30.ナタウェル公爵
神殿にも貴族の屋敷のようなサロンがある。来客はここに通され、呼ばれた者が来るの待つか、神殿に立ち入る許可が出るのを待つことになる。今回はナタウェル公爵と思われる初老の男性が、俺がサロンに入るのと同時に立ち上がった。白髪交じりの茶髪を綺麗にまとめ、質の良さそうなスーツを身に着けている。俺がそばに寄って行くと、いきなり力強く両手を掴まれた。
「フラン司祭長様、ようやくお会いできましたね」
その落ち着いた紺色の瞳は若干、潤んでいる。本気で俺のことを案じていた様子だ。いままでコーレインに押し付けていたのが申し訳なくなるほどに。
「ギュスターヴ公爵の一件で記憶を失われたとお聞きしました。辛い目に遭われたのでしょう。我が騎士団の救援が間に合わなかったばかりに……」
待て待て、なんだか要らん責任まで感じているようだ。ナタウェル公爵が何度も面会を求めて来ていたのは司祭長との繋がりのためかと思っていたが、純粋に俺を心配してたってことなのか? だとしたら毎回、コーレインに押し付けていたのが申し訳なくなってくるんだが。
「ナタウェル公爵に責任はありません。私が油断していただけのことです」
「ですが……この際、誰かと契約を結ばれてはいかがですか?」
前言撤回。いや、心配しているのは確かだと思うが、なんだろう、この……親戚にお見合い相手を紹介されるような雰囲気は……。
「我が公爵家の人脈を以てすれば、男性でも女性でも、司祭長様に最適な相手を見つけられます」
それは本当にその通りなのだろう。ナタウェル公爵家は筆頭公爵家だとマーヤが言っていた。きっと人脈は太平洋並みに広いのかもしれない。この世界に太平洋が存在するのかは知らないが。それより……。
「お気持ちは嬉しいのですが、私は誰とも契約するつもりはありません」
みんな、口を開けば契約契約って……。いい加減、うんざりしてくる。俺の能力は誰でも欲するものだってのは理解しているんだが、フラン司祭長が悪役神官になったのは、こういう扱いばかりされているからなんじゃないのか?
と、俺は内心で溜め息を落としていたのだが、ナタウェル公爵の紺色の瞳はさらに潤み、唇が僅かに震えている。
「この老いぼれは、司祭長様が心配でならないのです」
ナタウェル公爵は握り締めた俺の手にひたいを寄せる。ナタウェル公爵は教団と懇意にしていた。もしかしたら、司祭長になる前からフランのことを知っていたのかもしれない。ステータスボードで確認したところ、フランは二十四歳だった。ナタウェル公爵にとって孫のようなものだとしたら、ギュスターヴ公爵の蛮行は心臓が弾け飛びそうになるほどの事件だったんじゃないだろうか。
「心配は要りません。私はいま、心強い者たちに囲まれています」
まず俺の後ろに控えている神殿騎士団団長がそれなりに強いことはナタウェル公爵も知っているんじゃないかと思うが……。先日のリュクスの件はナタウェル公爵の耳にも入っているだろうし、問題を回避するためにアウグステン帝国の兵士だったことは公表されていないが、神殿騎士団だけで侵入者を撃退したことも知っているはずだよな。
「しかし、いくら世界王の寵愛があるとは言え、まだうら若き御身です。誰か保護する者が必要です」
「私の噂については公爵もご存知でしょう。こんな私と誰が契約したがるのですか」
「……ご自分の価値をお忘れになったようです。そんなことは関係ないのです。司祭長様の契約者の座は、国中の誰もが欲しています。司祭長様は抜けているところがありますから、うっかりどこの馬の骨ともわからぬ者に……」
「落ち着いてください」
ナタウェル公爵は俺のことになると止まらなくなるらしい。さすがにこれは心配しすぎなんじゃないか?
「とにかく、記憶を取り戻さないうちは誰とも契約しません。そんなに心配なさらないでください。公爵も体が弱いのですから」
「…………」
俺の曖昧な微笑みをじっと見たナタウェル公爵は、深く息をつき頷いた。
「今日はお顔を見られただけでよしとします」
今日は、ね。きっとこの先、また訪ねて来ることがあるだろう。もしかしたら次はお見合い写真みたいなものを持って来たりするかもしれない。そのときは悪役神官らしく、あれが気に入らないこれが気に食わないと言って断るしかないのだろう。
ナタウェル公爵を乗せた馬車を見送ったとき、ふと、俺の頭に懐かしいものが浮かんだ。
(いつも、じいちゃんがああやって心配して……)
そうだ。俺は早くに父親を亡くし、母親の実家で祖父母と一緒に暮らしていた。だからギュスターヴ公爵に温情をかけたのだ。父親を失うこと。それがどれだけ辛いことを知っているから。
俺より元気だったじいちゃん。孫が先に死んで、悲しんでるだろうな……。
「司祭長様」
ダンに呼び掛けられて俺は意識を現在に戻す。振り向くと、ダンは案ずるような表情を浮かべていた。
「何をお考えですか? そんな悲しそうなお顔をなさって……」
「いえ、少し昔のことを思い出していただけです」
「記憶が戻ったのですか?」
「そういうわけでは……」
そうか。昔のこと、となると、俺の昔じゃなくてフランの昔になるのか。
「ああくそ、ややこしいな……」
その無意識に思い浮かべた言葉が口から洩れていたことも、それをダンに聞かれていたことも、このときの俺は気付いていなかった。




