77.鈴の音
気まずい沈黙が、チリン、とか細く響く音で断ち切られた。俺はキリオと顔を見合わせる。周囲には誰もいないし、鈴のような物は見当たらない。ただの鈴の音であったなら、俺もキリオも気に留めなかったかもしれない。だが、呼ばれているような、そんな感覚になったのだ。俺とキリオは、自然と音の聞こえたほうに足を向けていた。
鈴の音が聞こえたのは、中庭のほうだったように感じる。まるで俺たちを誘うように、また鈴の音がする。キリオが花壇で美しく咲き誇る花を掻き分けた。すると、そこに隠れていたのは、手のひらサイズの小さな妖精だった。
「随分と弱っているみたいです」
差し出したキリオの手に、妖精はふらふらしながら乗る。薄い黄緑色の羽は動かすこともできない様子で、小さな体を丸めて震えていた。
キリオが小さく息を吸うと、その手のひらから白い輝きが溢れた。光魔法で妖精に魔力を分けようとしているのだ。しかし、数秒のあいだ注いでも、妖精が回復する様子は見られない。俺は両手を差し出した。キリオは俺の両手にそっと妖精を置く。光魔法で効果がないなら治癒魔法だ。こんな小さい妖精だ。一気に魔力を注いでは危険かもしれない。俺は慎重に少しずつ魔力を注いだ。すると、妖精の羽に煌めきが広がっていく。妖精の目が開き、ふわりと飛び上がった。妖精は俺たちに深々と頭を下げると、光となって消えていった。
「なんだったのでしょう」俺は首を傾げる。「こんなところに妖精なんて……」
この世界に来て初めて妖精を見た。まさにファンタジーの世界の象徴のようなものだ。
「傷付いていたのでしょう」キリオが言う。「神殿は清らかな魔力で満ちています。羽を休めていたのかもしれません」
神殿は特に結界を張っているということもない。猫の精霊も自由に行き来しているようだし、弱った妖精も羽を休めるのにちょうどいい場所だったのかもしれない。
「あ、しまった」
後ろを振り向いた俺は思わず声を上げる。首を傾げたキリオも、俺の視線を追った。
「団長を置いて来てしまったようです」
特に走っていたわけではないのだが、後ろにいたはずのダンの姿がない。集中して鈴の音を追っているあいだに置いて来てしまったらしい。
「ということは……いま、まさに、司祭長様と僕のふたりきり……」
ふらりと立ち上がったキリオに、俺は思わず背筋が寒くなった。先ほどまでの清らかな表情とは一変し、よく漫画で見る変態のような顔付きになる。主人公であるはずのキリオが、息を荒げながら俺に迫って来る。
「ほんの少しでいいんです……司祭長様の魔力に触れさせてください……!」
女性だったら「きゃー!」と声を上げている場面だろう。痴漢に襲われる女性はこんな気分なのだろうか。俺が思わず退くと、キリオはじりじりと俺との距離を詰める。
「少しでいいんです……司祭長様のその清い魔力に――」
「だらか目を話すのは危険だって言ってんだ」
キリオが驚いた声を上げる。その首根をセオドアが掴んでいた。いつの間にかダンも俺たちのところに戻っていて、クリスとマーヤ、リーヴの姿もある。キリオがこうなることを予測してついて来ていたようなタイミングだ。
「ずるいじゃないですか! セオドア様は司祭長様と契約なさってるんですよね⁉」
「契約ではない」と、セオドア。「“契り”だ」
「何がどう違うって言うんですか!」
キリオはセオドアに首根を掴まれたまま、じたばたと暴れる。俺は苦笑を禁じ得なかった。
「セオドア様の行動を制限するだけのものです。魔力回路は繋いでいません」
司祭長様との契約は本来、魔力回路を繋ぎ従属として仕えさせるものだ。俺がセオドアにかけた契りの魔法は、単純にセオドアを神殿に縛り付けるだけのもの。その点において契約ではないのだ。
「じゃあ、僕にも契りを! ちょっとだけでいいんです……その魔力に触れさせてください……!」
「いい加減にしろ」
すぱーん、と小気味のいい音を立ててリーヴがキリオの頭を引っ叩いた。いた、と声を上げたキリオは、不満げにリーヴを睨み付ける。
「すみません。こいつ、やたら司祭長様に執着して……」
「気持ちはわからんでもないが」セオドアが肩をすくめる。「女性に迫る変態みたいだったぞ」
「失礼な! 僕は純粋に司祭長様をお慕いしているんです!」
俺はまた苦笑いを浮かべる。キリオは本心からそう言っているようにしか見えなかった。
しかし、なんで主人公のキリオが悪役神官の俺に執着しているのだろう。俺が悪役神官の役割を捨てた効果が、キリオにも影響しているのだろうか。
【世界王は自ら愛する子が愛されるのが好きなのです】
(ハーグレイヴズ神も言っていたな。だが、俺は愛されるような人間ではない)
どこの世界でも、確かなことがある。愛される人間は愛される。愛されない人間は愛されない。例えどんな努力をしたとしても、それを覆すことはできないのだ。俺の創った世界だから、俺に都合が良いだけだ。
そのとき、激しく警鐘が鳴った。不吉を告げる音に、さすがのキリオも緊張の表情を浮かべた。
【警報、警戒。神殿内に侵入者あり】
「神殿内⁉」
俺は思わず声を上げてしまった。確かに神殿は結界を張っていない。だが、こんなになんの気配もせず簡単に侵入を許すような場所ではないはずだ。
「神殿内に侵入者がいるようです」
「嫌な予感がするな」と、セオドア。「厄介なものが入り込んでいそうだ」
「神殿騎士団を招集して参ります」
複数の報せ鳥を放ちながらダンが離れていく。その背中を見送っていると、轟音とともに地面が揺れた。視線を巡らせた先に、煙が上がっているのが見えた。そこにあるのは、聖堂だ。




