白鳥にならない
ノアイユ伯爵邸の庭園。見事に手入れされた薔薇に囲まれ、フェリシアは友人たちから向けられる温かな祝福の中にいた。
友人たちは、決してうわべだけの付き合いではない。かつてフェリシアがアネッタについて尋ねた際にも、彼女たちはその性格の美点を語ってくれていた。
「それにしてもフェリシア様。あれほど引く手あまたでしたのに、ベレスフォード伯爵家のマクシミリアン様を選ばれた決め手はどこにありましたの?」
フェリシアは、かつての自分なら決して口にしなかったであろう言葉を、誇らしげに紡ぎ出す。
「……私、ベレスフォード伯爵領で、配給の炊き出しを手伝って参りましたの」
ざわめく友人たち。
「彼とは夜会で何度かお目にかかっていたのですけれど、そのときは私へ求婚しようなんて、考えもしなかったそうですの」
ざわめきが大きくなる。
「けれど、粗末な服を着て、泥にまみれて働いている私を見て『美しく、愛おしい』と感じたそうよ。そうして求婚なさった。……だから、彼を選びましたの」
令嬢たちは口々に「素敵!」「素晴らしいですわ!」と、二人の馴れ初めに胸をときめかせた。
やはり年頃の令嬢だ、ロマンスは大好物である。
フェリシアはさらに、マクシミリアンがプロポーズにアジサイの花束を持ってきたことも披露した。
弟のジギスムントに担がれたことを悟ってその場に崩れ落ち、完璧な仮面をかなぐり捨てて、情けなくも格好良く「浮気などしない! 貴女だけだ!」と叫んだことを面白おかしく語ってみせた。
そのときには、庭園に悲鳴のような歓声が上がるほど大ウケだった。
「それから……以前、私が不美人だと評してしまったあの方、アネッタ様と義理の姉妹になるというのも、悪くないと思いましたのよ」
友人たちは顔を見合わせる。その言葉の真意はまだ伝わらない。フェリシアが求婚を受けた理由のひとつになるほど、アネッタと相性が良かったのだろうか。
友人のひとりが控えめに尋ねる。
「フェリシア様。まさか……あの方を傍に置くことで、ご自身の美しさをより際立たせよう……なんてお考えではないですよね?」
それは、確信に満ちた否定の確認だった。
当然、フェリシアは「もちろんよ」と言葉を続けた。
「言っておきますけれど、私はあの方を引き立て役にしようなどという、浅ましいことは考えませんわよ」
友人たちは即座に、深く頷いた。
「ええ、フェリシア様がそのような低俗なことをなさる方でないことは、私たちが一番よく知っておりますわ」
フェリシアは凛として、庭園に咲き誇る花々よりも眩い眼差しで告げる。
「私……人の美しさというのは、目に見える容姿だけではなく、内面も美しくあらねば、真に美しいとは言えないと思いますの」
その場にいた全員が、弾かれたように背筋を伸ばした。
もしこれが、容姿に恵まれないアネッタの口から出た言葉なら、世間の人々は負け惜しみと笑ったかもしれない。
けれど、フェリシア自身がそう語るからこそ、その言葉には誰にも否定できない重みがあった。
「さすがはフェリシア様! その通りですわ!」
「私たち、これまで自分の外面を飾ることばかりに執着していた気がいたします。確かにそれでは真に美しいとは言えないかもしれませんわね」
そして、フェリシアはさらに衝撃的な言葉を重ねる。
「あの方、アネッタ様は、素晴らしい美しさをお持ちですわ。……私も外面ばかりを磨いていては、あの美しさには負けてしまうかもしれません」
友人たちは驚愕し、言葉を失った。あの、自身の美しさに絶対の自信を持っていたフェリシアが、自分よりも美しい相手がいると認めたのだ。
美しさに関して、フェリシアが冗談や嘘を言う人間でないことは、友人たちもよく知っている。
アネッタがフェリシアの引き立て役などとんでもない。少なくともフェリシアはアネッタを、美しさにおいて自身と競い合うだけの好敵手と認めていることがその言葉から伝わる。
フェリシアは自身の手を見つめた。
もう泥の痕跡はどこにもない。美しく磨き上げられ、整えられた指先だ。
しかし今はもう、ただ白いだけ、ただ綺麗なだけの指先が、最高に美しい状態だと無邪気に信じられなくなっている。
あの、領民の未来を必死に計算し、インクの染みが落ちないほどに汚れていたアネッタの指先の輝きを、彼女は知ってしまったのだから。
「皆様、私、今後は慈善活動に積極的に取り組んでまいろうかと考えておりますの。よろしければ、ご一緒にいかがですか?」
友人たちは一様に深く頷き、孤児院への慰問や、医療団への物資支援など、それぞれが密かに取り組んできた奉仕活動について熱心に語り合い始めた。
そんな様子を満足げに眺めながら、フェリシアは思う。自分を泥の現場で見初めた愛おしい婚約者と、あの誇り高き義理の弟夫婦。
彼らと共に歩むこれからの未来は、夜会の華やかなダンスステップとはまた違う、ずっと力強く、まばゆい美しさに満ちたものになるだろう、と。
◇
ラドクリフ子爵領も雨雲は完全に去り、雲ひとつない青空には太陽が力強く存在感を主張していた。
日差しが大地を照りつけ、新たな芽吹きを予感させる。その光に照らされて、修復が完了した巨大な堤防が領地を護る盾のように横たわっていた。
アネッタとジギスムントは、その堤防の上に並んで立っていた。
ジギスムントは泥の匂いが染み付いた自らの手を見つめ、それから隣に立つアネッタを真っ直ぐに見据えた。
「アネッタが資材を運び、人を動かし、食事を滞らせず届けてくれた。……おかげで俺は、安心してここで戦っていられた。アネッタに背中を守ってもらっていたんだ。本当に、ありがとう」
アネッタは胸を押さえる。ジギスムントの言葉はいつだって真っ直ぐだ。嘘も偽りもない。
アネッタは少し俯き、それから意を決したように顔を上げた。
「私は、自分の役割を果たしただけです。……けれど、ジギスムント卿が私を信じてくださったから、私は自分を信じることができました。自分のやってきたことが、決して間違いではなかったのだと思えたのです。だから今回も、自信を持って動くことができました。……全て、貴方のおかげです。本当にありがとうございます、ジギスムント……様」
アネッタの顔は、以前から変わってなどいない。
相変わらずのだんご鼻だし、正面から見ると鼻の穴が見える。
しかし、自分の仕事が愛する男を支え、そして領民の命を守ったという揺るぎない自信がその表情を輝かせている。
顔だって、そう捨てたものではない。これはこれで美しいではないか、とジギスムントは本気で思っている。
だが、それを口にするつもりはなかった。以前、可愛くもない自分の顔を「可愛い」と言って父に慰められるのは嫌だった、とアネッタに聞いたことがあるからだ。
まあいいか、とジギスムントは思う。
アネッタ自身ですら否定しようとも、アネッタは可愛いし、美しいのだ。それは自分だけがわかっていれば良い。
「お、ようやく卿から様になったか。だが、まだ固いな」
ジギスムントは悪戯っぽく笑い、彼女の指先に残るインクの汚れを愛おしそうに見つめた。
「俺は、早くアネッタにジギスムントと呼んでほしいんだ。……頼む」
「からかうのはやめてください! 本当に、怒りますよ!」
アネッタは真っ赤になって一度そっぽを向き、そして上を向いた鼻を隠すことなく真っ直ぐに彼の瞳を見つめて、震える声でその名を紡いだ。
「……ジギスムント」
恥ずかしさで消え入りそうなほど小さな、けれど確かな熱を孕んだ愛しい響き。それを耳にした瞬間、ジギスムントは満面の笑みを浮かべ、天を仰いで雄叫びを上げた。
「ようし、アネッタ! 次の仕事は何だ? 治水か? 開墾か? お前が完璧な計画を立ててくれるなら、俺はどんな過酷な現場だって切り拓いてみせるぞ! ……だがまあ、次の戦いのことは、食事でもしながら二人で考えよう!」
ジギスムントはアネッタの、節くれ立った、けれど力強い手をしっかりと握りしめた。
あの日、お見合いの席で馴染まなかったドレスの袖口は、今、彼の手の温もりで満たされている。
外面の飾りではなく、誰かの生活を守るために流した汗。その美しさを愛し合う二人は、並んで、光り輝く未来へと力強く一歩を踏み出した。
これにて、不美人令嬢アネッタとジギスムントのお話は完結です。
みにくいアヒルの子がアヒルの子のままでちゃんと幸せになる、そんなテーマで作成しました。
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