万物再生の能力⑩ 「襲撃者」
更新しました。遅くなって申し訳ありません。その分、今回はちょっと長めです。
「春……井、明…………人……っ」
祗蓮は掠れた声を必死に絞り出した。
名を呼んだスーツの男が嬉しそうに微笑む。その一方で、祗蓮は顔中から血の気を引いていた。驚愕の表情で相対した人物を見入る。
「なあ、祗蓮。こいつ誰?」
前方に立っている祐雅に小声で尋ねられた。全身での警戒は維持している。素性を知らないとはいえ、彼が只者ではないと感じているらしい。
説明するより早く、本人が名乗りを上げた。
「初めまして。私は春井明人。かつて、教主様の世話係だったものです」
「親切にどうも、って言うのはおかしいよな。……最初から祗蓮が狙いか? 学園中の生徒を狙っている様に見せかけ、実際は祗蓮を攫いに来たって訳か」
ぞんざいな言葉遣いで吐き捨てられた推測に、柔和な様相の春井明人が反応する。わざとらしく、尚且つ丁寧に。一挙一動の仕草に敬意を滲ませ、祗蓮を背中に置いた古崎祐雅に話しかけた。
「おや。そこまで知っているとは。素晴らしい。流石、教主様のご友人ですね」
黒い髪を揺らし、春井明人は賞賛した。ノリの利いた衣服が相まって、とても敵対する人間には見えない。しかし、祐雅の身体に隠れていた祗蓮が遠くから反論をぶつけた。普段から上品な彼女にそぐわない、粗雑な怒りが飛んだ。
「ワタクシはもう教主などではありませんわ! 普通の人間なのですわよ!? 天慧教団の頃の話を持ちだすのは、止めて下さいまし!」
真っ向から立ち向かっている様だが、身体の震えはどうしても誤魔化せなかった。祗蓮は虚勢を張っている。
春井明人はそんな祗蓮を数秒見つめ、小さく息を吐いた。
「……こちらも、そういう訳にはいかないのですよ」
ぱちん、と指を鳴らす。
彼の周辺に細かく光る粒が瞬時に広がった。左右へと散らばり、やがて光明を失くしていく。輝きの中から出てきたのは黒い粒だった。
「祐雅!」
悲鳴に近い叫びが飛んだ。呼ばれた本人も反射的に身を竦める。
空気に触れた粒子から火炎が迸った。大きく渦巻いていた風に乗り、炎がすぐさま辺りを包んだ。熱気が空へと昇る。灼熱の光がスーツの男と、祗蓮達を囲んでしまった。
「発火能力? いや、これは」
「初めに教えておきましょう。私の能力は《物質具現》です。酸化反応に優れた粉末を具現化しました」
突然の火に戸惑っていた祐雅に春井明人は教えた。片手を宙に持ち上げ、もう一度指を鳴らす。今度は青い粉末が現れた。色鮮やかな粉は風に躍らせ、瞬く間に散り散りになってしまった。
能力を示すだけの動作を前に、祐雅は張った唇を持ち上げる。
「丁寧にどうも……。でも、油断しすぎじゃね? この俺の前でさ、自分の能力を明かすなんて」
やけに挑発的な言葉遣いだった。間近で聞いている祗蓮を緊張させる。祗蓮は目の前の男が第五階級だと知っていた。対する祐雅は第一階級。能力の差は歴然としていた。
(はったり、ですの?)
細々とした策略の綱が伸びるのを感じた。祗蓮は己が感情を隠すのが苦手だと自覚している。邪魔にならない様、祐雅の背中で縮こまった。
「ああ、すいません。貴方の能力は戦闘に使えない物であるのはもう知っています。だからその虚勢は無意味です」
「えっ?」
だが、希望は即座に切り捨てられた。これでは風紀委員が来るまでの時間も稼げない。祐雅の絶句が虚しく鼓膜の中に響いた。
「知っているって……そうか、昨日のアレか」
「ええ。貴方の勇姿は見させてもらいました。そして、教主様に護衛が付いていない事も確認させてもらいましたよ」
祐雅が爆破能力者と戦った先日の事件。その一件を口にされ、祗蓮は春井明人の執念が尋常ではないと知った。綿密に、用意周到に計画を立てたのだろう。
「先に言っておきますが、逃げるのも無理ですよ。他の経路は仲間が塞いでいるので」
「……くそ」
「抵抗も無駄だと分かりますね? 私……私達も、荒事はなるべく控えたいのです。あの方の目的は教主様を取り戻すこと。それ以外は眼中にありません」
祗蓮は言葉の途中で眉を動かした。
「あの人」という発言が気になったのだ。春井明人はかつて自分の世話をしてくれた一人である。だからこそ彼の性分は知っている。こうした大胆不敵な襲撃をする様な人物ではない。その認識がとある事実を連想させた。
主犯は、別にいる。
「あの人…………まさか!」
更なる恐怖が祗蓮の脳裏をよぎった。ここまでの騒動を引き起こす人間に、思い当たりがあった。
「もしや、あの男が主犯ですの? 天慧教団の元幹部。……木場、京悟が」
震えた唇で忌まわしい名前を紡ぐ。
黒髪の男は軽く視線を下げた。柔らかな顔つきが保たれており、祗蓮は肯定の意志を読み取った。
「そんな……どうして、また」
「木場様は同志の無念を引き継いでおります。あの方は我々の理想を実現するまで、決して止まりはしないでしょう」
「あれ程の死者を出しておいて、理想も何もありませんわ!」
かつて天慧教団を二分した派閥。その内の急進派でリーダー格だった男こそが木場京悟である。能力の性質上、暴力を良く好んでいた。教主である祗蓮に振るった事は無いが、教団の手先として対立組織に何度も能力を向けていた。今となっては忌まわしい過去の象徴にさえ含まれている。
まだ血を流し足りないと言うのか。祗蓮は憤然とした思いを目の前の春井へぶつけようとした。
「…………ちょいと、俺が蚊帳の外なんですけど」
片腕を伸ばし、祐雅が制した。
「大体の事情は分かった。木場って奴が主犯だな。んで、そいつが祗蓮の誘拐を企んだんだな?」
「誘拐ではなく、救出です」
三十代前半であろう男は学生の理解を丁寧に正した。一見すれば下手に出ている。「同じだ、どっちも」と祐雅も返す。祗蓮を介入させず、彼等は淡々としたやり取りを交わしていた。
ただ、気付かぬ内に探り合いは始まっていた。
じりじり、と祐雅の前足が地面を擦る。些細な行動に祗蓮は気付いた。それでも緊張による静寂を保つ。恐怖と信頼が混ざり合い、邪魔をしてはいけないと自分に言い聞かせていたのだ。
「……させると思いますか?」
目的が抜け落ちた疑問を放ち、春井明人は再び能力を行使した。
ボゥ、と火炎が舞う。発火する粉塵が祐雅達の退路を完全に塞いだ。熱と光、怪しく揺らめく炎が足場さえも埋めていく。
「あちーよ!」
「申し訳ない。強硬策を取らせてもらいます」
春井が口だけの宣言をした。これで祗蓮の前に佇む祐雅は動けなくなった。風を受けて燃え盛る炎熱の壁がそびえているのだ。
「…………くっ」
祐雅の喉から細い呻きが漏れる。現状を打破出来る策を持っていないのだろう。苦しそうに汗を額に浮かべていた。
窮地に追い込まれた、と祗蓮も同じく感じていた。祐雅は第一階級。春井明人に勝てる見込みはない。何より、これは自分に関係した襲撃だ。自分で切り抜ければならない、と祗蓮は覚悟を決めた。
瞼を力ませ、瞳を強く細める。
「――――!」
祗蓮は《万物再生》を発動させた。全身に若干の悪寒が駆け巡り、同時に確かな手応えを胸中で噛みしめた。
一瞬にして消える、真っ赤に踊っていた炎。細かい粒子が瞬時にして現れたが、それも瞬く内に無へと還っていた。元は春井が無から作り出した物質だ。再生の現象によって無へと戻ったのである。
「万物再生ですか。……しかし、全ては消えていませんよ?」
スーツの男が言った通りに、炎はまだ半分は残っていた。
(やはり……全部は消せないですわ)
胸の奥で悔しがる。二度目の発動を考えた。
「う」
直後、鈍い倦怠感が祗蓮を苛んだ。能力発動における代償が身体から奪われていた。無意識のセーブによって不調の程度は軽い。だが、能力にかかるセーブや反発心は逆に膨らんでしまった。数値には出ていないが、祗蓮は身体の加減を良く把握した。
(まずい、ですわ)
再生による火炎の返還が間に合わない。元から戦闘に向いていない能力だった。けれども、不甲斐なさを噛みしめた。
「……無理すんな、祗蓮」
「しかし……!」
春井の狙いは祗蓮、ただ一人。傍にいる祐雅の安全までは保障出来ていない。年下で、最低の階級で、まだ心配してくれる少年を祗蓮は遠ざけたかった。
「ここで俺達がやれる事は、何もない」
背を向けたまま、古崎祐雅ははっきりと断言した。
「そんな……」
胸の奥で罅が入る小さな音が聴こえた。熱気に当てられた視界が歪む。まともに立っているのさえ辛かった。
「諦めてくれましたか? なら、教主様をこちらへお渡しください」
火炎を間接的に生み出した男が手を差し出す。祐雅を通り越して、その意識は祗蓮へと投げかけられていた。
本人は返事に詰まる。逡巡が喉元まで込み上がる。決断する意志が迷子になっていた。従うべきか、逆らうべきか。二つの選択肢の狭間には光が届かない程に深い。
――そんな戸惑いの折。
「それは出来ない相談だな」
数瞬前とは食い違った発言が放たれた。古崎祐雅は片腕を水平に持ち上げ、祗蓮を庇う様に真っ直ぐ伸ばしていた。
「諦めたのではないのですか? 私は暴力を好みませんが、教主様の為なら一人や二人の犠牲は躊躇いませんよ?」
春井明人が掌を持ち上げ、指を鳴らそうとする。
「やってみろよ。どのみち、手遅れだ」
緊迫する空気の合間に祐雅の笑みが浮かんだ。春井明人が思わず動きを止める。呆然と聞いていた祗蓮も疑問に虚を突かれた。
手遅れとは、一体何を意味しているのか。
その答えはすぐに訪れた。
「間に合ったらしいね」
火炎の壁より向こう側から、淡々とした声が響く。
そして、熱を放っていた炎の膜さえも一瞬にして消滅した。
「――っ!? 何だ……!」
春井明人が表情を崩して動揺する。
高温の跡地には黒い焦げ跡ができていた。代わりに吹いた風が場を撫でる。空間が定温に戻った。真っ赤な火の余韻さえ跡形もない。春井の能力から生み出された現象は完全に掻き消されていた。
かつ、かつと足音が鳴る。
「誰だ……っ?」
引き締めていた唇を開いて、春井は近付いて来る人物に尋ねた。
焼け焦げた地面を踏みしめ、その人物が進む。ショートカット気味の赤茶色の髪をなびかせ、春井の問いに悠々と答えた。
「私かい? 私はね、そこの少年の可愛くて万能で……とても強いメイドさんだよ」
一人の女性が古崎祐雅を指した。
短めのスカートに色彩鮮やかなエプロンドレス。凛々しい顔付きは無表情を保っていたが、僅かな笑みが浮き彫りになっている。炎を生み出した春井に対し、余裕を持った態度だった。
「来たか、祥子さん!」
祐雅は弾んだ声でその名を読んだ。メイド服を着た女性の名前は、鈴谷祥子。古崎祐雅が信頼する能力者だった。
「どうやって今の炎を……。いや、そもそも対応が」
「一晩も時間があれば気づくさ。昨日の事件の不自然さにはね」
祥子が更に足を踏み出す。
「……貴方の話は捕まえた後で訊こう。降伏するなら今の内だよ?」
小さく首を傾げ、祥子は襲撃者に問うた。右手の指先が軽く屈伸される。能力を行使する準備をしていたのだ。
「降伏? 私の炎を打ち消しただけで、我々が破れた事になると思いますか?」
対峙する春井の重心が僅かに低くなった。両目を祥子に向けて懸命に凝らしている。彼女の能力を見極めようとしていた。火炎を無に帰した相手。それだけで油断は禁物だと悟ったのだろう。祗蓮と祐雅から完全に意識を外していた。
「……あの、方……」
祗蓮は突然に姿を見せたメイドに困惑させられていた。記憶の通りであれば、祐雅と抱き着いていた女性である。当時はその印象しか抱いていなかった。能力者としての実力は想像もしていなかった。
だが、現時点で放っている雰囲気から分かった。あのメイドはかなりの強者なのだ。火炎を消した結果に、不審者と面する勇敢な気構えがまさにそれを証明していた。
「はぁ」
祥子が臨戦態勢に入った春井を見据え、溜息を軽く吐く。
「我々、ねえ。まさか気付いたのが私だけだと思っているのかい? 貴方達が相手にしているのは学園だよ? かの風紀委員が守護する公機関だ。そうそう上手く行く訳はない」
言葉を区切り、メイドは何かを察した様に首を持ち上げた。春井の背後を見つめ、淡々と指摘する。
「……ほら、今まさに彼等は動いている」
彼女の一言を境に、学園の土地を渦巻いていた豪風がピタリと止んだ。
「何っ!?」
緩やかになった風向きを横目で確認し、春井が動揺を大きくする。先程よりも頬の引き攣り方が酷くなっていた。火炎を消された事に比べ、風の停滞は彼等の作戦に重度の支障を来たすのだろう。
案の定、春井は耳元に手を添えて大声を発しようとした。
「柾谷! 一体何を――」
春井明人の言葉は最後まで続かなかった。発声の途中で大きく真横へと飛んだのだ。
きぃん! と鋭い氷の塊がそびえる。その場所の気温が一気に下がっていた。真上へと先端を尖らせた氷塊の周囲で冷気が漂う。
「おや、惜しい」
氷結の寸前で逃れた春井を祥子が目で追う。その瞳からはぼんやりと光が零れている。飛び退くスーツの男を追って、輝きは駆ける。
「氷結の能力者か!? 通信の隙を狙って……!」
汗と渋面を浮かべ、春井が祥子から距離を取った。相手の口車に乗せられて反省をしたのか。耳に付けていた小型の通信機を外し、そっと胸のポケットに仕舞う。
一方。
メイド服の女性は祐雅達の元へと歩み寄った。
「祐雅君。彼女を連れて逃げろ。ここは私が何とかする」
「……ありがと、祥子さん」
祥子の囁きを聞き取り、祐雅は背後に隠していた祗蓮の片腕を掴んだ。
「行くぞ、祗蓮!」
「で、でも……」
祗蓮は祥子の方を振り向いた。春井明人の実力は祗蓮が良く知っている。戦闘だけではない万能の能力者だ。彼女だけを残しておくのは気後れだ。
「祥子さんなら大丈夫だ! 今はお前を避難させるのが最優先なんだよ!」
一喝された少年に強く引っ張られ、祗蓮は春井から真逆の方向へと走っていった。よろつく足で焦げ跡を踏みつけ、ただ走り続ける祐雅に従う。
最後に、流し目で後方を見た。
向かい合うメイドとスーツの男。その戦いがどんな結末を迎えるのか。祗蓮には予想も付かなかった。
――学園の東に位置する校門。その傍では、かつて使われていた古い校舎が未だに残っていた。踏み入る生徒や職員は誰もいない。沈黙と廃退だけが建物の歴史に刻み込まれているだけだった。
そんな校舎の屋上。
無人である筈の場所に、とある学生と男の姿があった。
「……話が、違うじゃありませんか」
スーツを着こなしている男が忌々し気に呻く。
「見つけたぞ、不法侵入者。貴様がこの不自然な風を起こしている能力者か?」
制服姿の少女が手に持っていた木刀を静かに構える。中段に武器を整え、目の前の男を強く睨み付けた。
「そうだ……と言ったらどうしますか、お嬢さん?」
「無論、貴様を捕まえる。風紀委員、四天王が一角。この、十臥小夜莉がな」
強く吹いている風に、少女の黒いお下げが揺れた。身に着けていた腕章もパタパタとはためいている。
学園の治安を守る風紀委員。その一員である十臥小夜莉は、襲撃してきた天慧教団の残党と対峙していた。
――また、学園の西に位置するもう一つの校門。すぐ近くは専用の広大な駐輪場が設置されていた。
「一人も見かけない事は無い……と思っていたが、こいつは予想外だ」
駐輪場の近くで作業着を羽織った男が呟いた。目の前に現れた生徒を見つめながら、上半身だけを脱いでいく。簡素なシャツが露わになった。更に下には分厚い筋肉がぎっしりと詰まっていた。
「俺達を舐め過ぎだ。不法侵入者」
遭遇した生徒が重い口を開く。太い肩幅と引き締まった両足を交差させ、段々と男に接近していく。作業着の男に負けない程の図体を生徒ながらに誇っていた。
筋肉で膨れ上がった制服越しの腕には腕章が備わっている。それは風紀委員の証であった。だが、単なる委員会の一員ではない。
「お前が相手になるか。第八階級でもあり、噂の風紀委員長さんよ!」
西側にて天慧教団の一人に出会っていたのは、最高階級を保持しており、かつ風紀委員の頂点に立つ生徒だった。
「覚悟しろ。この俺の拳は、とてつもなく重いぞ?」
盛り上がって参りました。すぐに次話を更新できるように頑張ります。




