50.矜持
クリスのあとに続いて林の中に入ると、怯えた表情の少年と目が合った。フードから覗く髪は光を受けると紫に光る銀髪。間違いなく「第二の世界王の寵児」だ。辺りを見回すと、セオドアのもとにもうひとり少年がいる。おそらく第二の世界王の寵児の連れだろう。第二の世界王の寵児は腰が抜けたのか、剣を手にした男に引き摺られるように腕を掴まれている。
「あんた、教団の司祭長だな」
顔に傷のある男が俺を見る。さすがに司祭長のことは知っているらしい。もうひとりの剣を手にした男が第二の世界王の寵児を人質に取っている。そうすれば司祭長でも手を出せないと思っているのだ。
俺としては、さっさと第二の世界王の寵児を救出して終わらせたい。正直、もう立っているのすらやっとだ。ここで押し問答している暇はない。
技巧――“威圧”
俺を中心に吹き荒れた風が、男たちだけでなく仲間のあいだにも駆け抜ける。男たちを怯ませるには充分だった。
「いますぐその手を離しなさい。首を飛ばされたくなければ」
凄んではみるが、俺のひたいも頬も汗が伝っている。俺に余裕がないことは一目瞭然で、男たちも飄々とした表情をしていた。
「あんたの行動如何でこいつの首が――」
まどろっこしい。いまの俺にのんびり話している時間はないんだ。例え教団の司祭長だろうと、時には力業ってもんが必要になる。
俺は転移魔法で剣を手にした男の背後に回り、身体強化で男の頭を蹴り飛ばした。その剣が第二の世界王の寵児に届くことはなく、男の体は呆気なく木に叩きつけられる。それと同時にクリスが第二の世界王の寵児の保護に走った。そこにもうひとりの男の剣が伸びるので、俺はさらに身体硬化を自分にかけ、その剣をも蹴り飛ばした。教団の司祭長が持つのは魔法だけではないのだ。信じられないものを見る目になる男に、俺は声を低くする。
「国に戻って帝王に伝えなさい。これ以上の侵攻は、このフラン・グレイが許さない、と」
ダンが男を確保するのを見届けるのと同時に、俺の体から完全に力が抜けた。
【魔力が限界値の限界値を突破しました。強制休息に入ります】
ナビの声に身を委ねる。これ以上は、もう動けない。誰かに受け止められる感覚と、司祭長様、と叫ぶ誰かの声を最後に、俺の意識は深く深く沈んでいった。
* * *
水の滴る音で目が覚める。これが現実世界でないことはすぐにわかった。現実世界の俺は強制休息に入って眠っている。だからこそ、この子どもの姿の世界……世界王の庭に呼び寄せられたのだ。
そもそも、俺の寝室で水の滴る音がするわけないしな。水の出るものがないんだ。
「世界王、いるのか?」
そこに居るかどうかわからない存在に語りかける。ただの独り言のようなものだが、世界王は聞いている。俺にはその確信があった。
「思い出したんだ。俺が何に絶望していたか」
あの絵描きの女性の言葉が忘れられない。あの涙が脳裏を離れない。
「俺には出口がなかったんじゃない。入り口にすら立てていなかったんだ」
俺を責め立てる声。思い出してしまったいま、もう二度と忘却の彼方に消えることはないのだろう。
「俺は人と同じようにはできない。だから、足掻くことすら諦めていたんだ」
世界王が俺の記憶を消した理由が、いまならわかる。俺の絶望を見えないようにしていたんだ。
「足掻くだけ無駄だったんだ。だが……いまは違う」
絵描きの女性の言葉を思い出す。彼女は失くした腕を取り戻した。
「このフラン・グレイの入れ物を借りて、初めて自分の人生を生きようと思ったんだ。だから、あんたの愛を都合良く使わせてもらうよ。それくらい、許すだろ?」
空間が揺れる。ここは世界王の庭。庭の主は必ず居るのだ。
『我が愛する子よ。それでいい』
世界王がどこまで見ているかわからないが、俺は不敵に笑って見せた。世界王には、これからのフラン・グレイに期待しておいてもらおう。
『世界王の寵愛とはそういうもの。あなたの自由にしていいのよ』
不意に聞こえた別人の声に、俺は思わず目を丸くした。それはとても優しく響く女性の声だった。
「もしかして……ハーグレイヴズ神か? 女性だったのか……」
肯定するように空間が揺れる。ここは世界王の庭。世界王国の神がいてもおかしくはない。それでも、教団で散々崇めているハーグレイヴズ神がいるとは思わなかった。
「だが、ハーグレイヴズ神は言葉を持たないんじゃなかったのか?」
ナビはそう言っていた。その代わりに目を借りられる、と。
『あなたのために言葉を得たのよ。ずっとあなたを見守っていますからね』
世界王のみならず、エターナリア王国が崇拝する神の加護も受けているとは。まずフランがハーグレイヴズ神の加護持ちだったか。そうだとすれば、ここにハーグレイヴズ神が現れるのも自然のことなのか。
「世界王の寵愛を得て、ハーグレイヴズ神に見守られて……俺は恵まれているな」
だからこそ、生きよう。今度こそ、自分の人生を。
そう思えたのだから、世界王が俺に与えた忘却も、きっと意味があることなんだ。




