〜マッドサイエンティスト〜
夜中だと言うにもかかわらず、照明を落とした暗い研究所の中でエルメスはモニターの画面をニヤニヤしながら見つめていた。
「ふふふっ...いやぁ昨日から寝ないで解析に明け暮れたのが報われたよ」
モニターには彼女の部下でもなかなか見ることの無い言葉や記号、グラフが映っており、その筋に片足を突っ込んだ者でもそれが何を意味するのかを読み取ることは不可能に近かった。
「いいねぇコヨミ、君の血は最高だ」
目をキラキラとさせたエルメスはほんの僅かに暦の血液が垂らされた試験紙を機械から取り出すとそれに火を灯す。
すると、試験紙は青い炎を上げて一瞬の間に塵となった。
「これならイケる。やっと私の悲願だった研究が始められるんだ!」
シャープなデザインの眼鏡に光を反射させ、ゆっくりと舌なめずりをするエルメスの姿は何処か狂気じみた様子が見受けられた。
先日に暦から抜き取った血液の入った保存用容器を掲げると、鼻歌交じりに作業を始める。
「ははっ嬉しいな〜やっと上層部の無茶な注文に応えられる」
HU-1と書かれたシールの貼ってある容器に注射器に移された血液を注入すると、それを小型の培養槽に落とした。
「ん?」
エルメスが薄い水色の溶液の中に浮かぶ容器をニヤつきながら眺めていると、彼女の端末からコール音が響いた。
「誰かが来たか...」
エルメスはボソリと呟くと素早く端末を操作して画面を切り替える。
すると、そこには彼女の私室の前でドアをノックする暦の姿が映し出された。
「彼か、こんな時間にどうしたんだろ?」
白衣を羽織り直して足早に階段を駆け上がると後ろ手に隠し扉のスイッチを押す。
すると、今まさにエルメスが出てきた通路が塞がれて何の変哲も無い壁へとなった。
そして落ち着いた歩調で歩き、暦の後ろ姿に近づいた。
気配に気がついた暦は振り返ると軽くお辞儀した。
「やあコヨミ、こんな時間にどうしたの?」
「エルメス先輩、夜分遅くにすみません。シラギ先輩の様子を尋ねに来させてもらいました」
「あー、それなら私よりネギルのがいいよ。あいつ気だるそうにしてるけど一応は衛生兵団の団長だから...て言っても無理か」
何か思い当たる節でもあるのか、エルメスがそう言うと暦も困った様な顔をして頬を掻く。
「ええ、団員の方にシラギ先輩は居ないって追い返されました」
「だろうね〜。シラギはあれでもガーデン最強って言われてるから重症だなんて兵団員も喋るなと管理委員から口止めされてるだろうし」
「ははは....」
「元気出せって青年!」
エルメスは空笑いする暦の背中を叩くと部屋のドアを解錠する。
「立ち話もなんだし入ったらどうだい。お茶くらいは出すよ」
「はい、では失礼します」
「じゃあ君はそこに座ってて」
二人は部屋の中に入り、暦はエルメスに言われて席に座り、彼女自身は湯沸かし器から急須にお湯を注いぎ入れて少しの間蒸らした。
「シラギの件だけど順調に回復してるみたいだよ。背中に傷を負ってたけど運良く背骨もやられてはいないし、明日明後日には意識を取り戻す見込みらしいから安心していいよ」
「そうですか...良かった」
「にしてもさあ」
「?」
お茶の入ったカップを自分と暦の前に置いたエルメスがにこやかに笑ながら暦に詰め寄る。
「何かあったかい?私の事先輩呼ばわりしてくれてさあ。冷たかった昨日とは大違いじゃないかい」
「まあ...色々とありまして。それとコレをお返しします」
そう言って暦が机に置いたのはエルメスから貰った精神安定剤だった。
「いいのかい?」
「はい、今日の朝に模擬戦があったのですが、その時に変化しなかったのでもうしばらくは大丈夫だと思います」
「どうしてだい?」
エルメスは小さく首を傾げる。
「感情の起伏による変化は、数日前にもっと本格的な変化があった時の反動の様なものだったらしく、昨晩に妹の紗季に抱かれて人間性を取り戻しーー」
「ちょっと待ったぁコヨミ!!」
「は、はい、何ですか!?」
突然目を見開いたエルメスの迫力に思わず暦は押し負かされた。
「サキちゃんって昨日一緒に居た君にベッタリな小ちゃくて可愛い娘だよね!」
「え、ええ。そうですが」
「あんな可愛い娘に...抱いたでも羨ましいのに抱かれた?ふざけんじゃねーよと同時に妄想の糧をありがとう!でもやっぱり羨ましいぃぃぃ!!可愛い娘は愛したい愛されたいんだぁぁ!!」
「先輩、時間も時間なので静かにして下さい」
この場にシラギやネギルといったストッパーが不在なため、頭を掻き毟ってのたうち回るエルメスを止められる人物が存在しないので暦が苦笑いしながら宥めた。
「はぁ...はぁ...この話については後でゆっくりと話し合おうか」
「可能ならばやめて下さい」
「それは無理な相談だよ。....っと、まあ巫山戯るのも大概にして、どうして確証が持てるんだい?」
「え?ええっとですね」
文字通りスイッチを切り替えた様に空気の変わったエルメスに着いていけない。
「上手く言い表せないんですが、こう...冷えていた芯が温まった様な...」
「それじゃあ信用できないよ。コヨミ、私は見ての通り科学者だ。目で見え、論理で表るもの以外は信じれない」
「では...俺の変化は先輩の中ではどういった結論に至ったんですか?」
「んー、それは今研究中かな。だから君には血を貰ったんだ。おかげで面白い事が一杯わかってるよ」
「そうなんですか。例えばどんな事です?」
「そうだねぇ」
エルメスはお茶を一口啜ると何処からか一本のメスとナプキンを取り出した。
「失礼」
申し訳程度に断りを入れると、彼女は暦の左腕を抑えてソッと手首にメスを添えて、薄い皮と肉を切り裂いた。
「っ!何を...」
「まあ見てなって」
一瞬の痛みに暦は顔を歪める。
エルメスは反射的に動こうとする暦の腕を押さえつけながら平然としている。
一応はナプキンで傷口を押さえてはいるものの動脈を切り裂かれている為に白い生地はどんどんと紅く染まっていく。
「・・・そろそろかな」
三十秒程経つとエルメスはナプキンを退け、血を吸っていない部分で残った血液を拭き取った。
「これは...」
「どうだい?すごいだろう?」
二人が見つめる先、切り裂かれた筈の手首には何の痕もなくなっていた。
暦は拳を握ったり開いたりして動作の確認をする。
「人間の時でも治るのか...」
「あ、気付いてたんだって...そりゃそうか。最初にここに来た時に服はやたらボロボロなのに平然としてたもんね」
「変化していた時は一瞬で治っていたんですが...やはり平時はそうもいかないですね」
「それよりもコヨミ。君はそれをどうやって隠すつもりだい?」
「それは...考えてません」
「ここはガーデン、傭兵の育成場だ。いくら訓練兵の君が直接依頼を受けて派遣されることはないとしても、そう遠くない未来に実地試験を受けることにもなるし来年からは正規の依頼を受けることになって、ますます無傷で帰ってくることは難しくなってくるだろう。それに、日常の生活でも全く怪我をしないなんてことはまずあり得ないんだ」
「そうですが...だからと言って打開策があるわけでもありません」
どうしよもないと暦は困った顔をする。
「・・・いや、一つある。サキちゃんは医学は得意かい?」
「え?はい。ここに来るまではずっと紗季が怪我を治療してくれていましたからそれなりに詳しいとは思いますけど」
「なら丁度いい。彼女を君専属にしよう」
エルメスのとんでもな発言を暦は理解できずに固まってしまう。
「専属って...簡単に言いますけど...」
「問題無いって、私は科学開発班の...通称工廠兵団のトップだしシラギも居るし、なんたって私の親友のネギルは衛生兵団の団長様だ。決して不可能じゃないさ」
「でも無茶なことには変わりないですよ」
「それは否定できないね。する気も無いし」
「せめて気持ちだけは持ってて下さいよ...うっ」
「大丈夫かい?」
突然コヨミが顔を青くして口を押さえたので流石のエルメスも声をかけた。
「大丈夫です。少し貧血が...」
「気をつけなよ。初日だからってはしゃぎ過ぎたんじゃ.....あ」
サッとエルメスの目が横のナプキンに移る。
(傷は治っても血までは復活してないか...流石に動脈を切ったのは不味かったかな)
彼女が次に暦へ視線を戻すとジトーッとした目で見つめてくる暦が待ち受けていた。
「いや...その、ごめん」
「正直に謝っていただきありがとうございます」
「まあ、兎に角君の体については任せておいてよ。精一杯努力はするから」
「はい、お願いします」
暦は一気にお茶を飲み干すと席を立った。
「ではこの辺りで帰ります。色々とありがとうございました」
「力になれたなら何よりだよ。コヨミ」
手を振って見送るエルメスを後ろに暦が部屋を出ると、少しした所に紗季が立っていた。
「紗季?どうして此処に?」
「お兄ちゃんの気配を辿って来た」
「怖いからやめようか」
「だって!あんな怪しい女の所に一人で行ったら何されるかわからないよ?お兄ちゃんが部屋に入ってから一時間しても出て来なかったら偶然を装って突入しようと思ってたんだから」
紗季は暦へ駆け寄ると上目遣いで講義する。
しかし、暦は彼女が後ろ手に抜き身の小太刀をしっかりと握っているのを見逃さなかった。
(絶対に殺る気だったな...)
「大丈夫お兄ちゃん?何処か刺されたり切られたりしてない?」
「刺されてないよ」
「・・・切られてないって言わないんだ。やっぱりあの女に何か...」
「紗季、落ち着いて」
殺気の篭った目でエルメスの部屋を見つめる紗季を暦は必死に宥める。
最終的には必殺技の抱きしめで彼女を鎮火させる。
「落ち着いた?」
「・・・うん」
紗季はホンワリとトロケた顔をして暦の胸の中でコクコクと頷く。
「さ、戻ろう。夕飯にしよう」
「うん!」
「・・・ふう」
エルメスは腕を組んで仲良く去ってゆく二人を画面越しに確認すると大きく息を吐いた。
その指には一本の黒い髪の毛がつままれている。
彼女の髪はブラウンなので、それが暦のものであるのは一目瞭然であった。
「ははっ私のメスの切れ味を舐めないでくれよ。素材2をゲット」
いつの間にエルメスが暦の髪を切ったのか、それは彼女以外にはわからない。
--------------------M.Gメモ---------------------
ウィリアム・ターナー
Lv.698
装備品 オーケンソード
備考
サザンセントリルの辺境貴族の優しい物腰で話す爽やかな優男。
自己紹介で言った通り貴族であっても暮らしは豊かな商人より少し貧しい。
愛剣のオーケンソードはメタルオーケンという鋼の様に硬い木から長い時間をかけて削り出した片手剣。
一応は木剣であるが刃があり、本人の腕前と合わさると一般的な鋼の剣よりも良く切れる。
因みに模擬戦の結果は善戦虚しくもスピエンに敗北している。




