課題と恋と現在
「あら?リリンちゃん。学校の課題?」
今日もわたしはヴィオレッタ姉様の執務室で教科書とノートを広げている。薬草学の問題はそれぞれの名前と効果、注意事項などを書くものだ。薬草は似たような見た目のものばかりで難しい。
「うん。そうなの。ヴィオレッタ姉様がお仕事でいない間は自分でできるものからやろうと思って」
「えらいのねぇ〜」
執務室に書類の束を持ってきたエメラルド姉様は感心したように褒めてくれる。部屋の持ち主であるヴィオレッタ姉様は他の部署と相談事項があると言って、部屋を留守にしていた。
「そういえば姉様。同級生の子たちが話していたんだけど、人を好きになるってどんな気持ち?」
長時間の勉強に飽きてしまったわたしは、こんなことを聞いてみる。エメラルド姉様は「そうねぇ〜……」と腕を組んだ。
「やっぱり胸が苦しくなって、身体が燃え上がりそうなくらいに熱くなるものじゃないかしら?」
「胸が苦しく!? 身体が燃え上がる!? それって大丈夫なの!?」
「比喩よ、比喩。だけど恋をするってそういうことなのよ」
「うーん。そうなのかなあ……。よくわかんないや」
わたしは思い返してみたけどそんな経験をしたことはない。好きになるって難しいなあ。
「他の人に聞いてみるのもいいんじゃないかしら?」
「他の人?」
「ええ。好きになるって人によって違うもの。リリンの好きも見つかるといいわねぇ」
そう言ってエメラルド姉様は「ヴィオレッタが来たら机に書類を置いたって伝えてくれる?」と、部屋から出て行ってしまった。
「他の人に聞いてみる、かあ……。よしっ!」
わたしは立ち上がり、話を聞いてくれそうな人のところに向かうのだった。
「――それで、私のところに来たと言うのですね?」
ヘーゼル姉様はボサボサの頭をかきながらわたしに問いかけた。頷くと「うーん……」と考え込んでしまう。
研究部にはよくわからない実験器具や作りかけのゴーレム、奥の方では白衣を着た研究員の吸血鬼とゴブリン族の男性が何か話し合いをしているのが見えた。
「私も150年ほど生きてきましたが、人を好きになったことはあまり……。人の書いた論文ならいくらでも好きな要素を言えるんですけどね」
「論文?」
わたしは声に出してから自分の失敗に気付いた。しまった! ヘーゼル姉様にこんなことを聞いたら……!
「ええ! 最近発表された『魔力伝導における効率』に関する論文が素晴らしくて!従来の魔導具では、魔力を術式へ伝える途中でどうしても一部が損失してしまうんですが、この論文では伝導路そのものでなく、接続部に原因があるのではないかと考察しているんです!」
「せつぞくぶ……」
「特に面白いのが、魔力核と伝導路の境界ですね。これまでは素材そのものの伝導効率ばかり研究されていたんですが、異なる素材を接続した際に――」
「もう大丈夫! わたし用事があるのを思い出しちゃった!失礼しましたぁ!」
「ああ! 待ってください!ここからが面白くなるというのにぃー!」
危ない。ヘーゼル姉様に研究について語られるところだった。迂闊に聞くと日が暮れるまで長い話が続くことになる。急いで研究部の部屋を後にしたわたしは、執務室へ戻ることにした。
「おや、リリン。おかえりなさい」
ヴィオレッタ姉様は既に戻っていたようで、机の上に置かれた書類を読んでいる。
「ただいま! その書類、エメラルド姉様が持ってきたよ」
「そのようですね」
読み終えた書類に印を押し、連絡用のベルに魔力を流す。こうすることで各部署に連絡が行って、また書類を受け取りに来るのだという。なんだかすごそうな仕組みだ。
「そうだ! ヴィオレッタ姉様にも聞きたいことがあって!」
「わたしに……ですか?」
「うん!」
「……なるほど。人を好きになるということについてですか」
「エメラルド姉様やヘーゼル姉様にも聞いたんだけど、よくわからなくて……」
「エメラルド姉様はともかく、ヘーゼル姉様にも聞いたのですか? 研究のことしか言わなかったでしょう?」
「うん……」
どうやらヴィオレッタ姉様も同じ被害に遭ったことがあるらしい。一瞬苦い顔を浮かべたが、すぐにいつもの余裕のある微笑みを浮かべる。
「では、リリン。あなたには好きなものはありますか?」
「え? えっと……姉様たちも好きだし、お友達のミアも好きだよ。あとは学園のふわふわのパン!」
わたしが頭の中に好きな物をたくさん考えていると、姉様は暖かい目で見つめてくる。
「わかっているではありませんか」
「え?」
「好きになることは必ずしも理由が必要というわけではありませんよ。好きだから好き。それでいいじゃないですか」
「そういう……ものなのかな」
わたしは自分の手をじっと見つめる。
「そういうものですよ。他人に説明できない好きがあってもいいんです。また好きなものが増えたら私たちに教えてくださいね」
「うん!」
その言葉はわたしの胸の中にスっと落ちてきた。きっとヴィオレッタ姉様の答えも正解ではないんだろう。だけど一番わたしの求めている答えに近い気がした。
「ところで姉様。誰か他の人を好きになったことはあるの?」
わたしがこんな質問を投げかけると、次の書類を読んでいたヴィオレッタ姉様の手が止まる。
「えー……。あー……」
急に歯切れが悪くなる姉様。
「そうですね……。あなたが大人になった頃、また教えてあげますよ」
「それって何年後?」
「どうでしょう? 100年かかるかもしれませんね」
「ひどい! 今教えてよ!」
「あー……急な仕事を思い出しましたので失礼しますね」
書類を受け取りに来たエメラルド姉様と入れ替わりざまにヴィオレッタ姉様は執務室を出ていく。
「待ってよ!」
わたしは追いかけようとしたが、エメラルド姉様の「ところでリリンちゃん。課題は終わったの?」の声で大人しく机に戻るのだった。
「――末の妹がお前を探していたぞ」
クラウスは面白そうに目を細めながらヴィオレッタに話しかける。
「ええ。私の恋愛事情について聞きたかったそうですよ」
「答えてやればよかっただろう」
「……少なくとも今の私には、そのようなことを考える余裕はありませんから」
ヴィオレッタが吐き捨てるようにそう言うと、クラウスは「そうだな」と静かに同意した。
人間と魔王軍と戦争は今も続いている。せめてあの子は、私たちの未来は。こんな苦しい思いをしませんように。そう祈りながら二人は魔王の部屋の前に立つのだった。
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