涙
再び2階へと足を踏み入れ、僕は1つの扉の前に立った。
この先に、ユノがいる。
3年間——誰にも会わず、扉を閉ざしたまま生きてきた彼女が。僕はポケットの中にあるバリアキャンセラーを、自然と強く握っていた。
「……ユノ……」
覚悟を決めて、深呼吸を一つ。
目の前に立つのは、固く閉ざされた扉。3年間、誰の手にも開かれなかったその扉に、僕は手をかけた。
「……失礼……します」
部屋の中へと足を踏み入れる。
中は、深い静寂に包まれていた。
……
反応がない。何かしら驚いたり、怒鳴ったりされるかと思っていたけど、まるで気配が感じられない。
明かりもついていない。スイッチを探すが、どうにも見当たらなかった。
部屋の奥へ、慎重に足を踏み入れていく。
3年間も閉ざされた部屋。空気が澱んだり、匂いが酷かったりするかと思ったが、意外とそうでもない。
これらも全て、魔法によってどうにかしているのだろうか?
「スー……スー……」
「……!」
寝息が聞こえた。耳を澄まして、暗闇の中発生源を探る。寝息にどうにかして近づこうと、そーっとそーっと歩を進める。部屋の最奥に視線を巡らせると、窓際に置かれたベッドに、誰かが横たわっているのがうっすらと見えた。
さっきご飯をテレポートしていたから、食べた後の昼寝といったところだろうか?
「……まいったな」
僕としては起きていてくれていたらかける言葉もあったのに。
「……」
そもそもこの状況はどうだ?
目が覚めたら男の人が部屋にいる状態。軽く……というか、だいぶホラーじゃないか?
「……出直すか?」
せめてユノが起きた時に。
僕はベッドで眠るユノを見つめた。暗くて顔はあまり見えない。
──どんなふうに成長したのだろうか。
顔を見ようと近づこうとした時……
その瞬間
『ガンッ!』
「……!!??」
いきなり小指に衝撃が走る。目の前が白くなった。
「くっ……っ!」
蹲りながら、今ぶつかったものに手を這わせる。
──あ……テーブルの脚か。
暗くて全然見えてなかった。
「……ぇ、ぁ……?」
──あ
前から、息を呑む音がした。
ゆっくりとベッドのほうに目をやると
起きてしまった彼女と、ばっちりと、目があった。
「い゛や゛ぁ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛ッッッッ!!!」
少女が飛び起きた。
「ご、ごめんごめん!! 少し落ち着いて……!」
パニックになった彼女をなんとか鎮めようと声をかける。
「はぁ゛! はぁ゛! う゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛ッッ!!!!」
ユノの手のひらに、ボウッ!と炎が宿る。
……魔法を!!
まずい! さっきは自分で対処するって言ったけど、どうやって……!
剣に手をかけようとするが……
「……!」
──剣が無い! しまった……リビングに置いてきた!!
「ゆ、ユノ! 落ち着いて!」
「う゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛ッッッ!!!!!」
「くっ……!!」
──来る! 攻撃が!!
……
……?
一向に衝撃が来ない。
恐る恐る目を開け、彼女の方を見ると、炎は跡形もなく消えていた。
僕は立ち上がるって、彼女の様子が視認できるところまで、恐る恐る近づいた。
布団に全身をくるまり、カタカタと小動物のように震えた。
「……ひっ……ひぐっ」
聞こえるのは、泣き声。
「お願いします……帰ってください……帰って……帰って……お願い……」
「……」
6年ぶりに聞いたその声は聞き間違いかと思うくらいかすれていた。
あの明るい声じゃない。怯えて、傷ついて、周りの全てを拒絶している。そんな声だった。
「……」
──なんで、こんなことになってるんだ。
ユノは僕なんかよりも、ずっとすごい奴で……将来を約束されているような、そんな奴だったはずだ。
「ユノ。僕だ。サイだよ。覚えてる?」
僕が名乗ると、少し布団が揺れた気がした。
「ごめん。怖がらせるつもりはなかった。ただ……」
ただ……
その先、言葉が出て来なかった。
──……僕は、なにをしたいんだ。
何も言わずに、彼女の目の前から消えたくせに。
どのツラ下げてユノの前に立っているんだ。
目の前の泣いている女の子に、かける言葉なんてあるのか?
「……」
いや、ある。どうしても、言いたかった言葉が。
僕は君から逃げ出した。
でも、本当は違うんだ。
僕が、騎士学校に入った理由は
騎士になれば、君の隣に、少しは胸を張って立てるかなって、思ったんだ。
「君に会いたかった」
僕は、混じりっ気のない本音を彼女にぶつけた。
そうだ。僕は、ずっとユノに会いたかったんだ。それが1年半前、故郷に帰省した時に思った感情。たとえ君がどんな姿をしていても、大魔導士になっていなくても、ユノに、会いたかった。
「できれば、顔を見せて欲しい」
それから、長い時間が流れた。僕は、一言も発さない。暗闇に目が慣れ、周りのものを視認できるようになりしばらく経った頃。布団の奥から、スカーレットの瞳がほんの少し、こちらを覗いた。その瞳はおびえていた。でも、確かに、僕を見ていた。やはり暗くて、顔まではよく見えない。僕は無意識に彼女へと近づいた。
「ひっ! 近づかな……あ、あれ……?」
「あ、ご、ごめん……ん?」
僕が足を止めた時、彼女の瞳が、不思議そうにこちらを捉えた。
「……」
恐る恐る、彼女は、ごそごそと布団の中で動き、少しずつ、ほんの少しずつ、こちらににじり寄ってきた。
少しずつ、彼女の手が、顔が、布団の外に現れる。
やがて、彼女の指先が僕の頬に、そっと触れた。
「……あ」
小さく漏れた声。
驚きと、戸惑いと、信じられないという感情が、すべて入り混じった吐息のような音だった。
「……さ、さわれ……ぁ、れ、」
さらにもう一歩、彼女は身を乗り出してくる。
指先では足りないとでも言うように、両手を伸ばし、僕の顔を包み込むように触れた。
「……久しぶりだね、ユノ」
僕が頬を包まれながら、声をかけた瞬間だった。
「う……あ……っ」
——ぽろり、と。
ひとしずく、涙が落ちた。
「う゛わぁああああああああああああああああん!!!」
彼女は、泣きじゃくった。
布団を落とし、小さな体を丸めながら、声を上げて泣いた。
胸の奥に押し込めていたものが、今まさに崩れ落ちていくのがわかる。
嗚咽に揺れる肩。涙と鼻水でぐしゃぐしゃになりながら、それでも彼女は泣くことをやめなかった。
まるで、泣き方すら忘れていた少女が、ようやく泣くことを思い出したかのように。
僕はただ、彼女の嗚咽を静かに見守ることしかできなかった。
……なぜだろう。
その姿が、ただただ、美しいと思った。
これは、再起の物語
彼女と、そして、僕の




