69.世界王の情
「ダン団長殿!」若い使徒が駆け寄って来る。「ウィル副団長がお呼びです」
「わかった。行って参ります、司祭長様」
「はい。私はここで待っています」
ダンは敬礼をして去って行く。マーヤから口を酸っぱくして言われていることだが、俺の護衛であるダンが神殿騎士団の誰かに呼ばれて離れた際はその場でじっと待っているように、と約束しているのだ。例え神殿内だとしても、俺が護衛なしにふらつくことを危険に思っているのだ。いまはクリスがいるし、万がいちのことが起きれば彼が守ってくれるだろう。
「あれから体調はいかがですか?」
クリスが心配しているのは、街角の女王に魔力封じをかけられたことだ。どうやって魔力回路を修復したかは知らないことだろうが、あれが俺にとってダメージであったことは俺自身も理解している。
「特に問題ありません。心配しすぎですよ。まるで病人ではありませんか」
「魔力封じは私たちのように魔力値の高い者には致命傷になる場合もあります」
「確かに、あのときは死ぬかと思いましたね」
クリスは何か言いたげな顔をして、小さく息をつく。クリスはこうして、何かを言おうとすることがあるのだが、その先に言うことは、おそらく本当に言いたいことではないのではないかと思う。
「団長殿がそばから離れることを許すのは、あまりに無防備ではありませんか?」
「問題はないでしょう? 神殿内で私を害そうとする者がいるなら、団長がいなくとも無事では済まないでしょうから」
「それはそうでしょうが……警戒心が薄すぎるのではないでしょうか」
クリスは渋い表情をしている。クリスは、さっきの猫は「人間の感情の機微に敏い」と言っていた。いまあの猫がいれば、クリスが何を考えたかわかったのかもしれない。
「警戒心、か……。確かに、警戒心が薄かったから、街角の女王に付け込まれたのでしょうね」
「それは仕方がありません。あの状況で街角の女王が紛れ込んでいるなど、誰も想像できなかったでしょう」
それが想像できていれば、俺は魔力封じを防ぐことができていたかもしれない。だが、下位から中位の魔物の群れの中に上位の魔物がいるなんて、考えもしなかったことだ。
「クリス殿は、街角の女王についてどう思いますか?」
「かつては神聖な精霊だったそうです。司祭たちとも心を通わせていたとのことです。司祭長殿はすでに目を付けられました。これから警戒する必要があるでしょう」
「世界王は残酷ですね。自分を愛する者を簡単に魔物に変えさせてしまう……。世界王ならそれを回避できたでしょうに」
「世界王は神ではありません。情のようなものは持ち合わせていないのかもしれません」
クリスの言葉に、うーん、と俺は首を捻る。世界王は俺を愛している。情がないとは言えないのではないだろうか。情をかけるものが偏っているというだけで。街角の女王に対する情は持ち合わせていないということだ。
「世界王の寵児殿にとっては信じられない話ですか?」
「そうではありませんが……。世界王も博愛ではないということですね」
もし世界王が情をかけていたのなら、街角の女王が魔物化することを防げたのだろうか。だが、この世界には精霊が多く存在している。いちいち情をかけている暇はないのかもしれない。
そこへ、ダンが戻って来た。離れていたことを謝罪したダンの表情は落ち着いている。街角の女王について話し合われただろうが、それだけではなかったようだ。
「近々、枢機卿がお戻りになるそうです」
「枢機卿……」
まず枢機卿という存在がいたことを俺は覚えていなかった。俺は宗教について詳しくないが、枢機卿が教団の中で高い地位にいることは想像できる。司祭長と枢機卿の立場がどういったものであるかはわからないのだが。
「それは国王と王妃も知っているのか?」
そう問いかけながらセオドアが歩み寄って来る。教団の中の偉い人とあれば、国王と王妃もその存在を把握しているだろう。と言うより、把握していないのは、きっと俺だけだ。
「それはどうでしょう」ダンが言う。「枢機卿に関しては、教団にとっては機密事項です。まだ話に出ているだけですし、報告することもないでしょう」
「そうか」
枢機卿か……。いままで話にも聞いていなかったが、この教団にとって重要な存在であることはわかる。教団員が話すことすらなかったのは、枢機卿が登場する何かしらのフラグがあったのかもしれない。
(ナビ、枢機卿はどんな人だ?)
『枢機卿。データに存在しません。原作に登場しない人物です』
(原作に登場しない……? 何か嫌な予感がするな。街角の女王にも俺には心当たりがなかったしな)
そもそも記憶を失っているため原作のことも詳しくはわからないが、この世界にとって重要な人物であろうとも、俺はすべてを忘れてしまっているのだ。
「ところで……みなさんはやることはないのですか? いつも私のところに来ますが……」
俺がこうしてエントランスで過ごしていると、彼らはいつもここに集まって来る。攻略対象が悪役神官とこんなに頻繁に接触するなんて、よほど暇なのかもしれない。
「私たちに教団での仕事はない」と、セオドア。「せいぜいあんたの護衛くらいだ」
「それでは退屈していませんか? 私は特に面白い話をするわけでもありませんし……」
俺にはわからないことが多い。彼らが面白いと思う話題すらわからないのだ。
「あんたといると退屈しないよ。いつも何か事件に巻き込まれているしな」
「そういう意味ではないのですが……」
まあ、退屈していないならいいか。確かに俺は何かと事件に巻き込まれているが、それは決して娯楽ではない。この神殿に娯楽があるとも思えない。そうは言っても、クリスは罪を犯したギュスターヴ公爵家の者として身柄を神殿預かりにしており、セオドアも俺が“契り”で神殿に縛り付けてしまっている。例え神殿で過ごすことが退屈だったとしても、俺の許可がなければ神殿を出ることができない。心苦しいことではあるが、そうしなければクリスとセオドアを守ることができないのだ。




