第1章 忘却【8】
それはそれとして、公爵家が用意した料理は頬が落ちそうになるほど美味しい。さすが公爵家。料理人の腕は一級品なのだろう。こんなに美味しい料理は食べたことがない。憶えていないけど。
「私がここに居ることがバレれば、公爵家に仕える多くの使用人が路頭に迷うことになりそうだね」
「ですが、悪いのはギュスターヴ公爵ですよ」
公爵家の使用人とは思えない言葉に、俺はマーヤを振り向いた。マーヤは腕を組み、不機嫌そうに唇を尖らせている。
「そうなったとしても仕方がないですよ」
「ギュスターヴ公爵には相当の罰が与えられそうだね」
「おそらく投獄は免れないでしょうね。この国にとって、司祭長様の存在は大きすぎますから」
もしクリスが俺との契約を結ぶことで筆頭公爵家の長男に勝つことができるなら、確かに司祭長の力は馬鹿にできない。あの旦那様がなんとしても記憶を取り戻させようと躍起になるのも頷ける。弱小公爵家と筆頭公爵家。それを、たったひとりの力によって覆すことができるのだ。
「教団は何を信仰とした宗教なの?」
「世界王国です」
俺は少しだけ心臓が跳ねた。世界王国――つまり、例の「世界王」が統べる国だ。その国にはまったく心当たりがないが、どうやらフランとも無関係ではない話ではなかったらしい。
「フラン様は“世界王の寵児”だと実しやかに囁かれています」
世界王の寵児……か。確かに俺は、世界王の望みによってこの世界に転生した。もともとフランが俺の魂と同化する運命にあったなら、寵児ということに間違いはないだろう。
「そんな尊いお方に手を出したのです。ギュスターヴ公爵の罪は底なし沼より深いですよ」
「もし私のことが公になったら、マーヤはどうなるんだい?」
「あたしもギュスターヴ公爵家の人間として、何かしらの罰を受けることになるでしょう」
胸が痛い。こんなに親切にしてくれる人が、投獄されるかもしれない。確かに主犯であるギュスターヴ公爵の罪は許されるものではないが、使用人たちにその罪はない。ただ当主の企てに巻き込まれただけなのだ。
そう考えていたのが表情に出ていたのか、ふとマーヤの表情が柔らかくなった。
「心配してくださるのですか? フラン様は本当に慈悲深いお方ですね」
それだけではない気がする。ふと、そう思った。俺――司祭長フランには、何かが隠されている。マーヤが言うには、ここは王都の一角。神殿も王都にある。こんな近くに司祭長がいるのに、教団員が気付かないなんてことがあるだろうか? いくら魔法を使えないようにされてるとは言え、この国で最も多い魔力量を持つと言うのに。
「マーヤ、教団の黒い噂について、何か知っているかい?」
「有名な話ですよ。まずは、孤児院で育てた子どもを売っているという話。市民から集めたお布施が、教団運営ではなく司祭長様の懐に入っているという話。周辺国が戦乱を巻き起こしたとき、不安に思う民の心を利用した商売をしていたという話。それから、司祭長様は悪魔と契約している……等々、いろんな噂がありますよ」
想像以上だ。こういった宗教には怪しい話が付き物ではあるが、ここまで酷い話だったとは。いや、噂だから、本当にただの噂なのかもしれないが。
「教団に対する国民の心証は?」
「民の信仰は厚いです。例え黒い噂が流れているとしても、司祭たちの“癒しの力”は本物ですから」
ほう、癒しの力、ね。民がそれに頼ることがあり、そのおかげで教団は多くの信仰を集めた。その裏で、黒い噂が流れている。いや、これは少し矛盾していないか? 癒しの力を頼る民が、教団の黒い噂を流している? もしかしたら、司祭たちが癒しの力を使うのは一部の国民だけ――つまり、上流階級にだけ、ということもあるのかもしれない。
「黒い噂が流れる教団を、王宮は野放しにしているのかい?」
「証拠も確証もありませんし、教団の影響力はとても強いですからね。それに、民の信仰も厚い……。そこで教団を糾弾すれば、民の不信を買うでしょう」
そうなると、教団が上流階級の民にだけ良い顔をするというわけでもなさそうだ。ということは……黒い噂を流しているのは、お布施を奉納できない、最下流の貧困した民、ということだろうか。教団も貧困した民は相手にしない、ということもあるのかもしれない。
「特に、司祭長様は民から人気があるんですよ」
楽しそうに言うマーヤに、俺は糸目が開きそうになるほど驚いた。
「私が?」
「はい。これだけ見目麗しいお方に憧れない女性はいないでしょう。……まあ、女性だけではないのですが」
付け足された言葉に背筋が寒くなる。確かに、フランは驚くほど美形だ。おまけに華奢で、足も肩も綺麗。となると、そういう目で見る輩は多いのだろう。今後、そういった輩をどう躱していくか、というところも課題になってきそうだ。
……いや、本当に勘弁してほしい。
「噂を流す者は、フラン様に恋い焦がれ、相手にしてもらえなかった者だとされていますが、こちらも証拠も確証もありませんね」
なるほど、黒い噂は散々流れているが、噂の出処も確かじゃないってわけか。まあでも、宗教には黒い噂は付き物だし、信仰が厚いと言ったって、すべての民が崇拝しているわけでもない。教団の影響力は強く、黒い噂も想定よりでかくなってしまうということだ。
まずは、この世界について知るところから始めたほうがいいな。俺はいずれ、教団の者に発見される。それは当然のことだ。最も影響力の強い司祭長が誘拐されたとなれば、教団は全力を尽くして捜索するだろう。ナビも「時間の問題」と言っていた。教団のことを知るのはそれからでいい。あとでマーヤに書籍室に案内してもらって、この世界について調べることにしよう。




