惨めで、格好悪くて、みっともない
夕方、川の水でびしょ濡れになった僕たちはユノの家へ帰ってきた。その頃には、魔法協会の人たちの姿はなかった。
「ただいまー!」
「お、お邪魔します……」
「おかえり。あらあら……ずいぶん汚れちゃったのね」
迎えてくれたのは、エプロン姿の女性――ユノの母、ウララさん。
黒く長い髪に、穏やかな笑顔。
「お風呂入ってくるー! サイも行くわよ!」
「えぇ……僕は後で……」
「えー、ちっちゃい頃は一緒に入ってたじゃない」
「ふふっ、じゃあサイくんはせめて体は拭きましょう。タオル持ってくるから待っててね」
ユノとウララさんは洗面所へ消える。
食品を扱う我が家では、泥だらけで帰るのはご法度。
だから川遊びの後は、こうしてユノの家でお世話になるのが常だった。
「ごめんなさい……ずぶ濡れで……」
「大丈夫よ。子どもは思い切り遊ばなくちゃ」
僕は玄関で泥を払い、ウララさんに頭を拭かれていた。
「う、ウララさん……自分で拭けますから……」
「この時間が好きなの♡ お願い、拭かせて」
お淑やかな笑顔のまま、手を止めない。
その間も、昼間の言葉が頭をよぎる。
――『そんな奴と一緒にいたら、お前の才能が腐る』。
「どうしたの? 難しい顔して」
「……なんで、ユノは僕なんかと仲良くしてくれるのかなって……」
ウララさんの手が一瞬だけ止まる。
「僕なんか、何の才能もないのに……もっとすごい子といたほうがいいんじゃないかって」
「……あらあら、そんなふうに卑下しちゃダメ」
ウララさんは優しく目線を合わせる。
「気持ちはわかるわ。親の私から見ても、ユノは天才だもの。気後れするのも当然よ」
「……はい」
「でもね、同い年のサイ君と遊べて、ユノはとっても嬉しいの。才能なんて関係ないのよ」
「……でも、同い歳の子なんて僕以外にも……」
「そうねぇ……じゃあ聞いてみたらどうかしら? 『どうして僕と一緒にいるの?』って。何か理由があるのかも♡」
僕と一緒にいる理由……そんなものがあるのだろうか。
「それに、あなたはユノのこと、嫌いじゃないんでしょ?」
「……はい、嫌いじゃないです」
「なら、それでいいの。他の誰が何と言おうと、大事なのは二人の気持ちよ」
ウララさんの言うとおり、僕はユノを尊敬していた。何事にも一生懸命で、才能もあるのに努力を惜しまない。なにより、彼女は優しかった。
憧れだった。
でも――憧れだからこそ、隣にいるには眩しすぎた。
「あ、ありがとう……魚を運ぶの手伝ってくれて」
「全然いいのよ! たくさん獲れたんだから、サイのママもびっくりするわ!」
獲れた魚はユノの家と半分こにして、残りを僕の家へ運んでいた。
日が沈みかけた砂利道を、クーラーボックスを手に歩く。
『じゃあ聞いてみたらどうかしら? どうして僕と一緒にいるの?って。理由があるのか♡』
ウララさんの言葉が頭をよぎる。
ユノが僕と一緒にいる理由……もし本当にそんなものがあるのなら――
「ねぇ、ユノ……」
「あ……」
僕の言葉を遮るように、ユノが立ち止まった。
視線の先――僕の家の前に、スーツ姿の男が立っていた。タバコの煙が夕暮れに溶ける。
ユノを見つけると、男は笑顔で手を振り、こちらへ歩み寄る。
「あー、いた! ユノちゃん! ここにいれば会えると思ったよ!」
胸元のバッジが夕陽を反射する。魔法協会の紋章だ。
ユノの表情が固まり、すっと僕の前に出る。
「この間見せてもらった『次元魔法』の論文、素晴らしかったよ! 11歳が書いたとは思えない!」
「あはは、ありがとうございます」
口では笑っていても、彼女の瞳は笑っていなかった。
「それで――あの話、もう考えてくれたかい?」
「……いえ、まだです。あと、その話は今はしないでください」
内容は難しくて、僕にはよく分からない。ただ、ユノの声が少し硬かった。
男の視線が僕に移る。
「君は……ユノちゃんの友達、サイくんだね?」
「え、はい……」
「君も魔法を使えるのかな? 彼女の友達なら、きっと君にも――」
「い、いや、僕は……」
「サイ、行きましょ」
ユノが僕の手を取る。男を無視し、早足で通り過ぎる。
男は肩をすくめ、背を向けて去っていった。
「ほんと失礼よね。あんなの、聞く必要ないわ」
「……うん」
けれど、こういうことは昔からずっと続いていた。
『ユノさんと仲良いんだって? 魔法見せてくれない?』
『なにもできないの? ……あぁ、普通の子はそうだよね』
魔法協会だけじゃない。街の人たちにも、何度もそう言われた。彼らの視線は、僕を透かしてユノだけを見ていた。そのたびに、僕は自分がただの影でしかないように思えた。
ユノのことは嫌いじゃない。
でも――そんな毎日が、僕は嫌だった。
次の日。僕はあのガキ大将に捕まっていた。
ドガッ!
「ぐぅ……!」
人気のない森の入口で殴られる。これも、よくあることだった。ガキ大将が、僕の胸ぐらを掴む。
「なんでお前なんかがユノと一緒にいるんだ?」
「ち、ちがう……僕はただ、魚釣り勝負を――」
「お前、本当に勝ってると思ってんのか?」
「……え?」
「ユノが本気出せば、魔法で魚なんか一瞬で取れるだろ」
「……!」
「遊ばれてんだよ、お前は!」
「……ちがう」
僕は胸ぐらを掴むその腕を握り返す。
「ユノは、そんな子じゃない」
「じゃあなんだってんだよ!」
「こらーーー!!!」
怒声が森に響いた。振り返ると、全力で駆けてくるユノの姿。
「サイをいじめるな!」
「チッ……行くぞ!」
3人は逃げ去った。ユノに勝てないことを知っているからだ。
「……逃げ足だけは早いわね。大丈夫、サイ?」
差し伸べられた手を、僕は取らなかった。
「……うん、自分で立てる」
「でも怪我してるじゃない! 治すわよ」
ユノの手が頬に触れると、魔法の光がやさしく包み、痛みが消えていく。
「……どう? 痛くない?」
「うん……ありがとう」
「よかった。大丈夫。またアイツらが来ても、私が守ってあげるから!」
「……」
彼女は、何でもできた。
でも、そんな彼女の隣に立つ自分は――
惨めで、格好悪くて、みっともなくて。
なにより――
『遊ばれてんだよ、お前は』
そんな言葉を、もう聞きたくなかった。
⸻
数日後
「サーイー! あーそーぼー!」
……
「……? サイ……?」
僕は、ユノの前から姿を消した。
さよならも言わないで。




