68.ただの猫
エントランスで過ごす俺の日課に、魔物と化した精霊「街角の女王」に関する調べものが加わった。街角の女王について記した文献は、神殿の書庫に多く残されていた。
街角の女王は、かつてエターナリア王国を守る精霊の一角だった。だが、あるとき誰かが言い出した。この流行り病は街角の女王の呪いだ、と。根拠のない出鱈目だ。流行り病に苦しんでいた民は、それを信じきった。その恨みや憎しみが街角の女王にとって呪いとなった。呪いを溜め込んだ精霊は悪霊となり、そして魔物と化してしまった。世界王への執着とも言える愛だけを残して。
あのとき、傷付いた少女に扮して俺の魔力回路を封じた街角の女王。この先、また同じようなことが起きるだろう。そのとき、俺たちはどう対処すべきか。
ひとり唸っていた俺が頬杖をつくテーブルに、不意にペルシャ猫が上がって来た。街角の女王について考えつつ、俺はなんとなくペルシャ猫を撫でる。この世界にペルシャという種類の猫がいるのかは知らないが。
「……しかし、よくできてるなー」
ペルシャ猫というのは手触りが良い。そういえば前世は猫アレルギーだった。猫好きに猫アレルギーが多いのは、そういう悪戯好きの神様がいたんだろうな。
『何がよくできているのかね?』
「まず攻略対象のバランスがいい。癖のない性格のクリス。生真面目なダン。俺様のセオドア。幼馴染みのリーヴ。そして悪役神官のフラン。物語のバランスとしては充分だ」
『お前の創った世界だからな』
そこで俺は意識が現在に戻った。俺はいま、誰と喋っていた? いや、その前に、ダンに聞こえていただろうか。ダンは俺に忠実だから、俺が独り言を呟いていてもいつも反応しない。ここは聞こえていないということにしよう。
「いま、あんたが喋ったのか?」
俺は声を潜める。ダンが聞こえないふりをしているにしても、独り言だから素のまま喋っていた。いまさらこの猫に取り繕っても遅いだろう。それとも、ダンに聞こえている前提で喋ったほうがいいのだろうか。いや、ダンには聞こえていない。聞こえていないんだ。
『いまのは私に話しかけたのだろう?』
「ただの独り言だったんだが」
どうやらこの猫はただの猫ではないらしい。ファンタジーの世界だ。猫が喋ったとしてもいまさら驚きはしない。
『しかし、お前の世界は面白い。よくできた物語だ』
「何者だ?」
『ただの猫だよ』
「ただの猫は喋らないんだよ」
だから俺の前世の世界に存在したペルシャ猫によく似ていたんだ。神殿では滅多に見掛けないが、たまに迷い込んで来る猫は大抵、黒猫か白猫だ。前世の世界には「黒猫は不吉」という迷信があったが、この神殿の者は、男女問わず黒猫も白猫も愛する。人間が猫に弱いのはどの世界でも当然のことだよな。
『そうだな……。いま、この国の精霊は須らくお前に興味を持っている。私もそのひとつだ。ただ興味本位で見に来ただけだよ』
「ふうん? じゃあ、あんたも精霊なんだな」
精霊なら尚更、話せることが当然と言える。おそらく、口から発せられる声ではないのだろう。頭の中に直接、語りかけてくるやつだ。
『良いことを教えてやろう。街角の女王はこの国の南に巣を作っている。先日の魔物の襲撃も、街角の女王が差し向けたのだよ』
「なるほど。厄介なものに目を付けられたみたいだな」
「誰と喋っているのですか?」
問いかける声に、俺はぎくりとする。頬杖をやめて顔を上げると、クリスが不思議そうに俺を見つめていた。俺はスイッチを切り替え、営業スマイルを浮かべる。
「この猫が精霊なのだそうです。おそらく私にだけ声が聞こえるのでしょう」
「精霊ですか……」
隣の椅子に腰掛けながら、クリスは探るような視線を猫に向ける。見た目はただの猫だ。クリスがペルシャ猫という種類を知っているかはわからないが、見た目はどう見ても、ただの猫なのだ。
『さて、邪魔者は退散するとしよう』
猫は伸びをしてゆったりと去って行く。その足取りは実に猫らしい。
「邪魔者?」
「どうしたのです?」
「邪魔者は退散する、と……。猫がなんの邪魔になるのですかね」
いや、俺が猫に寛容すぎるだけで、クリスにとっては厄介なものなのかもしれない。そう思い立つと、俺は内心、冷や冷やしながらクリスを見つめた。それに対して、クリスは相変わらず冷静だ。
「ただの猫ではないのでしょう。人間の感情の機微に敏いのかもしれません」
「感情の機微に……」
そう呟いたところで、俺はハッとした。そうだよな。つい友人のようなつもりでいたが、クリスは攻略対象で、俺は悪役神官だ。クリスは俺のことを良く思っていないのだろう。猫はそれを敏く感じ取ったということだ。
悪いな、クリス。キリオが主人公らしくなるまで待っていてくれ。




