57.愛する者が愛される
世界王の庭は、しんと静まり返っているが、支配するのは沈黙ではない。空気はひんやりと冷たく、それでいて暖かさも感じられる。現実世界とはまったく違う雰囲気が、神聖な場所であることを証明しているようだった。
「よう、世界王。あんたの趣味はどうなってんだ」
俺はいつの間にか現れていた雲のようなクッションに背中を預ける。俺が求めていたから出現したのかもしれない。この場所にもなんとなく馴染んできたようだ。
『世界王は自分の愛する者が愛されるのが好きなのよ』
穏やかな女性の声が聞こえる。ハーグレイヴズ神は今日も庭に来ているらしい。俺はハーグレイヴズ神の加護を受けている。その神とこうして言葉を交わすのは、なんとも不思議な気分だ。
「ハーグレイヴズ神は饒舌だな」
『世界王は本来、天啓しか降ろさないもの。言葉が少ないの』
なるほどな、と俺は呟く。確かに世界王とは会話らしい会話を交わしたことはない。それでも、世界王は呼び掛ければ応えてくれるのだ。
「なあ、世界王。俺はこれからどうしたらいい?」
空間が揺れる。世界王に俺の声が届いたのだ。
『我が愛する子よ。お前の自由に生きればいい』
そういう答えが一番に困るんだよな。「なんでもいいよ~」と同じようなものだろ。
「自由と言われても、満足に神官をするには記憶がまったく足りないんだ」
『お前にはお前だけの自由がある』
世界王は俺の疑問に答える気はないらしい。世界王が本来なら天啓しか降ろさないとなれば、はっきり答えてくれることもないのだろう。
「俺だけの自由、か……。確かに、俺は自由を求めていたのかもしれないな。何にも属さず、何にも縛られず……。いや、司祭長として教団に所属してはいるんだが」
誰にも何も言われない。誰にも嫌われない。そういう人生に憧れていたのかもしれない。
『その気になれば教団から出て行くこともできるわ』
「無茶を言う神様だな。司祭長が簡単に教団を離れられるか?」
『ダン辺りに言ってみてはどう? 一緒に逃げてくれるかもしれないわ』
やはり無茶を言う神様だ。そんなことはできないとわかりきっている声である。
「あの生真面目な男が悪役神官と逃避行なんてするはずがないだろ。それより、キリオのことだ。この世界の主人公なのに、なんであんな俺に対して熱心なんだ」
『リュクスとブロークでの活躍は目覚ましいものだったわ。あなたに惹かれるのも当然なのではなくて?』
「だが、主人公が悪役神官を慕うなんておかしいだろ」
キリオの熱烈な視線を思い返す。キリオは主人公特性として人懐っこいのかもしれないが、あれは人懐っこいというレベルではないだろ。
『この世界は物語通りの世界ではないわ。あなたの世界だもの』
「俺が攻略対象に愛される可能性もあるって? それはないだろ」
小さく息をつきつつ肩をすくめ、雲のクッションにもたれて後頭部で腕を組んだ。
「俺はあくまで悪役神官だ。役割を捨てたとしても、それは変わらない」
『……あなたがそれでいいならいいけれど』
「この世界は大丈夫だ。第二の世界王の寵児がいるんだからな」
そういえば以前、世界王は「キリオに警戒せよ」と言っていた。いまはまだ、その言葉の真意がわからない。この先、キリオと接しているうちにわかるようになるのだろうか。
* * *
寝室で朝食を済ませると、俺はいつも通りマーヤとダンとともにエントランスに向かった。俺の教団観察はまだ終わっていない。人気の多いエントランスは、教団員たちの動きを見るのにちょうどいい。
「司祭長様!」
明るい声とともに俺に駆け寄って来るのはキリオだった。その後ろにリーヴもいる。朝から元気のようだ。
「おはようございます。ひと晩、過ごしてみて、どうですか?」
俺が営業スマイルとともに問いかけると、キリオは真っ直ぐ俺のところに来て、俺の右手を力強く握り締めた。
「とても快適です! リュクスとは比べものにならない暮らしです」
相変わらずキリオの俺を見る目はキラキラと輝いている。これもそのうち慣れるのだろうか。
「リーヴさんはどうですか?」
「キリオと同室というところを除けば快適です」
はは、とリーヴは乾いた笑みを浮かべる。俺が促すように首を傾げると、リーヴは心底から疲れたと言うように肩を落とした。
「ひと晩中、司祭長様がいかにすごいかという話を延々と聞かされたのです」
推しのこととなると黙っていられないタイプか。キリオが熱く語っている姿が思い浮かんで、俺は思わず苦笑してしまった。
「ひと晩、考えたんです」キリオが言う。「僕と契約していただけませんか?」
その途端、俺の背後から殺気が溢れ出した。俺もキリオがそう言い出す可能性はなんとなく考えてはいたが、こうも真正面から堂々と来るとは。怖いもの知らずとは恐ろしいものだ。
「確かに、私たちの契約には価値があるでしょう。ですが、私は誰とも契約するつもりはないのです」
「なぜですか? 僕たちが契約すれば、この国はこの先、ずっと平和になりますよ」
キリオはすでに第二の世界王の寵児としての自覚が芽生えているらしい。もしかしたら、神殿で過ごしたことが何かしらの天啓を受けた可能性もある。だからこそ、世界王の寵児同士の契約に価値があることを知っているのだ。
「それはその通りでしょう。ですが、私の契約者の座は誰もが欲するものです。私と契約することで、キリオさんが何か危険な目に遭う可能性があるのです」
「だから言っただろ」リーヴが呆れた表情で言う。「司祭長様の契約者の座はおいそれと得られるものじゃないんだ」
キリオは不満げな顔をしている。リーヴの言う通りで、司祭長の契約者の座はそれなりに力と地位を得ることになる。ただの平民であるキリオとは、簡単に契約するわけにはいかないのだ。
「でも……」
「そこまで」
厳しい声が俺の背後から聞こえる。ダンがついに黙っていられなくなったのだ。
「キリオ殿はただ第二の世界王の寵児として神託を受けただけで、実力のほどはまたわかりません。司祭長の契約者の座は、簡単に務まるものではないのです」
「では、僕の実力を証明すればよいのですか?」
キリオの表情は希望をはらんでいる。自分の能力に自信があるのか、ただ俺の契約者の座が欲しいだけなのか、現時点では断定できないな。
「どうか冷静になってください」俺は言った。「いま私と契約しても、教団は認めません。教団を揺るがすことはしたくないのです。私を想うなら、どうかわかってください」
「……わかりました」
キリオは相変わらず不満そうにしながらも、俺の言葉に納得したようで頷いた。
なるほどな。キリオに警戒、ね。キリオをどう扱うかによって、教団に影響が出るんだ。教団の平穏のために契約が必要になるんだな。世界王の曖昧な言葉がようやく腹に落ちた。




