11.豊穣祭
——約束の豊穣祭当日。
私は何度も鏡の前で服装を確認していた。
気がついたら、私は透き通るようなアイスブルーのワンピースを選んでいた。
それは、グレンの氷魔法に似た色だった。
デザインはオフショルダーで、足元まで流れるロング丈。普段よりも少しだけ女の子らしく見える…気がする。髪は三つ編みにして、可愛らしい花柄のリボンを編み込んだ。
鏡に映る自分へ向かって、そっと微笑んでみる。
「まあ…悪くはないよね?」
時計を見ると、グレンが迎えに来る時間だった。
私は深呼吸をひとつすると、寮のエントランスへ向かった。
——そこには、すでにグレンがいた。
「ごめん。お待たせ」
「気にするな」
そう言うと、グレンは、ポケットに手を突っ込んだまま、長い脚をスッと伸ばして私との距離を詰めた。
そして、少しだけ屈んで顔を覗き込んできた。
——え、待って。近い。
その距離に私の鼓動が大きく跳ねあがった。
「エレノア、これを」
そう言うと、グレンは何かを私の手のひらにのせた。
そっと手を開くと、今グレンが付けているものと同じピアスがあった。
チェーンにぶら下がったアイスブルーサファイアが光を受けてきらりと輝いている。
まるで、グレンの氷魔法みたいに、とても澄んだ色をしたピアスだった。
私は、今度こそ高鳴る鼓動を抑えられなかった。
豊穣祭で、お揃いのピアスを身につけることは、恋人同士だと周囲に示しているようなものだ。
まさか、グレンがそんな風習を知っているなんて思わず、私は驚いた。
「グレンこれって…」
「嫌か…?」
「う、ううん…。でも…」
…まだ告白の返事もできていない私が、付けてもいいのだろうか。
そんな迷いが、表情に出ていたのかもしれない。
グレンは少しだけ目元を優しく細めると、私の手からピアスを取った。
そして、そっと私の耳に付けてくれる。
その仕草に、私の心臓は壊れそうなほど大きく音を立てた。
「似合っている」
「…ありがとう」
「行くか」
私は、グレンにそっと手を握られた。いわゆる恋人繋ぎと言うやつだ。
婚約者だった頃、グレンにエスコートをされたことは何度もある。けれど、こんな風に手を繋いだのは初めてだった。
触れた手が熱い。
私は、歩くたびにシャランと揺れるピアスの感触にドキドキしながら、グレンと共にエントランスを後にした。
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「んー!美味しいっ!」
私は屋台で、皮まで真っ赤に染まった激辛タコスを頬張っていた。唇がヒリヒリして、火を吹きそうなくらい辛い。それが、最高に美味しい。
「エレノア。ソースがついている」
そう言うと、グレンは私の口元についたソースを、長く綺麗な人差し指ですくい取った。
そして、何のためらいもなく舐め取る。
けれど、想像以上に辛かったのか、わずかにグレンの表情が崩れた。普段はクールなグレンが、可愛く見えてつい笑ってしまう。
「飲み物、買ってくる…」
そう言って屋台へ向かうグレンの背中を見つめながら、私は思った。
こんなにも穏やかで、温かな時間を過ごすのはいつぶりだろう。気がつけば、自然と口元が緩んでいた。
——しかし。
突然、幸せな空気を切り裂くような甲高い声が響いた。
「あら〜?エレノアじゃないの?」
振り返ると、従姉妹のエリーが友人たちを引き連れて近づいて来ていた。扇で口元を隠し、こちらを馬鹿にしたように見下ろしている。
「エリー…」
「まあっ!平民の分際で、私を呼び捨てにするの?生意気ね」
他の令嬢達も「平民が伯爵令嬢であるエリー様を呼び捨てに?」「なんて失礼なのかしら」「しかるべき処罰をすべきでは?」などと口々に追従する。
平民…?ああ、エリーは私がブルール伯爵家を出たことしか知らないのか。
そんなことを考えながら、どうやってこの場をやり過ごそうか思案していた、その時。
エリーが突然、手にしていた扇を振り上げた。
「っ!」
私の頬へ向かって、扇が振り下ろされる。
エリーの友人たちは、クスクスと笑いながらその様子を見ていた。
しかし——。
すっ。
私は反射的に、その扇を避けた。
…遅い。
日々、魔獣と命を懸けて戦っている私にとって、エリーの扇の動きなど止まって見える。
エリーは、まさか避けられるとは思っていなかったのだろう。ぽかんと口を開け、呆然と私を見る。
けれど、エリーは諦めなかった。
「このっ…!」
その後も何度も扇を振り上げ、私を叩こうとする。
そのたびに、私はただ避け続けた。
気がつけば、取り巻きの令嬢たちが、ぽかんと口を開け、呆然としている。
私は、なんだか少し申し訳ない気持ちになった。
でも——。
痛い思いをするのは嫌なので。
私は、何度でも避けることにした。
「ハァ、ハァ…。いい加減に…叩かれなさいっ…!」
「えー…。痛いのは嫌に決まってるじゃん」
呆れながら、私がさっと扇をかわしていると、いつの間にか人だかりができていたらしい。
「…エレノア、何をしている?」
低い声が響き、グレンがこちらへ近づいてくる。
エリーは、グレンに気がつくと、ぱっと目の色を変えた。よく見ると一緒にいる友人たちも、グレンを見て頬を赤らめている。
「エレノア。そちらの男性は?」
「ええと…職場の同僚」
そう答えると、隣にいるグレンから不満そうな気配が伝わってきた。けれど、今の私たちの関係を表すなら、この言葉が一番正しい。
そういえば、グレンはずっと隣国へ留学していた。
だから、この国の貴族令嬢たちは、彼のことを知らないのだろう。
そんなことを考えていると、エリーがパッと満面の笑みを浮かべた。そして、グレンの腕にしがみつき、上目遣いで彼を見つめる。
「まあ!そうでしたの。私、エリー・ブルールと申します。ブルール伯爵家はご存知ですわよね?そちらの一人娘ですの。エレノアなんて放っておいて、今から私たちとお祭りを楽しみませんこと?」
エリーはブルール伯爵家の一人娘であることを強調した。ブルール伯爵家である自分の誘いを断るはずがないと確信をした顔でグレンを見上げる。一緒にいた友人たちも期待に満ちた目でグレンを見ている。
しかし、そこはグレン。エリーの手を静かに振りほどき、触れられていた場所をぱん、と軽く払う。そして、冷めた瞳でエリーを見つめ感情のない声で答えた。
「…悪いが、興味のない人間に割く時間はない」
エリーは、断られると思っていなかったのだろう。一気に目元が鋭くなった。
そして、怒りのあまり、震える手で扇を握り締め、グレンに詰め寄った。
「まあっ!アナタ、ブルール伯爵家をご存知ないの?私たちを敵に回すと…後悔するわよ」
「確かに、ブルール伯爵家の前当主は、宮廷魔導長官を務めるほど素晴らしい方だった」
グレンは淡々と告げる。
「だが、現当主は宮廷魔導士にすらなれていない。
…そんな家に、今どれほどの力があると?」
エリーは、図星だったのか、顔を真っ赤に染める。
そして、貴族令嬢とは思えないほど醜い表情で怒鳴り声を上げた。
「なんですって?!我が家を愚弄する気?」
いつもよりグレンが長く話している。私はそんなグレンの行動に驚いた。しかし、このままでは、本当にブルール伯爵家の恥になる。私は、なおも食い下がろうとするエリーを慌てて止めることにした。
「エリー!もうやめて。今の貴女はブルール伯爵家の一員なのよ。その自覚を持って。家名に誇りがあるなら、その名を汚すようなことはしないで。お願いだから…周りを見て」
私の必死の呼びかけに、エリーは馬鹿にしたように鼻で笑った。
「ふんっ!自分がブルール伯爵家を名乗れないからって、僻んでるの?家名を汚す…?馬鹿じゃないの?私は、あのブルール伯爵家の一人娘なのよ?それだけで私には価値があるのっ!選ばれた人間なのよっ!周りなんてどうでもいいわっ!私よりも下等な人間のことを、なぜ私が気にしなければならないの?」
侮蔑的な表情を浮かべたエリーの顔は、醜く歪んで見えた。この三年間、高位貴族の特権だけを享受して、義務を果たさない彼女を誰も嗜めなかったのだろうか?そう思うと、少しだけエリーのことが不憫に思えた。
けれど、エリーももう子どもではない。自ら気づく機会はこれまでにもあったはずだ。ましてや、次期伯爵夫人となるのであれば、誰かに教えられるのを待つのではなく、自ら学び、成長していく姿勢が必要だ。…エリーには、そうした素養が欠けているのかもしれない。
私は周りを見回すと、心の中でため息をついた。
先ほどまでエリーに媚びへつらっていた友人たちが、あからさまに彼女と距離を置き始めている。
「気にする必要のない下等な人間」とまで言われたのだから、当然の反応だろう…。
もう手遅れだとは思うが、先ほどの発言が失言だったことを、エリー自身に理解させなければならない。
「エリー、本当に周りは関係ないの?だったら、今一緒にいるお友達も貴方にとって、下等な人間なの?」
エリーは、はっとしたように慌てて周囲を見回した。
すると、友人たちは、引き攣った笑みを扇で隠しながら後退りした。
「あの…私たち、用事を思い出したので、こちらで失礼致しますわ」
そう告げると、エリーを置き去りにして足早に去っていった。
彼女たちの身なりからして、下位貴族の令嬢なのだろう。
エリーも、以前は同じ立場だった。
元々は男爵令嬢だったエリーが、伯爵家の一人娘となったことで、周囲の態度は大きく変わったはずだ。
そのせいで、エリーは昔からの友人たちさえ、見下すようになっていたのかもしれない。
それでも、彼女たちがエリーの側にいた理由は——。
きっと、伯爵令嬢という肩書き、その後ろ盾。
そこに価値を見出していたからこそ、エリーの傲慢な態度にも目を瞑っていたのだろう。
…しかし、彼女たちは今日のエリーの姿を見て、エリーについていても、何の恩恵も得られないことに気がついたのかもしれない。
——だから、あっさりとエリーを切り捨てたのだ。
エリーは、そんな友人たちの背中を「どうして…」と呟きながら、呆然と見送っていた。その様子を黙って見つめていたら、グレンが私の手を握って来た。
「エレノア、行こう」
「うん…」
私たちは、そっとその場を離れた。
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