看病
「きょうは、もうかえって……」
「……」
その声は、冷え切っていた。
6年前も、今も、聞いたことのないような声。
確かにユノの言うとおり、風邪なのであれば僕があまりここにいることもよくないし、帰ったほうが良いのだろう。
でも、なぜか、嫌な予感がした。
「遠慮しないでいいよ。看病くらいなんともないから」
今、ユノを1人にしてはいけない。
僕の心がそう警鐘を鳴らした。
「熱が下がるまでは、看病させてよ。寝れないなら、何か食べたいものでも持ってこようか? 果物とか」
「……なんで、私なんかに構うの?」
いつものように、少しオドオドした……というか、こちらの顔色を伺った声色じゃない。
「ママに、お金でももらったんだよね? でなきゃ、こんなめんどくさい小娘に構う理由なんかないもんね」
「……そんなことないよ」
「嘘」
「ほんとだよ」
「誰があなたの言葉を信じるの?」
その言葉は、淡々としていた。
「どうせ、いなくなっちゃうくせに」
「いなくならないよ」
僕がそう言った瞬間、彼女の目が、僕を向いた。
「じゃあなんでっ!! あの時いなくなったのッ!!」
「……!」
その瞳から感じ取れたのは、憎しみだった。
そこまで言われて、僕はようやくユノが何を言いたいのかわかった。
ユノは、6年前のことを言いたいのだ。
僕が、何も言わずに去ったあの時。
ユノと再会してから、その話は一度も出ていなかった。
だから、ユノもあまり気にしていなかったのだろうと勝手に思っていた。
「さよならも言えなくて……わ、私が……どれだけ……どんな気持ちになるのかなんて、まるで想像しなかったくせにッッ!!!」
「……」
かける言葉もなかった。
ユノは、今でもずっと、苦しんでいたんだ。
僕が急にいなくなったことについて。
スカーレットの瞳に涙をいっぱいに溜めて、僕を睨んだ。
「出てって!!!」
「いやだ!」
振り払うユノの手を僕は掴んで、離さなかった。
彼女の手は熱かった。
「確かに……一度僕はユノを1人にしてしまった……でも!」
ユノの才能に、僕は一度屈した。
あまりにも眩しくて、隣に立つことが苦しくて。
でも
僕はユノの腕を掴んだまま、真っ直ぐにユノの瞳を見つめた。
「もう……ユノを1人にはしない!! 絶対に!」
「……!」
子供の時は、しっかりと見ることができなかったユノの瞳。
ユノは目を見開いた。
涙がこぼれ落ちて、腕の力が、徐々に徐々に抜けていった。
やがて、彼女は力無く、僕に対して呟いた。
「……勝手に、して……」
ドサッ
「……! ユノ!」
ユノは気を失ってしまった。
高熱の中大声で叫んだからだ。
とりあえず、僕はもう一度タオルを冷水で絞って、額に当てた。
そして、僕の頭には2つの選択肢があった。
『医者に連れて行く』か、それとも『看病をする』か。
医者に連れて行くということは、ユノを部屋の外に無理矢理出すということになる。
でも専門知識もない僕が看病をして、もし何かの病気だったら……
医者を連れてくるという考えは……?
様々な考えが脳を巡る中、僕は自分で看病することを選んだ。
どの選択肢を選ぶのが正解かはわからない。
でも、もし医者に連れて行こうと、ユノを外に出したら、熱が下がったとしても『最悪の結末』になる予感がした。
思ったより体温が高くて、冷たいタオルを当ててもすぐにぬるくなる。
その度に、タオルを冷水へ。
額だけでは効果は薄い。
脇の下や太ももは難しいから、首の頸動脈も冷やす。
もっとタオルを持ってこないと。
タオルを冷やす。
絞る。
当てる。
冷やす。
絞る。
当てる。
氷が溶けたら、また補充をする。
冷やす。
絞る。
当てる。
何回も、何回も、繰り返す。
……
……
……
日は、すっかりと落ちてしまった。
指はふやけて、血が滲んでいる。
額に手をやると、だいぶ熱は下がってきたように思える。
でもまだ少し温かい。
もう一度、タオルを変えようと思い、タオルを絞った。
「……ん……」
その時、ユノの瞼が、ゆっくりと開いた。
「おはよう」
「……おはよう」
こっちを見つめる瞳には、先ほどのような暗さや影はない。
なんとなく、光が戻っているような気がした。
「少しは体調、良くなった?」
「……うん」
ユノは頷いて、ベッドから起き上がった。
「……本当に、看病してくれていたんだね」
「ユノを1人にしないって言ったでしょ。ユノはその後気を失っちゃったから覚えてないかもしれないけど……」
「……ううん、覚えてる」
ユノの瞳が少しだけ潤んでいるように見えた。
「着替え、持ってくるよ。あとタオルも。」
僕はタンスから着替え一式と、新品なタオルを取り出して、ユノに渡した。
「……自分で、着替えられるから」
少しだけ顔を赤くして、ユノは言った。
「少しだけ、外に出てるよ。着替えが終わる頃には戻ってくるから」
下に降りると、ウララさんは僕用におにぎりを作ってくれていた。
現状を説明して、僕がおにぎりを食べている間、ウララさんにユノ用にお粥を作ってもらった。
お粥を持って部屋に入ると、着替え終わったユノがベッドに座って待っていた。
だいぶ顔色は良くなったけど、まだ熱はある。
食欲は多少戻ってきたそうだ。
食欲がなければお粥は僕が食べようと思っていたけど、要らぬ心配だったらしい。
ユノは無言で食べていた。
僕も、それを無言で見つめていた。
お粥は、ちゃんと全て食べることができた。
「どうして聞かないの?」
お粥を食べ終わった後、ユノが僕に聞いてきた。
「なにを?」
「私が、部屋から出られなくなった理由」
「……ウララさんに言われたからね。ユノにはその話をしないで欲しいって事」
「……そっか……」
それ以上の会話はなかった。
でも、なんとなく居心地は悪くなかった。
その後、ユノはもう一度眠った。
熱は、どうやら引いたみたいだ。
安らかな、寝顔だった。
今日は、この部屋に泊まることにした。
ウララさんは別室を用意すると言ってくれたけど、断った。
ユノが次に目覚めるまで、そばにいたいと思ったから。
彼女が目を開けた時に、少しでも、安心できるように。
僕が手を握ると、ユノの表情が少しだけ和らいだような気がした。
僕はそのまま、眠くなるまでずっと、ユノの顔を見続けていた。




