胸に空いた穴
僕は、王都の騎士学校に入学した。
街の治安や国を守る――誇り高い仕事だと、周りは言う。
けれど、別にこれがやりたい仕事だったわけじゃない。
本当は、何でもよかった。
ただ、彼女から離れられるのであれば。
故郷の街を離れて、5年の月日が流れた。
僕は16歳になり、今年ようやく騎士学校を卒業できる年齢に達していた。
騎士学校の訓練は厳しかったが、僕は淡々とこなしてきた。
目立たず、失敗もせず、叱られることも褒められることもない程度の成績。
5年間、故郷へは一度も帰っていない。
両親から手紙はよく送られてくる。この春は「久しぶりに顔を見せなさい」と何度も書かれていたので、渋々帰省することにした。
実家のパン屋は、少しも変わっていなかった。
家族から労いの言葉を受け、用意されたご馳走の席に座る。
父さんや母さん、妹と他愛ない話をしながらも――頭の片隅から、ユノのことが離れなかった。
ユノは、いまどうしているのだろう。
僕のことなど忘れて、大魔導士を目指して研鑽を積んでいるのだろうか。
できれば、その方がいい。
「どうしたの、あんた。暗い顔して」
母さんにそう言われて、僕は顔を上げる。
「……ねぇ、ユノって、いま何してる?」
僕の問いに、母さんは一瞬きょとんとしたあと、ぱっと表情を明るくした。
「……あー! ユノちゃんね! 懐かしいわね〜よくもまぁ5年も前のことを覚えてるわね!」
「……懐かしい?」
「あの子ならもう引っ越しちゃったわよ」
「……え?」
思わず、椅子を蹴るように立ち上がっていた。
「ひ、引越したって、どこに……?」
「さぁ……そりゃ私もわかんないわよ。でも確かあの子大魔導士になるって言ってたじゃない? じゃあこんな田舎にいつまでもいるわけないじゃない」
「……」
力が、一気にドッと抜けたような感覚に陥った。
話によると、僕が騎士学校に入学するずっと前から、この街を離れて魔法の研究をしないかと誘われていたそうだ。
そして僕が街を離れて一年後、彼女もウララさんと共にこの街を去ったのだという。
それは当然だ。大魔導士を目指すのなら、こんな小さな街に留まる理由はない。
……でも、どうしてだろう。
僕は勝手に、ユノがこの街にずっといるものだと思い込んでしまっていた。
そして、もし僕が帰ったときには――
『どうして何も言わずにいなくなったの!?』
そう言って、うるさく迎えてくれるはずだとばかり思っていた。
ユノはもういない。どこにいるのかすら、もう分からない。
なんでか、胸に、ぽっかりと穴が空いてしまったような気がした。
騎士学校を卒業して一年半。
僕は片田舎の警備を任されていた。派手さはないが、今の自分には分相応な仕事だと思う。
今日も後輩と一緒に街を巡回する。平和な街並みの中を歩くこと自体が、犯罪の抑止力になる。そう教えられてきた。
「あ゛づーい゛……溶けそうですよせんぱーい……なんでこんな暑い中巡回しなきゃいけないんですかー」
隣で騎士とは思えない発言を平然としているこの女の子は、僕より一つ下の後輩であるメイナという女騎士。この街で一緒の部隊に配属になってからよくコンビを組まされる。
「文句言わない。僕たちは騎士だよ。街を回ってるだけでも意味があるんだから」
「犯罪者だって、こんな暑さじゃやる気なくしますって……。あーせめてカフェに入りたい……。ほら、カフェの中を巡回して――」
メイナはカフェの看板を見つけると、今にも駆け込んでいきそうな勢いだ。
「外から見るだけで十分。ほら、もう少しで詰所だから」
僕は歩調を変えず、少し前に出る。汗を拭う彼女を横目で見ながら言った。
「訓練でこんな暑さよりもさらに苦しいこと経験してきたでしょ……ほら、がんばって」
「うえぇ……」
泣き言を繰り返す後輩をなだめながら歩く。
「巡回終わりました」
「おう。ご苦労さん」
詰所の中には男の先輩が1人。シュウ先輩という、顔立ちが整っている先輩が机に肘をついて僕たちを迎えた。騎士学校からの付き合いで、よく僕の面倒をよく見てくれていた人だ。
「次の班はもう出たから、報告書書いたら今日は上がっていいぞ」
「やったー終わったー!」
メイナが両手を挙げて喜ぶ。その切り替えの速さに、思わず苦笑する。
「じゃあサイ先輩、飲みに行きましょう! 女の子紹介しますよ!」
「いや、遠慮しとくよ、明日は早番だし」
「えー! 先輩に言ったじゃないですか! 先輩のこと気になってる友達がいるから一緒に飲んでくださいって!」
メイナは机に身を乗り出し、しつこく迫ってくる。
「そんなこと言われても……ずっと断ってたよね? それにメイナも明日早い方でしょ?」
「いやいや、せんぱーい……早いって言ってもまだ私たち10代ですよ? そんなんだからいつまでたっても女っ気がないんですよ」
メイナは頬を膨らませて抗議する。
余計なお世話だ。僕たちの会話を聞いてシュウ先輩がクツクツと笑う。
「諦めろメイナ。サイは学生時代も女にまるで興味なかったんだから。スッゲー可愛い人から告白されてたのに振ったんだぜ?」
「……え? もしかしてそっち系ですか……?」
「ねぇ失礼だよそれ。僕先輩だよ?」
「まぁ実際学園内で噂で囁かれていたな。サイはそっちの気があるって」
「……え? 僕知らなかったんですけど……」
そうだったんだ……ちょっとショック。
「……別に興味がないわけじゃないですよ」
僕はすこし剝れながら言い返す。僕だって人並みに彼女は作りたい。
「じゃあなんで今まで彼女の1人も作らなかったんだ? 勿体無いぜせっかく顔はまあまあ整ってんのによ」
「なんでって……」
理由は、とうの昔にわかっていた。
「……輝いてないから」
「は?」
「いや、なんでもないです」
──あの輝きを見たら、他の女の子なんて……
僕は報告書をシュウ先輩に提出して荷物をまとめる。
「じゃあ僕は帰ります。お疲れさまでした」
「あ! 待ってください逃しませんよ!」
「シュウ先輩! メイナが報告書を書かずに帰宅しようとしています!」
「おっとそれはダメだな。俺が怒られる」
「え!? 待ってサイ先輩は!? いつの間に書いてたんですか!?」
「君がぐだぐだ言ってる最中に。それじゃあまた明日、よろしくお願いします」
「おー気をつけて帰れよー」
「ちょ、ちょっと! 私、友達になんて言えば……!」
「わかったじゃあサイの代わりに俺が行ってやるから」
「シュウ先輩はチャラいからダメです! サイ先輩! 待ってぇ!」
荷物を肩に掛けて、叫ぶメイナをよそに詰所をあとにした。
外に出れば、夕暮れの空気はまだむっとするほど暑い。
でも、メイナの騒がしい声から解放されたせいか、不思議と足取りは軽かった。
通い慣れた道を歩きながら、ふと腹の虫が鳴く。
「……そうだ、今夜の惣菜を買って帰ろう」
繁華街へ足を向け、馴染みの屋台でコロッケを買う。
「全部で銅貨3枚だよー。コロッケおまけしといたから、お勤めいつもありがとね。騎士さん」
「ありがとうおばちゃん。こっちこそ、いつも助かってるよ」
紙袋を片手に歩き出したとき、不意に甲高い悲鳴が耳を打った。
「きゃっ!」
甲高い悲鳴に振り返る。
道端で女性が転んでいた。両手に抱えていた紙袋から、果物がころころと転がっていく。
僕は駆け寄って散らばった実を拾い集め、袋に戻した。
「大丈夫ですか?」
「……! は、はい……少し、買いすぎてしまって……」
「重そうですね、少し持ちますよ」
「あ、ありがとうございます。お、お構いなく……」
僕は果物を紙袋に入れ、女性に渡した。
――視線が重なった瞬間、胸の奥で何かが弾けた。
忘れようとしていた名前が、思わず唇からこぼれ落ちる。
「ウララ……さん?」
その人は、6年ぶりに再開した、ユノのお母さんだった。




