食昼寝付きで、この料理が毎日食べられるのなら、一か月でも……。
「アリア」
穏やかな声に、私は顔を上げた。
レオンハルトの表情が、先ほどまでとは少し違っていた。
優しい眼差しの奥に、真剣な光が宿っている。
「ひとつ、聞いてもいいだろうか」
「はい。何でしょう?」
「君ほどの力を持つ女性が、なぜ十年間も、あの男に尽くしていたんだ?」
私は瞬きをした。
「あの男、というと……クラン様ですか?」
「ああ」
レオンハルトの声が、わずかに低くなる。
「君が私を救った魔法は、並の聖女に扱えるものではない。あれほどの治癒能力と魔力量がありながら、なぜ自分を犠牲にしてまで、あの男を支え続けた?」
なるほど。
確かに、疑問に思うのも無理はない。
私が自己犠牲に酔う悲劇のヒロインなら、「彼を愛していたから」と答えるところだろう。
しかし、残念ながら現実は違う。
「……契約のせいです」
「契約?」
「はい。私がクラン様にかけていた『命力譲渡』は、一度結んだ契約を、術者の意思だけでは解除できない魔法だったんです」
私は紅茶を一口飲んでから、説明を続けた。
「強制的に切断しようとすると、契約の反動で魔力回路が暴走して、術者の命に関わります。安全に解除するには、対象から明確な拒絶か裏切りを受ける必要がありました」
「……つまり、君は自分から離れることができなかったのか」
「そういうことです」
レオンハルトは、しばらく黙っていた。
その表情から、先ほどまでの柔らかさが消えていく。
「十年間……君は、そんな契約に縛られていたのか」
「まあ、今となっては笑い話ですけどね」
「笑い話ではない」
彼の声には、静かな怒りが滲んでいた。
「君は自分の命を削ってまで、あの男を支えていた。それなのに、あの男は君を足手まといと呼び、捨てたのだろう?」
「ええ。おかげさまで、無事に契約解除できました」
「…………」
「ですから、今となっては感謝していますよ。十年間で一番役に立ったのが、あの人の浮気だったなんて、人生はわからないものですね」
私は笑った。
すると、レオンハルトは額に手を当てた。
肩が震えている。
「……レオンハルト様?」
「すまない……少し、待ってくれ」
「はい?」
「……っ、はは……!」
次の瞬間、彼は堪えきれないように笑い出した。
「ははははっ! 君は……君という女性は、本当に……!」
「な、何ですか?」
「十年間も自分を縛りつけていた男に、感謝しているだと?」
「だって、解放してくれたのは事実ですから」
「しかも、浮気を喜んでいたのか?」
「ええ。内心では万歳三唱していました」
「万歳三唱……!」
レオンハルトはとうとう片手で顔を覆った。
「はははっ……! ああ、駄目だ。君は最高だ……!」
「褒められている気がしません」
「褒めているとも。悲劇の聖女どころか、君は誰よりも強かで、賢い女性だ」
彼は笑いを収めると、真っ直ぐに私を見つめた。
「……ますます、君を大切にしたくなった」
「それは、どうも」
「君がもう二度と、自分の命を削るようなことをしなくて済むように。君が好きなものを食べ、好きな場所へ行き、心から笑って暮らせるように。私は全力で君を守りたい」
その言葉に、私は少しだけ戸惑った。
守る。
その言葉を、私は何度も聞いてきた。
けれど、クランの言う「支えろ」は、私に何かを与える言葉ではなかった。
私の力を使い、私の時間を奪い、私の命を削るための言葉だった。
レオンハルトは違う。
彼は私が何を望んでいるのかを聞き、私が喜ぶことをしようとしてくれる。
もちろん、出会って間もない相手だ。
簡単に信用していいわけではない。
それでも。
「……ありがとうございます」
私は小さく微笑んだ。
「でも、私の人生ですから。自分で楽しむことにしますね」
「もちろんだ」
レオンハルトは、少しも気を悪くした様子を見せなかった。
「君の人生は君のものだ。私は、君が望むときに手を差し伸べられる男でありたい」
……この人、時々とんでもなく真面目なことを言う。
私は紅茶のカップに視線を落とした。
「……ところで」
「何だ?」
「デザートのおかわりはできますか?」
一瞬の沈黙。
そして、レオンハルトは心底幸せそうに笑った。
「もちろんだ。料理長に、好きなだけ用意させよう」
「三倍の報酬は必要ありませんからね?」
「……善処しよう」
「今、絶対に考えていませんでしたよね!?」




