学校と魔王と魔王補佐官
「え⁉ 魔王様に謁見⁉」
「はい。あなたの任務について報告する必要があります」
ヴィオレッタ姉様がとんでもないことを言い出したのはつい昨日のことだ。あまりの衝撃にマグカップを落としそうになる。
「でも、魔王軍の本部なんて、わたしが入ってもいいの?」
「あなたは一般人ではなく、潜入任務に就いている諜報部員です。それに、私が同行しますから心配ありませんよ」
そうか、魔王軍から見るとそういう立場になるのか。わたしは納得しようとするも、不安が消えてくれない。本当に大丈夫だろうか……。
ヴィオレッタ姉様と家を出てしばらく歩くと、大きな建物が見えてきた。現在、魔王軍本部として使われている建物だ。
灰色の石造りの建物は横に長く、中央には大きな時計塔がそびえている。その左右から何棟もの建物が伸び、さらに奥にも同じような建物がいくつか並んでいた。高い塀や見張り台が増やされているせいで今ではすっかり軍の施設らしくなっているけれど、ここは最初から魔王軍のために建てられた場所ではない。
50年ほど前までは『魔王領中央学校』という大きな学校だったらしい。正面玄関へ続く広い道の両側には、今でも花壇の跡が残っている。その先にある広場も、昔はたくさんの学生たちが行き来していた場所なのだとか。
今そこを歩いているのは、武器を持った兵士ばかりだ。
戦争が激しくなってから、最初は敷地のほんの一部を魔王軍が借りるだけだったらしい。それが一棟、また一棟と増えていって、いつの間にか学校はなくなり、全部が魔王軍の施設になってしまった。
「昔はここでヴィオレッタ姉様も勉強してたの?」
「ええ。私が通っていた頃には、まだ学校として残っていましたよ」
「へえ……」
わたしはもう一度、大きな時計塔を見上げる。そこには今も、学校だった頃と同じ時計が動いていた。
「魔王補佐官のヴィオレッタさんに、諜報部のリリンさんですね。こちらへどうぞ」
入り口を警備していた兵士に通されて中に入る。そして長い廊下を二人で歩いた。
「ヴィオレッタ補佐官」
低い声がして振り返る。銀色の髪に血のような赤い瞳。それと黒い軍服に、口元を覆うマスクを身に着けた男性。確かこの人は……。
「クラウス軍務総監。お疲れ様です」
姉様は優雅に微笑む。
「ああ」
「クラウスさん。こんにちは!」
「ヴィオレッタ補佐官の末の妹だな。確か名前は……」
「リリンです!」
元気よく答えるとクラウスさんは少しだけ目元を細めた。彼は吸血鬼の貴族出身で、常に大きな剣を背中のベルトに吊るしている。外套が大きく膨らんでいるのは吸血鬼の大きな翼を畳んで収納しているからだ。
「前回の報告について確認したいことがあったが、また後にさせてもらおう。俺が魔王様との時間を奪うわけにはいかない」
「ええ。ありがとうございます。では後ほど」
そう言うとクラウスさんは入り口から出ていった。
(見た目は怖いけど、実はいい人なんだよね)
目的の場所に向かう途中、わたしは姉様に質問を投げかけた。
「魔王様ってどんな人? 怖い?」
「そうですね……会えばわかると思いますよ」
姉様は曖昧に答えると、大きな扉の前に立った。
「魔王様。ヴィオレッタです。リリンを連れて参りました」
「入れ」
扉の向こうから低い声が返ってくる。ヴィオレッタ姉様が扉を開け、わたしもその後に続いた。
「失礼します……」
部屋に入って、まず目に入ったのは大きな机だった。その上には何枚もの書類と地図が広げられ、壁際の棚にも分厚い本や資料がぎっしりと並んでいる。部屋の奥には大きな窓があり、そこから本部の中庭を見渡すことができた。
もっと恐ろしい場所を想像していたけれど、意外と普通の部屋だ。50年以上前は、この部屋も中央学校の校長先生が使っていたらしい。
そして、その大きな机の向こうに一人の魔族が座っていた。魔王様だ。
見た目だけなら、人間の男性と変わらない。短い黒髪に、白い肌。それから、夜空みたいなくらい紺色の目。まるで人形のような整った造形だ。
姉様たちのような角も羽も尻尾もなくて、何も知らずに人間の街ですれ違ったなら、魔族だとは気付かないかもしれない。
「…………」
魔王様が書類から顔を上げる。紺色の瞳と目が合った。
「っ……!」
思わず変な声が出そうになって、慌てて口を閉じる。
怒っているわけじゃない。睨まれたわけでもない。ただ、見られただけ。それなのに、体が勝手に強張った。
(わたしでもわかるくらいすごい魔力……)
部屋いっぱいに水が満たされて、その底に立っているみたいだ。息はできる。それなのに、体の全部が重く感じる……。
「リリン」
「は、はいっ!」
ヴィオレッタ姉様に呼ばれて、慌てて姿勢を正す。魔王様はしばらくわたしを見つめていたが、やがて短く口を開いた。
「……よく戻った」
「はい!」
それだけだった。怒られているわけではないとわかって、少しだけ肩の力が抜ける。
魔王様はわたしから視線を外すと、隣に立つ姉様へ顔を向けた。
「ヴィオレッタ補佐官。報告を」
「はい」
さっきまでわたしと話していた時とは、声が少し違う。ヴィオレッタ姉様は一歩前へ出ると、手にしていた書類を開いた。
「レグナリア王立学園潜入任務についてご報告いたします。」
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