第1章 忘却【7】
俺が朝食を取っているあいだ、マーヤは俺のそばに立っていた。この家で俺の世話をするよう割り当てられた侍女なのかもしれない。だが、そうだとしたら俺が彼女の名前を憶えていたことがあまりに不自然に思う。俺は誘拐されてここに来たのだ。この家の使用人など知っているはずもない。だが、そんなことは些細なことなのかもしれない。俺の記憶が消えたことに比べれば。
「マーヤ、この家はどんな家?」
「ギュスターヴ公爵家です。公爵家ではありますが、その勢力はかなり弱くあります」
爵位というものは俺もよく知っている。その中でも公爵は上位の家のはずだが、公爵家の勢力が弱いというのは、何か理由があるのだろう。
「あの旦那様が言っていた“ナタウェル”というのは?」
「ナタウェル公爵家。この国の筆頭公爵家です。もしフラン様がナタウェル公爵家の手に渡れば、ナタウェル公爵家は王家に匹敵する勢力を持つことになるでしょう」
なるほどな。だからあの旦那様は、記憶を失っていたとしても、俺を手放すことができない。あの旦那様は、俺を利用してギュスターヴ公爵家の勢力を取り戻そうとしているのだ。
「私はまるで便利な道具のようだね」
「フラン様は特に、でしょうね。フラン様は、これまでの司祭長よりはるかに強大な魔力を持っています」
俺は首を傾げ、肩より上にある自分の髪に触れた。
「けれど、私はこの髪色だよ。この色は異質なのでしょう?」
「だからこそ、ですよ。この世界に青や緑色の髪色の人間はいません。フラン様はその特異な髪色によって、無限とも言える魔力を持っています」
どうやら、俺にはチート能力が与えられたわけではないらしい。フランはもともと膨大な魔力値だった。まあ、その点ではチート能力と変わらないのかもしれないが。世界王の寵愛を受けているのだとしたら、いまはわからないだけで何かしらチート能力を持っているのかもしれないな。
チート能力があるとしたら、どんな能力だろう。それを考えるとワクワクしてしまう。
「ギュスターヴ公爵家は私を幽閉して何をしようと?」
「ただナタウェル公爵家に出し抜かれないようにするためかと。この国の仕来りを覚えていらっしゃいますか?」
俺は思考を巡らせる。少しだけ考えたあと、そもそもこの国のことを知らないということを思い出し、首を横に振った。
「この国では、王太子以外の王族は同性の方と婚姻を結ぶことになっています」
「後継者争いを起こさないため……か」
「はい。王太子殿下の婚約者は、すでにナタウェル公爵家のご長女様に決まっています。いまは第二王子殿下の婚姻相手を選んでいる最中です。旦那様は、フラン様の……司祭長様のお力を利用して、ギュスターヴ公爵家の勢力を伸ばそうとしているのです」
うんざりする話だ。俺は本当に便利な道具なのだ。フランがどんな人間だったかまったくわからないが、おそらく利用されるだけ利用されるような事態には抵抗できるはずだ。何せ、チート能力に相当する魔力を持っているのだから。
「けれど、私がここにいることは秘匿されているのでしょう?」
「はい。フラン様と契約することで一族の魔力量を伸ばすのが目的です。その過程には、司祭長様がここにいることを公表する必要はないんです。そして、旦那様はフラン様にクリス様との契約を結ばせようとしています」
「クリス殿を、第二王子殿下の婚姻相手にしようと?」
「仰る通りです」
王太子の婚約者はナタウェル公爵家の長女で決まっている。その上で第二王子の婚姻相手もナタウェル公爵家の中から選ばれたのであれば、ギュスターヴ公爵家の勢力はさらに衰えることになる。すでに名ばかりの公爵家になっているのが、下位の爵位の家にも負けるようになるのかもしれない。
「けれど、クリス殿の魔力量は充分のように感じられたよ」
フランの能力か、クリスの髪色か、俺はそう思った。クリスの魔力は潤沢しており、司祭長との契約がなくても充分なのではないかと感じる。
「いえ……ナタウェル公爵家のご長男様に比べてしまうと……」
ああ、と俺は小さく漏らす。現在のギュスターヴ公爵家は、どうしたってナタウェル公爵家に敵わないのだ。
「ナタウェル公爵家のご長男様は銀髪なのです。それに、ナタウェル公爵家は神殿と懇意にしています」
「もし私がギュスターヴ公爵家に囚われていると発覚したら?」
「ギュスターヴ公爵家は貴族名簿から消えることになるでしょう」
それは当然だ。司祭長を誘拐、軟禁しているとなれば、その罪は相当に重いものとなる。貴族名簿から消える程度の罰なら軽いほうだろう。




