17.恋のライバル…?①
リーリエ村の任務から帰還して、数日が経った。
あの日見たドラゴンの尻尾のような、禍々しい魔力の残渣を含んだ塊は何だったのだろう…。そのことについて、ウォーター隊長に尋ねることもできず、モヤモヤとした思いを抱えたまま、日々を過ごしていた。
そして、今日も任務を終え、報告書を届けに向かっていると、突然、華やかな桃色のドレスを身にまとった若い女性が目の前に立ちはだかった。
「ちょっと、そこの貴女」
艶やかな金色の髪をハーフアップにした少しだけ吊り目の女性は、不機嫌そうな表情を隠そうともせず、私に声をかけてきた。
宮廷魔導士ではなさそうだけれど、この棟には事務員などの職員も出入りしている。きっと、何かしらの関係者なのだろう。業務上の用件だと思い、私は「はい、なんでしょうか?」と返事をした。
すると、女性は手にしていた扇をびしっと私に突きつけ、鋭い声で言い放った。
「いい加減、グレン様に付きまとうのはおやめなさい!」
「???」
突然の言葉に、私はきょとんと首を傾げた。
——付きまとう?
いったい、何のことだろう。
言われた意味がまったく理解できず、私の頭の中は「?」でいっぱいになった。
すると、女性はふっと鼻で笑い、優雅な仕草で扇を広げて口元を隠した。
そして、値踏みするように、私の頭から足元までをゆっくりと眺めた。
「ふふっ!言い返す言葉もないのかしら?」
…うん。とりあえず、業務上の用件ではないことは理解した。
となると、そもそもこの女性は誰なのだろう?
もし関係者でもない人がこの棟に入り込んでいるのだとしたら、非常にまずい。第三部隊の警備体制に問題があるということになり、ウォーター隊長の責任問題に発展しかねない。
そう考えた私は、ひとまず相手の身元を尋ねることにした。
「大変申し訳ないのですが、どちら様でしょうか…?」
すると、女性は、まさか私が自分のことを知らないとは思っていなかったらしい。もともと吊り目だったが、その目元がいっそう鋭くなった。
「まあっ!この私を知らないというのっ?私は、宮廷魔導局の事務長アルカードの娘、マリアンヌよ!」
——ああ、よかった。関係者だった。
ひとまず、部外者が入り込んでいるわけではないとわかり、第三部隊の警備に問題はなさそうだと、私はほっと胸を撫で下ろした。
事務長とは、宮廷魔導士たちの事務手続きや業務をサポートする職員たちのトップだ。
その事務長のお嬢さんは、なぜか私がグレンに付きまとっていると誤解をしているようだ。
任務で同行する機会が多いからそう勘違いしたのだろうか?一応、私も第三部隊の制服を着ているのだけれど、彼女は第三部隊に女性隊員がいるとは思っていないのかもしれない。
第三部隊の女性用制服を着ているのは私だけだ。もしかすると、そもそも第三部隊の女性用の制服自体を知らないのだろうか…?などと心の中であれこれ考えていると、マリアンヌ嬢が突然、声を荒げた。
「ちょっと!聞いているのっ?!」
「あっ!はいっ!聞いています!グレンに付きまとうなって話でしたよね?」
「そうよ。グレン様は私の婚約者なの。だから、これ以上付きまとわないでちょうだい」
——婚約者?グレンが?
初めて聞く話に、驚きを隠せなかった。
マリアンヌ嬢は、そんな私の様子には気づかず、うっとりと瞳を輝かせ、上気した頬にそっと手を当てた。
「先日の交流会でのグレン様、本当に素敵でしたわ。氷の魔法なんて…私、初めて見ましたの。それにあの美しいお顔立ち。それで、お父様にグレン様と婚約したいとお願いしましたのよ。我が子爵家に婿養子として迎えたいとね。グレン様は平民でしょう?けれど、あれほどの実力もお持ちですもの。お父様も、すんなり認めてくださいましたわ」
そして、マリアンヌ嬢は扇で顔を隠し、見下すような流し目をすいっと私に向けた。
「ですから、私の未来の旦那様の周りをちょろちょろされると迷惑なの。ご理解いただけたかしら…?」
なるほど。おおむね理解はした。
——けれども。
私はつい、ふと気になったことを、そのままぽつりと呟いてしまった。
「でも…グレンは承諾したのかな?」
すると、私の声はマリアンヌ嬢の耳にも届いていたようで、ぷるぷると体を震わせ、みるみるうちに顔を真っ赤にした。
「そっ、それは…」
あ、この様子だと、きっと断られたのかもしれない…。
それでも諦めきれず、任務とはいえグレンといつも一緒にいる私に、こうして文句を言いに来たのだろう。
不用意な発言でマリアンヌ嬢に恥をかかせてしまったことへの後悔から、どう声をかければいいのかと悩んでいると、彼女は扇をびしっと私に突きつけ、真っ赤な顔で甲高い声を上げた。
「とにかく、貴女が目障りなのっ!グレン様の前から消えて頂戴っ!」
怒りがどんどんヒートアップしていくマリアンヌ嬢には申し訳ないけれど、任務がある以上、その約束はできない。私は、遠慮がちに口を開いた。
「ごめんなさい…それは無理です」
「はあっ?!なんですって?!貴女私を馬鹿にしているのっ?!」
「いえ、そんなことはないです…。ただ、私たちは任務で同行する機会が多いので…」
すると、マリアンヌ嬢は、いいことを思いついたとばかりにぱんっと手を叩き、ふっと嘲るような笑みを浮かべた。
「ああ、それならお父様にお願いして、貴女を異動させてあげるわ。貴族令嬢のくせに能力がないから、第三部隊なんかに配属されたのでしょう?ふふふっ。そこまでして宮廷魔導士になりたかったの?惨めね。でも、これで貴族女性が所属する第一部隊に異動できるのよ。感謝してちょうだい」
——ああ、この人は…。
その瞬間、私は、マリアンヌ嬢には何を言っても無駄だと悟った。
第三部隊の重要性を理解していないこともそうだが、そもそも事務長にそのような人事権はない。そんなことすら理解していない相手と、これ以上話す必要はないだろう。
私は「失礼します」と言って、彼女の横を通り過ぎようとした。
しかし、次の瞬間——。
がしっと、強い力で腕を掴まれた。
「待ちなさいよっ!」
振り返ると、マリアンヌ嬢はにやりと口元を歪め、私を見つめていた。
「私のお願いを聞いてくれないなら…強制的に宮廷魔導士を辞めさせてあげるわ」
そう言い放ったマリアンヌ嬢は、突然「ウォーター・シャワー!」と叫ぶと、彼女の頭上から水が降り注ぎ、全身がずぶ濡れになった。
綺麗に結い上げられていた髪は乱れ、桃色のドレスも水を吸って色が変わり、薄茶色に見えていた。
「きゃあああああっ!」
そして、マリアンヌ嬢は悲鳴を上げた。
——なるほど。
宮廷魔導士の業務規程には、「私利私欲のためにその力を行使した場合は、いかなる理由があろうとも、その資格を剥奪する」という一文があった。
私たち宮廷魔導士は、圧倒的な力を持っている。だからこそ、その力を悪用させないための枷として、この規定が設けられていた。
マリアンヌ嬢は、この規定を利用して私を排除しようとしたのだろう。彼女の悲鳴を聞きつけ、宮廷魔導士や事務員たちが次々と集まってきた。
すると、マリアンヌ嬢は涙をぽろぽろとこぼしながら、「エレノア嬢が…」と弱々しく周囲に訴え始めた。
しかし、その様子を見てる宮廷魔導士たちは、マリアンヌ嬢に同情するどころか、呆れたような表情を浮かべている。
事務員たちも何が起きたのか分からず、戸惑っている様子だったが、宮廷魔導士たちの反応を見て、誰一人としてマリアンヌ嬢に近づこうとはしなかった。
そんな周囲の反応が想定と違っていたのか、マリアンヌ嬢は困惑した表情を浮かべていた。
「どうして…」と、小さく呟きながら、戸惑ったように周囲を見回している。
暫くすると、群衆を掻き分けるようにウォーター隊長がやってきた。
隊長はマリアンヌ嬢に視線を向けると、一見すると優しげな笑みを浮かべた。しかし、見る人が見れば、その瞳には冷たい光が宿っていることが分かった。
「貴女は確か…事務長アルカードのお嬢さんですね?いったい何があったのか、説明していただけますか?」
しかし、マリアンヌ嬢はウォーター隊長の冷たい瞳には気が付かなかったようだ。待ってましたとばかりに、「実は…」と語り始めた。
彼女がたまたまここを通りかかったところ、私に呼び止められ、グレンとの婚約を解消するよう脅されたこと。そして、それを断ると、私に頭から水をかけられたこと。
時折、涙ながらに訴えるその姿は、何も知らない人が見れば、庇護欲をかき立てられ、思わず守ってあげたくなるのだろう。
——けれども。
マリアンヌ嬢の話を聞き終えたウォーター隊長は、ひとつため息をついた。そして、今まで見たことがないほど厳しい表情で、彼女を見た。
「今のお話に、嘘はないと誓えますか?」
マリアンヌ嬢は、厳しい表情を浮かべるウォーター隊長を見て、隊長が彼女の話を信じ私に失望したと思ったのだろう。こちらを一瞥すると、ハンカチで顔を隠し、私にだけ見えるように勝ち誇ったような表情を浮かべた。
そして、ウォーター隊長に視線を戻すと、はらはらと一粒の涙を流しながら答えた。
「はい。誓って、嘘はございません」
その瞬間、周囲にいた魔導士たちがひそひそと囁き始めた。
「…あの娘、終わったな」
「ああ…事務長の娘だっていうのに、何も分かっていないんだな」
「そもそも、魔力の質が違いすぎるだろ」
「あんな貧相な魔力で、よくも宮廷魔導士を陥れようとしたな」
周囲の宮廷魔導士たちは、呆れたように囁き合っていた。
実は、ある程度の実力を持つ者には、魔力の「質」が見えるようになる。「質」とは、魔力の巡り方のことで、魔力の扱いに長けた者の魔力は、途切れることなく繋がって見える。一方、魔力をうまく扱えない者の魔力は、あちこちで途切れ、断片的にしか見えないのだ。それは魔力を放った後の残渣でも同じことが言える。
そして、宮廷魔導士になるための最低条件のひとつが、この魔力の「質」である。たとえ魔力量が多くても、魔力が途切れ途切れにしか巡らない者は、そもそも宮廷魔導士にはなれない。——つまり、マリアンヌ嬢が嘘をついていることは、明白なのだ。
そんな周囲の宮廷魔導士たちの声は、マリアンヌ嬢の耳には届いていないようで、彼女は相変わらず、ぽろぽろと涙を流し続けている。
ウォーター隊長は、そんなマリアンヌ嬢を冷たい瞳で一瞥すると、近くにいた宮廷魔導士のひとりに声をかけた。
「事務長のアルカードと、他の部隊長たちを呼んできてください」
そう指示を出すと、隊長はマリアンヌ嬢と私に視線を向けた。
「お二人とも、このまま私の執務室まで来ていただけますか?」
すると、マリアンヌ嬢は困惑したように「えっ…このままですか?」と、聞き返した。
どうやら、周囲から手厚く介抱してもらえると期待していたらしい。まさか、ずぶ濡れのまま執務室へ来るように言われるとは思っていなかったのか、彼女は戸惑った様子で、ウォーター隊長を見つめていた。
しかし、隊長はそんなマリアンヌ嬢をあえて無視し、にっこりと微笑んだ。
「では、行きましょう」
そう告げると、隊長は私たちを伴い、執務室へと向かった。
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