40.セオドアの本懐
「よう、待たせたな」
悪びれる様子のない声に振り向くと、セオドアが軽く手を振りながら歩み寄って来る。エドワードの姿はなく、ひとりでここまで来たようだ。だが、どこかに控えているのだろう。
「団長、悪いがあんたは離れたところにいてくれないか。司祭長とふたりで話したいんだ」
嫌な予感がする。そう思ったのは俺だけではないだろう。ダンも渋い表情になり、この場を離れることを躊躇っている。頼むよ、とセオドアが軽い声で言うと、ダンは辞儀をして俺のそばを離れていく。セオドアの笑みは、何かを企んでいることを隠せていなかった。
ダンの姿が茂みの奥に見えなくなると、その瞬間、俺は強い衝撃に息を呑んだ。セオドアが俺の体を大樹に押し付けたのだ。セオドアは俺の目の前に迫り、不敵な笑みを浮かべている。
「記憶を失ったというのはふりではないらしいな。以前のあんたなら、こんな油断はしないだろう」
そう言いながら、セオドアは俺の襟のボタンに手をかける。俺は瞬時にセオドアの狙いを理解した。司祭長との契約。それは司祭長の首の裏にある聖痕に口付けすることなのだ。
俺の非力な腕では、鍛え抜かれた腕から逃れる術はない。こうなったら……。
技巧――“威圧”
俺の周囲に激しい波動が吹き荒れる。その衝撃でセオドアは俺から距離を取らざるを得なくなる。波動で周囲を圧倒する技巧だ。
「フラン様⁉」
波動から異常を察したらしいマーヤとクリス、ダンとエドワードが茂みから飛び出して来た。離れていろというセオドアの言い付けを守っていたらしい。
俺は襟を直しつつ、セオドアを睨めつけた。
「セオドア様……あなたは、何を考えて神殿に来たのですか?」
波動が辺りに散ると、セオドアは軽く肩をすくめる。
「その顔は、何かに気付いているようだな」
セオドアの笑みに影が落ちる。俺がセオドアの心の内に秘めるものを見透かしていると察したのだ。
「ああ、そうだ。私があんたの契約者の座を欲しているのは、復讐のためだ」
「復讐……。まさか、側妃の死が誰かに仕組まれたことだと?」
「憶えていることもあるのだな」
セオドアの眉がぴくりと震える。正確には、俺は憶えているわけではない。過去の記憶を覗き見しただけだ。
「では、側妃――私の母がなぜ死んだかは?」
「暴徒騒ぎに巻き込まれたのでしょう?」
「外から見るとそうだろうな。だが、あの暴徒を誘き寄せたのは正妃だ」
なんだって? 正妃が暴徒を王宮に誘き寄せた? だから騎士団が襲撃を止められなかったと? それが本当のことなら、看過できない大事件だぞ。
「正妃は母が邪魔だった。国王陛下が愛していたのは、側妃である母だったからだ」
それはよくある話だ。政略結婚である国王と王妃のあいだに愛がないのはよくあること。物語ではよく見る展開だ。
「母はもともと陛下付きの女官だった。だが、愛してしまったんだ。互いにな。だから正妃は、陛下が王位継承権を私に与えるのではないかと恐れた。一種の脅迫観念だな」
だから正妃は暴徒に側妃を襲わせ、その尊い命を奪った。俺が祈祷の際に覗き見た映像は、セオドアから見た側妃の最期の姿だったのだ。
「王宮の聖騎士星団が暴徒の剣を母に届かないようにすることができないはずがない。つまり、母を殺したのは正妃……もしくは王太子だ」
そんなことがあり得るのか? 正妃はともかく、王太子は聖人君子とまで言われるほどの人格者だ。そんな人が、王位継承権を第二王子に奪われることを危惧して、危険を冒してまで側妃を屠ったと?
「では、セオドア様は私と契約して、王太子の座を奪おうと?」
「結果的にそうなるだろうな。私の狙いは、正妃と王太子の失脚だ」
正妃が王妃の座から引き摺り下ろされれば、他の側妃が王妃となる可能性もある。それも充分な問題だが、もし王太子がその地位を失えば、争いが起きることも考えられる。つまり、王宮が大騒動を引き起こすことになるのだ。
「聖騎士星団も、神殿に糾弾されれば黙っていられないはずだ」
「そのために司祭長殿を利用しようとなさったのですか?」
厳しい表情になるクリスに、セオドアは何も響いていない様子で肩をすくめる。
「それ以外に方法はないんだ。私は無力だ」
その言葉には、自責の念が込められているように聞こえた。セオドアは、正妃が引き寄せた暴徒を止めることができなかった。側妃に届く刃を防ぐことができなかった。その無力さが呪わしいのだろう。
そして俺にはひとつ思い当たることがあった。コーレインはこのことを知っていてセオドアを神殿に引き入れたのだろうか。その上で俺と契約させようとしていた? そうだとしたら、王宮で騒ぎが起こることを想定していたと考えざるを得ない。それが俺たちにとって不利益になるとは思わなかったのか?
「……セオドア第二王子殿下。あなたの身柄を神殿で預からせていただきます」
俺は冷えた声で言い、体の前に手をかざす。魔法はイメージ。セオドアの内に流れる魔力回路を捉え、鎖を巻きつける映像を頭の中で思い浮かべる。俺の手のひらから溢れた光は風となり、セオドアの周囲を吹き抜けた。
「これは契約ではありません。“契り”です。この先、私の許可なく神殿を出ることは許されません」
セオドアを神殿に縛り付け、余計な面倒事を起こさせないための魔法だ。セオドアの狙いを知った以上、このまま自由にはしておけない。
「エターナリア王国において争いは許されません。世界王の名のもと、ハーグレイヴズ神の加護のもとに」
セオドアは自分の手のひらを見つめている。俺の魔法が身体に浸透しているのを感じ取っているのだろう。セオドアは小さく息をついた。
「わかった。これだけ証人がいれば、どちらにせよ宮廷には帰れないさ」
「囚人のような暮らしをさせるわけではありません。不自由はさせません」
「それはありがたい。そうでなくても、どうせ王宮に私の居場所はないんだ」
自虐的に笑いながらセオドアは俺に背を向ける。そのあとをエドワードが追っていった。それを見送る俺に、クリスとマーヤ、ダンが歩み寄って来た。その表情は俺を案ずるような色が湛えられている。
――ああ、これは俺の役割ではないのに。
――セオドアを救えるのは主人公だけなのに。
セオドアの母親の最期を垣間見ることはできたが、セオドアの狙いまで思い出せたわけではない。これからセオドアのルートがどういう展開になっていくか、俺は憶えていないのだ。だが、それだけは間違いない。
「フラン様、なぜそんなに悲しいお顔をなさっているのですか?」
マーヤが俺の顔を覗き込む。「いつも悲しそうな顔をしている」と言われる俺が悲しそうに見えるなら、相当、悲しそうな顔をしていたのだろう。
「神殿にお戻りになったときからそうです」ダンが言う。「何か気に掛かることがおありになるのではありませんか?」
「なんでもありません。私たちも神殿に戻りましょう」
俺は有無を言わさず三人に背を向ける。これについて詳しく説明する気はない。
「確かに私は無防備すぎたようです」
クリスやダンの言うことを真剣に受け止め、腹に一物を抱えた者に対して油断していなければ、こんなことにはならなかった。もしかしたら、これからこの世界のストーリーが変わっていくのかもしれない。この世界がストーリー通りに動いていくのかは、まだ何もわからないが。




