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記憶を失くした悪役神官は総溺愛に気付かない  作者: 瀬那つくてん(加賀谷イコ)


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33.俺はあんたを愛さない

 目を覚ますと、またあの白い空間にいた。相変わらず俺は子どものような姿で、遠くから水滴の落ちる音がする。この空間はなんなのか。白一面の景色から、その疑問の答えを見つけることはできないようだ。

 俺はこの場所のことをなんとなく予想していた。ここが、世界王の領域なのだと。

「世界王、答えてくれ。なぜ俺は何も憶えていないんだ?」

 何もない空間に問いかける。この声はきっと届いている。

「確かに俺は、辛い目に遭っていた。それだけは憶えてる。でも、前世の記憶を捨てたかったわけじゃないんだ」

 幼い声が辺りに響く。自分の声だけが聞こえる空間。答えが返ってくるかはわからない。それでも、俺は呼び掛けた。

「家族のことを、忘れたくなかった。だから、俺の記憶を返してほしい」

 そのとき、微かに空気が震えた。

『我が愛する子よ』

 威厳を湛えた男性の声が響く。この空間の主が俺に応えたのだ。

『そなたには、忘却が相応しい』

 しかし、その答えは俺の期待したものではなかった。俺の失望が伝わったのか、また空気が揺れるのを感じた。いや、俺の心が反応したのかもしれない。

「なぜだ。フランだって、この世界において重要な人間だったはずだ」

 この声は、きっと世界王だ。俺を異世界に招き、贈り物(ギフト)を用意した者。そして、俺の記憶を奪った者。

「このまま何も憶えていないんじゃ、フランは……俺は、破滅するかもしれない」

 なぜ何も記憶がないまま異世界転生したのか。その答えは世界王しか知らない。だから俺は、諦めずに呼び掛けた。

「俺を愛しているなら、なぜ俺を悪役神官にしたんだ。あんたが愛してるのは結局、主人公のキリオなんだろ!」

 吐き捨てるように言った言葉に俺はハッとする。

 そうだ、主人公の名はキリオだ。だが、それ以上のことは思い出せない。

『私が愛するのはキリオではなく、キリオが愛するのは私ではない』

 再び重苦しい声が応える。その内容に、俺は顔をしかめた。

「どういうことだ? じゃあ、なんでキリオは第二の世界王の寵児って……」

 神殿の女官たちのあいだで持ち上がった第二の世界王の寵児の噂。それは主人公のキリオで間違いない。だが、世界王はキリオを愛していない、だって?

「俺はなんのためにこの世界に来たんだ」

『お前が捨てることを望んだからだ』

 確かにあのとき、ポップアップ広告に「あなたのすべてを捨て、新しいあなたになりますか?」と問いかけられた。その結果、俺は記憶を失ったのだ。

「記憶まで捨てたかったわけじゃない。俺はそんなに辛い現実を生きていたのか?」

 転生先の記憶がないのはあり得ないことじゃない。だが、前世の記憶も失うなんて聞いたことがない。異世界転生といえば、前世の知識を活かして活躍するのが定石だろ。

『我が愛する子よ。いまの幸福を噛み締めるのだ』

 あまりに的を射ない言葉に、俺の心に湧いたのは怒りだった。

「悪役が幸せになれるか!」

 感情のままに地面に拳を振り下ろすと、パシャッと水が跳ねた。感覚がなくてわからなかったが、俺は水面に座り込んでいたのだ。不思議なことに、手も服も濡れている様子がない。おそらく、水ではないのだろう。

 俺は世界王に失望した。異世界転生は世界王からの贈り物(ギフト)だった。だが実際、俺は右も左もわからないまま放り出された。技巧(スキル)を使わなければ文字も読めないほど記憶を失くし、自分がどう生きるべきかもわからない。

「……世界王、俺はあんたを愛さない。お前が俺をどう思っていようとも」

 この抵抗がどんな意味を持つかはわからない。記憶のない俺が、この世界を統べる王にどんな影響を与えるかもわからない。それでも、俺の心の中を満たす失望に、世界王が気付かないはずはない。

『我が愛する子よ。それがそなたの選択なら』

 どうせ、自分の生き方は自分で決めなくちゃならないんだ。悪役神官フランがどんな人間であったとしても、いまの俺はフランだ。いずれ破滅するかもしれない。そのときは、この世界の原作者として、可能な限りの絶望を世界王に用意する。それが俺からの贈り物(ギフト)だ。

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