89.キリオのフィルター
「これでこの三人……ふたりと一匹か。会話してるんだろ。急に黙り込んで見えるが」
不思議そうにセオドアが言う。確かに俺たちは心の声で会話しているため、周囲から見ると急に黙ったということになる。心の声を聞くことができるのは、俺と枢機卿、猫様だけなのだ。不思議に思うのも無理はない。
「精霊は声を持たないの」枢機卿が言う。「街角の女王は魔物化したことで声を得たけれど」
それは初耳だ。とは言え、俺のところに来る精霊は猫様だけだから、他の精霊がどうなのかは知らないが。
『そういえば、街角の女王は大人しくしている?』
枢機卿が再び心の声で言った。ハーグレイヴズ神は昨夜も一昨日も庭に来なかったが、さすが神様とだけあって庭での出来事は把握しているらしい。
『街角の女王が庭に来たのを知っていたんだな』
『もちろん。あそこは私の庭でもあるもの』
なるほどな。俺は自分が招かれたことで世界王の庭だと思っていたが、ハーグレイヴズ神はこの世界の神。ハーグレイヴズ神の庭であってもおかしくないのだ。街角の女王には俺の庭と言ったが、その実、誰の庭なのかはわからないんだな。
「何をお話になられているのか気になります……」マーヤが口惜しそうに言う。「あたしも念話が使えたらよかったのに……」
例えマーヤや攻略対象たちとキリオが念話を使えたとしても、聞かせられない話もある。念話は魔法のようなものだから、マーヤたちでも習得できるのかもしれないが、今回のような当たり障りのない会話でない限り聞かせられないな。
「長居してごめんなさいね。あなたたちの邪魔をするつもりはないの」
枢機卿が席を立つ。確かに、枢機卿が常にここにいては、俺以外の者たちは緊張しっぱなしになってしまう。いくら俺のそばにいたくなって人間界に顕現したと言っても、他の者たちの居心地が悪くなるのは枢機卿も本意ではないだろう。特にキリオはガチガチに緊張したままで、このまま枢機卿がここに居座っては気を抜ける隙がない。
「私は久々の神殿でのんびり過ごすわ。面倒事が起きそうになったら報せてちょうだい」
確かに、面倒事が起きれば枢機卿ならある程度のことは解決できるだろう。なにせ神様だからな。そう考えると、枢機卿が俺のそばにいるのはチートとも言えるかもしれない。
枢機卿が去って行くと、キリオが大きく息を吐いた。ようやく緊張から解放されたようで、心労が溜まったような表情をしている。他の者たちも、キリオほどではないが緊張していたことだろう。枢機卿はその地位に加え、神々しすぎるのだ。他を寄せ付けない雰囲気を醸し出している。
「はあ……緊張しました……」
「そんなに構える必要はありませんよ。枢機卿という肩書きに威圧感があるかもしれませんが、その実、親切で優しい女性です。心も広いお方ですよ」
神様だからな。
「必要以上に接触して来ることはないでしょうし、そんなに緊張する必要はありません」
「しかし、不思議だな」セオドアが言う。「司祭長には怯まなかったのに、枢機卿には怯えるんだな」
確かに言われてみればその通りだ。キリオは最初から俺に目を輝かせて、あまつさえ手を握って来た。司祭長という肩書きも教団の中では枢機卿に次ぐ、現在では同等の地位であるのだが、キリオがいまみたいに怯んだり緊張したりしていた記憶はない。
「司祭長様は怖くありませんでした」と、キリオ。「リーヴを助けていただいたからかもしれません」
俺は必死だったからよく覚えていないが、リュクスの襲撃の際、俺は治癒魔法でリーヴを助けたらしい。キリオはそのときから俺に目を付けていたのだろう。
「何より、こんなに輝くお方が怖いはずがないじゃないですか」
お、いつもの調子が戻ってきたな。やっぱりキリオはこうでなくっちゃな。とは言え、俺は目を輝かせるような人間ではない。キリオの目には特殊なフィルターがかかっているとしか言いようがないな。
「枢機卿は、私たちの生活を阻害するようなことはなさらないはずです。いつも通りに過ごしても問題ないでしょう」
それにしても、どうなることやら。神様が人間界に顕現するなんて。だが、ハーグリーヴ枢機卿は、俺がこの世界に来るより前にこの世界に降り立って教団を私設したことになっている。俺が転生して来るより前からこの世界が存在していたのだとしたら、人間界に顕現するのは初めてではないということだ。教団を私設したのはどういった思惑があったのだろうか。その辺をいつか訊いてみないといけないかもしれないな。




