〜不安と安心〜
明かりの落ちた病室に水上 暦は横たわっている。
怪現象も治まって、見ただけでは普通の怪我人と変わらないからだ。
看護用に用意された椅子では、夜通し看病を続けていた紗季が力尽きて寝息を立てている。いくら彼女でも、戦地から帰って来ての看護は堪えたのだろう。
そんな中、病室の扉が静かに開いてアイシャが顔を覗かせた。
「サキ、起きてる?」
小さな声だが、しっかりと呼びかけても紗季は目を開けない。
アイシャは小さく拳を握り締めると、手際よくサキを付添人用のベッド移してから椅子に座った。
「ねえコヨミ、今言うことじゃないんだけどさ...私の愚痴に付き合ってくれる?」
当然ながら、未だに目を覚ましていない暦から返事は無い。
しかしアイシャは、まるで返事が聞こえたかのように語り始めた。
「今日の夕方にさ、エレンに怒られちゃった。迷いがあるなら国へ帰れって、ここは居場所じゃないって。・・・コヨミはどう思うかな?」
何も知らない人間が、一人で喋り続ける今のアイシャを見たならば、きっと心を病ませた人間だと思うだろう。
しかし、彼女を知る者からすれば、この行動は彼女の自問自答であり、その媒体として暦を使っているのだろうと安易に予想できた。
尤も、多くの訓練生が正規のガーデン生となるか、それとも国へ帰るかの選択を突きつけられ、苦悩していたので、彼女の行動も現在なら不思議に思われなかったであろう。
「私はね。実は残っても良いかなーって、結構思ってるんだ。故郷に帰えっても、女の私じゃ出世もないし、何処かの知らない人と結婚して一生を終えるのが関の山」
それまで目を閉じて語っていたアイシャだったが、突然目を開けると、いつもの彼女らしい、明るい笑みを浮かべた。
「そんな詰まらない人生よりも、ガーデンで泣いて、笑って、生きていく方がよっぽど好き。私ね、本当は結構なじゃじゃ馬なんだよ?」
そう笑ってから、再び彼女は目を閉じる。
「でも、やっぱり不安だし、怖いよ。1人は嫌、誰かに...コヨミに導いて欲しい。変だよね?どうしてコヨミなんだろ。スピエンやウィルだって居るのに...」
「お兄ちゃんにはね、不思議な中毒性があるんだよ」
突然背後から飛んできた声に、アイシャは飛び上がるように驚いた。
「サ、サキ⁉︎いつから起きてたの?」
「ついさっきだよ。お兄ちゃんに導いて欲しいって辺りから」
さらりと紗季は嘘を吐く。
彼女が身体を動かされて目を覚まさない筈が無い。
アイシャは恥ずかしくなって頬を赤くしたが、すぐに血の気が引いた。
暦好きとして名高い紗季に、一部でも聞かれていたとすると後が恐い。しかも、聞かれたのは一番都合の悪い部分だ。
恐る恐る振り向いたアイシャだったが、一方紗季は、真剣な表情でアイシャを見ていた。
「お兄ちゃんは優しくて、とっても強い。冷たく見えるのに、どこかお人好しで危なっかしい。付かず離れずが上手で、だから私たちは離れられない」
「サキ・・・怒らないの?」
「どうして怒る必要があるの?」
いつもと何処か雰囲気が違う紗季にアイシャは困惑し、思わず虫の居所を尋ねてしまったが、逆に紗季は疑問の意味が解らないとばかりに首を傾げて問う。
「だって...その、変な事を....コヨミに言っちゃったから」
「そうかな?自分の信頼できる人に胸の内を明かす事が変なの?じゃあ、懺悔する人たちは皆んなおかしい人たち?」
「それは...違うけど」
確かに、紗季の言う事は尤もだとアイシャは思った。
だがそれと同時に、彼女は水上 紗季という人間がよりわからなくなる。
これまで見聞きしてきた彼女の情報から浮かび上がる紗季という人物像は、狂信的な暦好きであり、彼に降りかかる火の粉には容赦をしない人物。
というものだった。
しかし今、目の前に居て、会話をしている彼女はどうか?
平等な価値観で語り、まるで教会のシスターに説かれているようだった。
「怖がらなくて良いの。恐怖は貴女だけのモノじゃないよ」
そう語り、紗季はアイシャの頭を包み込む様に抱いた。
優しい母性と人肌の温もりによって緊張が和らぐと、強力な眠気が彼女を襲う。
(もしかすると、これが本当のサキなのかな?)
アイシャはふわふわした意識の中で、自然とそう考えた。
暦の妹ではない、紗季の本質の部分なのだと。
やがて、完全に意識を手放した彼女は、翌日の朝に付添人用のベットで目を覚ました。
「あ、おはようございます、アイシャさん。お疲れの様子でしたからベットに移させてもらいましたよ」
現れたのは、いつもと変わらない紗季。
昨日の夜のやり取りは夢であったかの様に思ってしまう程だった。
「うん、おはよう。・・・ねえサキ?」
「何ですか?」
振り向いた紗季に、彼女はとびきりの笑顔を見せた。
「ありがとう。おかげで覚悟が決まったよ」
「そうですか、それは良かったです」
紗季は兄の看護をしながら何気ない様子で返す。
それがまた、昨晩とのギャップでアイシャは笑ってしまった。
「何ですか、急に笑い出して」
「ごめんごめん、何でもないよ」
怪訝な顔をする紗季にそう返した彼女は、暦の看護が一息つくのを見計らって立ち上がると、紗季の手を取った。
「サキ、朝ごはんに行こ!」
「んー、私はお兄ちゃんの側に居たいから後でいいです」
断られて手は離したが、アイシャは笑みを崩さなかった。
(うん、やっぱりいつものサキだ)
これを機に、アイシャは少し紗季との距離を縮めたいと思うようになった。




