82.猫様
街角の女王の襲撃で破壊された聖堂は、修繕のための工事が行われている。この世界であの聖堂を再現するのは難しいのではないかと思っていたが、建築魔法というものがあるらしい。工事は滞ることなく、この調子なら聖堂が復活するのもそう時間はかからないだろう。魔法はどこまでも便利なものだ。
「しかし、大事になってしまいましたね」
つくづくと呟いた俺に、そうですね、とダンが冷静に頷いた。
「街角の女王相手では仕方がありません。国が厄災級に指定するところだったのですよ。司祭長様おひとりで解決してしまうとは……」
「街角の女王は私だけに固執していました。あれでよかったのです」
もしキリオがいなければ、俺は狂気化の魔法で彼らごと聖堂を吹き飛ばしていた。この程度の被害では済まなかったはずだ。下手すれば神殿に被害が及んでいたし、失われた命もあっただろう。それを防げたのだから本当にキリオには感謝しなくちゃいけないな。
『大変な目に遭ったようだね』
ゆったりとした声に振り向くと、猫の精霊が歩いて来るところだった。
「この猫様も精霊なのでしょう」ダンが言う。「司祭長様はもともと精霊に愛されるのかもしれませんね」
猫の精霊はよく俺のところに出現するので、俺の周囲の者たちからは愛と敬意を込めて「猫様」と呼ばれるようになっていた。のそのそと歩く姿は、俺から見ても可愛らしい。
「しかし、なんの精霊なのでしょう」
「司祭長様もご存知ないのですか。精霊は正体を隠すのが好きですからね」
もしかしたらナターシャのように名前を持っているのかもしれないが、猫様が名乗ることはない。ただ俺のところに来るだけで、何かそれ以上の行動をすることもないしな。
『街角の女王を救ったらしいな。お前は本当にお人好しだ』
(救ったわけじゃない。ただ不憫だと思っただけだ)
『そういうところを精霊も好むのだろうな』
俺はなんとなく、昨夜のナターシャの話を思い出していた。俺の魂がこの世界に流入した影響でこの世界に歪みが生じ、司祭長フランの過去が書き換わった。それにより、俺は以前から民のために尽くす素晴らしい司祭長だったことになった。だから精霊も俺を好むようになったのだろう。
(世界王はなぜそこまでしてフランに俺の魂を呼び寄せたんだろうか)
『その歪みは案外、敵ではないのかもしれない』
(どういうことだ?)
『世界王はその世界に必要だと思ったことを行う。お前の魂の流入は、この世界に必要なことだったのだよ』
俺の魂がフランに宿ったことにより、司祭長フランの運命は大きく変わった。悪役神官の役割を捨て、周囲にはいつも攻略対象たちと主人公のキリオがいるようになった。街角の女王戦が断罪イベントだとしたら、フラン――俺は破滅を回避したのだ。
(つまり……フランが破滅することが、この世界にとって損失だったと?)
『司祭長フランがこの世界を保つ核のひとつだったことは間違いない。ふたつの核がこの世界に必要だった、ということではないかね』
(悪役神官のフランと、主人公のキリオ……。この世界を保つために必要だったふたつの核、ということか)
そもそもこの世界がどうやって生み出されたのかは知らないが、物語には主人公と悪役が必要不可欠。俺とキリオを核として創り上げられた世界なのかもしれない。俺だけでも、キリオだけでも、この世界にとっては不十分だったのだ。
「司祭長様!」
焦燥感を湛えた声が響いた。俺とダンだけではなく、聖堂の修繕をしていた魔法使いたちも振り向く。中位司祭のガーディがばたばたと足音荒く駆け寄って来ていた。
「枢機卿が帰還なさるという報せが来ました! これから神殿にお戻りになるそうです!」
「枢機卿が?」
そういえば、近々、枢機卿が帰還するという噂が流れていた。ナビが情報を持っていなかった謎の枢機卿。原作には登場しない人物だ。果たして俺にとって味方なのか、敵なのか。それを見極めなければならない。
* * *
俺はいつもの司祭服を正装に変え、神殿の前で枢機卿を乗せた馬車を待つことになった。そこにはもちろん、キリオと攻略対象たちも揃っている。マーヤによると、あと数分もすれば馬車が到着するらしい。
「枢機卿というのはどんな人間なんだ?」セオドアが言う。「私も会ったことがないが」
「この教団において最高位の身分をお持ちのお方です」
「司祭長とはどう違うんだ?」
「国で例えると、枢機卿が王、司祭長は宰相のようなものです」
というのも、中位司祭のズィールから聞いた情報だが。ナビは枢機卿に関する情報を一切、持っていなかったのだ。
「枢機卿は体が弱く、静養地に行っていました。近々、お戻りになるとは聞いていましたが……」
急な帰還に、神殿内は大騒ぎになっていた。適当に迎えるわけにもいかず、司祭たちは全員、あの体のどこかしらを露出する司祭服を封印して正装して待っている。使徒たちは枢機卿に会ったことのない者が多く、酷く狼狽えていた。枢機卿がそれだけの身分ということだ。




