〜撤退せよ〜
〜Said of Koyomi〜
塔を全員で飛び出してからどれくらいの時間が経ったのだろうか?
数分のようにも感じれば数時間のようにも感じられる。戦闘中によく起こる時間感覚の喪失だ。
砲撃で大半が駆逐されている筈のグールの群れは斬れども斬れども虫のように湧き出てくる。
グールと化した同期生の姿もポツポツと見え始め、味方の消耗の具合が見て取れた。
この頃から妙な体のダルさがオレを苦しめだした。
初めは長期戦による疲れが溜まってきただけかと思っていたが、まるで関節が錆び付いたかの様な動きの鈍りが次第に目立ち始め、それには紗希が最初に気がついた。
「お兄ちゃん、辛そうだけど大丈夫?」
隊列の右端を守る紗希が小太刀を振りながら心配気に声をかけてくれる。
「ミズカミ君はずっと前線に立ってもらっているから疲れが出たんだろう。私が代わりに出よう」
「すみません」
ディアナ先輩は素早くオレの前に出てくると隊列を輪形に変更させて陣形の中央の安全な場所を確保してくれた。
「さっきの塔と上陸した海岸の丁度中間点に身を隠せそうな一軒家が残っていた。そこへ急ごう」
迫り来るグールを華麗に捌いていくディアナ先輩に従い、一同は先輩に続いて走る。
一方オレは刀を左手に持ち替えて軽く手首を振ってみると重たい痼りの様なものが残って非常に怠い。
そうしていると今度は息切れが起こり出して徐々に陣形から遅れだした。
腐っている癖にこういう事ばかり目ざといグール共はよろめくオレに集中し始める。
隊列は先行する先輩達とオレに寄り添う104班とで二つに別れて前進する。
それでもなんとか普通の人間程度の動きで迫り来るグールを捌いていたが、カクンと栓が抜けたような感覚が全身を走ると急激に動きが鈍くなりだした。
今までと違って、まるで腕に鉛を仕込まれたかのような、一挙一動が兎に角辛くなっきたのだ。
「コヨミ、横だ!」
右の直前まで迫ったグールをスピエンが教えてくれたが、刀を握る腕は全く動かなかった。
仕方なく倒れるようにして攻撃を躱すと、エレンと紗希が手際よく片付けてくれる。
ウィリアムに肩を貸してもらってやっとの思いで走り続けていたが、くらりと視界が歪むと空気に解けるように金の長髪と尻尾が消えてしまった。
「変身が...解けた?」
「・・・大丈夫だ。少し楽になった」
エレンが小首を傾げるが、変化が解けると幾分か体力が戻ったようで、再び自力で走り、刀も振れるようになった。
だが当然と言うべきか、やはり今まで通りに戻ったという訳ではなかった。
いや、正確に言えば今まで通りなのだ。
ただ、約一年ぶりの今まで通りだったのである。
詰まる所、妖怪と化す1年前の忌まわしい事故以前の状態まで元に戻ってしまったのだ。
「これは...辛いな」
微妙な反応速度の他に筋力等は特に変わっていないのだが体力が、特に持久力が大幅に下がっていて今までの感覚で戦っていると直ぐに息が上がってしまう。
こうしてみると如何に自分が異常だったのかが身に染みる。
下手に重たい鎧を着込まなくて正解だった。
「大丈夫だ。気にせずに走ってくれ!」
俺もそう叫びながら仲間と共に走った。
先輩たちの一団は俺たちと一定の距離を保って進行し続けてくれていたので道に迷うことなく件の一軒家を見つけることができた。
様子はさっきまでの半壊した塔と似たり寄ったりだったが建物の形を保っているだけましだ。
「飛び込むぞ!」
先輩の掛け声で一斉に廃墟に飛び込むとボロボロの木の扉を閉めて、棚や机などで瞬時に補強する。
「落伍者は?」
「・・・居ません、全員生存」
全員が肩で息をして全身から汗を流していた。
「お兄ちゃん、腕に怪我してるよ!」
慌てた様子で飛びついてきた紗季が俺の腕を優しく持ち上げると、確かに左腕に引っかき傷ができていて血が滲んでいた。
「多分飛び込んだ時に何かに引っ掛けたんだろう。このくらいなら直ぐに治るよ」
そう言って紗季を安心させるも、傷を意識した途端に鈍い痛みが脈打つ様に響き始めた。
どうにも傷の治りが遅い。
痛みにイラついていると、ふとある事が脳裏をよぎる。
(もしも今の俺が狐の力の恩恵に全く預かれないのであれば、この傷も瞬時に治りはしないのではないだろうか)と。
もう一度傷の状態を見てみるが塞がっていく様子は全くない。
やはり嫌な予感が的中したらしい。
こっそりと携帯治療箱を取り出して傷を消毒するとその上から湿布を貼って包帯を巻くと上着の袖で隠した。
次に上着の裾で刀の刀身にベッタリと付着した血糊を拭って刃こぼれを調べると、物打ちから鐔の近くにかけて細かな欠けが幾つか見当たり、全体にかけて脂肪が浮かんでいるので応急手当てでは斬れ味を取り戻せない事が見て取れた。
今後は極力使用を控えなければ最悪折れてしまうだろう。
刀を鞘に納め、今度は自分の体の点検をしようと伸びをしていると、一同全員の端末が一斉に鳴り響く。
内容は待ちに待った撤退命令だった。
全員がホッとした表情を見せたが、一人だけ不安そうな顔で遠くを見つめる者がいた。
それは錯乱状態で紗季たちを襲撃したエドワードという青年だった。
「俺の班員は...」
グールと化してしまったと言う班員を気にかけているようだったが、一度グールになってしまってはもう元の人間の死体に戻ることはない。
ディアナ先輩が彼の肩に手を置いて黙って首を振ると、悔しそうな表情をぐっと堪えて静かに頷いた。
「さて皆んな、知っての通り撤退命令が下った。言ったと思うが此処とビーチまでの距離はさっきの塔からの距離とほぼ同じだ。しかし困ったことにこの先は建物の密度が更に高い市街地跡を駆け抜ける必要があるので全員の手持ち武器、特に銃火器を扱う者は残弾数を教えて欲しい」
銃器を扱う人たちが一斉に残弾数を調べ始め、先輩たちの班はそれぞれ予備弾倉が一つか二つで、エドワードは拳銃の予備弾倉を五つと手榴弾を三つ持っているだけだった。
「ふむ、これじゃあ銃撃で足止めする作戦は無理だな。となると我々が剣で道を開くほかないが...」
最後の方は口ごもったディアナ先輩は自分のサーベルをチラリと見る。
やはりその刃には小さな刃こぼれが光っている。
「仕方ない、剣士諸君はだいぶ武器を消耗しているだろうが、生き残るためだと剣を潰す勢いで戦ってもらいたい」
魔物との戦闘において刀剣は銃弾と同じく消耗品である。
硬い皮膚や甲羅を持つ相手との戦闘では刀ですら折れることは稀ではない。
スピエンの持つような剣は耐久性に優れないので特にである。
事実彼の剣は中心に大きな亀裂が走っていてその寿命が近いことを知らしめていた。
「では作戦...と呼べるような代物ではないが、取り敢えず方針は決まりだな」
そう言ってディアナ先輩以下数名は手を重ねるように抜き身の剣の刀身を重ねて、こちらにも同じようにしろと視線を向けてきた。
「友よ皆、生きて帰り杯を交わそうぞ!」
俺たちも剣を重ねると先輩は勇ましく言い放ち剣を持ち上げる。
一番下が上がったので必然的の全員の切っ先が天井を向き、古風な騎士の誓いのように剣を掲げる形になった。
「いくぞ!」
邪魔な物を一切撤去した扉を蹴破ると、俺たちはディアナ先輩を先頭にして駆け出したのであった。




