馬車と孤児院とシスター
ガタンガタン、ゴロゴロゴロ……。馬車に揺られてどのくらいの時間が経っただろう。わたしが今乗っているのは人間の貴族が使う個人用の馬車ではなく、乗合馬車だ。
学園を出てすぐの頃は何人か乗っていた学生も、何度か乗り継ぐうちにわたしだけになってしまった。道のすぐそばの小麦畑は夕日に染まってオレンジ色に照らされている。
「おじさん、ここで降ります」
「いいのかい? ここには孤児院くらいしかないけど……」
「うん。その孤児院に用があるの」
大きなお腹の御者のおじさんにお礼を告げ、わたしは建物に向かって歩き出す。行きより重くなったカバンを持っていくのは少しだけ大変だった。
わたしは扉の前で立ち尽くす。
(そういえば、入学する時は孤児院近くから馬車に乗ったから、中に入ったことはないんだよね)
「お姉ちゃん、何してるのー?」
「え?」
後ろから声をかけてきたのは5人の子供たちだった。彼らは興味深そうにわたしを見ている。
「お姉ちゃんだあれ?」
「どこから来たの?」
「お名前は?」
「何しに来たの?」
質問の雨にうろたえていると、扉がゆっくりと開いた。
「あら、リリンちゃん。よく来たわね」
扉の向こうにいたのは穏やかそうな老齢のシスターだ。
「みんな、彼女はわたしのお客さんなの。これからお話があるからお庭で待っていてくれる?」
はーい、と声を揃えて子供たちは庭に向かって走っていった。
「さあ。中にいらっしゃい」
孤児院は少し古いけれど、きちんと手入れされた印象を受ける建物だった。ずらりと並んだ大きなテーブルとたくさんの椅子たち。シスターはそのうちの一つに腰かけた。
「お茶菓子はないのだけれど」
そう言って紅茶の入ったティーカップをテーブルに2つ並べる。わたしは気になっていたことを聞くことにした。
「あの……なぜわたしの名前を?」
すると、シスターはわたしの目をじっと見つめる。あれ? この目……どこかで見たような……。
「もしかしてジェイド姉様⁉」
間違いない。青みがかった薄い緑の目。これはジェイド姉様の目だ。
「やっと気付いたのね」
姉様はにこりと微笑んだ。そして美しい女性の姿に変化していく。
「ジェイド姉様! どうしておばあさんの姿に? ずっと人間の国でお仕事してるって言ってなかった?」
「ええ。今も仕事中よ。この孤児院にシスターとして就任してから30年ほどになるかしら」
気が付けば姉様の声はしわがれたシスターの声音とは打って変わって、柔らかい女性の声になっている。
サキュバスの変身能力は自分と近い姿なら消費する魔力は少なくて済むが、ここまで違うとコントロールするのは大変だろう。それに、仕草や立ち振る舞いまでは変身能力では誤魔化せない。魔王軍の諜報部員であるジェイド姉様だからできることだ。
(わたしも角くらい隠せたらいいんだけどなぁ……)
「それにしても、なんで孤児院のシスターに?」
「30年ほど前にレグナリア王国と隣国で戦争があったのは知ってる?あの頃に諜報拠点として建てられたの」
ジェイド姉様はティーカップを傾ける。
「あの頃はあちこちに戦災孤児がいてね。孤児院は貴族からの寄付が集まるから、情報収集には最適なの。定期的に魔王軍本部と文書をやり取りしてるわ。」
「じゃあ、あの子たちも戦災孤児?」
姉様はゆっくりと首を横に振る。
「隣国との戦争が終わったのは20年くらい前。今の子たちはいろんな理由でここにいるの。家が貧しかったり、国境付近に捨てられたり。隣国からの移民の子もいるわ」
「ふーん……」
人間のこと、ちょっとだけわかったような気がしてたけど、やっぱりまだわからないや。どうして同じ人間同士で戦争したりするんだろう……。
「明日は日の出の前に出発します。裏の森を抜けたところに迎えを待機させていますよ」
いつの間にかまたシスターの姿に戻った姉様はそう言った。
「今日はもう遅いからここに泊まっていきなさい。ベッドは空いたところを好きに使うといいでしょう」
「はーい」
「それから夕飯もね。パンと豆のスープでよろしいですか?」
わたしが頷くと、シスターはこちらに向かってウインクを投げる。そして、子供たちを呼ぶために扉を開けて出ていった。
「ふう……。楽しかったけど疲れちゃったな」
みんなで夕飯を食べて、いっぱい遊んで、絵本を読み聞かせして。みんなの前でシスターを姉様と呼びそうになった時は怖い顔で睨まれて大変恐ろしい思いをした。
窓の外はすっかり暗くなり、星明りだけが見えた。どこか遠くで鳴く虫の声と、周りのベッドからはすうすうという寝息が聞こえる。
(子供たちはみんな遊び疲れて寝ちゃったのかな?)
そろそろわたしも寝なくてはならない。明日は早いのだから。ベッドへ横になると瞼がだんだん重たくなってくる。
そういえば、迎えって誰が来るんだろう? そんなことを考えながら眠りについた。




