26.アウグステン帝国
あたふたとしているマーヤを見ていたとき、俺はあることを思い出していた。
「そういえば、マーヤはもともと神殿の女官だったらしいね」
その途端、マーヤの表情がピシッと強張る。俺は責めたつもりはなかったのだが、マーヤは深々と頭を下げた。
「騙すようなことをして申し訳ありません! 仰る通り、あたしは神殿でフラン様付きの侍女を務めています」
だからマーヤはギュスターヴ公爵家から戻っても俺付きの侍女になったのだ。教団員が気を遣ったわけではなく、もともとの役割に戻っただけ。それが俺の記憶になかっただけだ。
「あたしは、フラン様を救出するため、内偵としてギュスターヴ公爵家に潜り込んだんです。勘の鋭いクリス様にはすぐに気付かれました」
マーヤがどうやってギュスターヴ公爵家に潜り込んだのかはわからないが、おそらく、マーヤの正体を見破ったクリスがギュスターヴ公爵家でもマーヤを俺に付くようにしたのだ。ギュスターヴ公爵家の使用人はどう思っていたのだろうか。クリスにはそれだけの人望があったのだろう。
「クリス様はもとから、フラン様を神殿騎士に差し出すおつもりでした。だからあたしは、フラン様が目を覚ますより前に、神殿騎士団に報せを出していたのです」
ダンはもとからクリスの罰を軽減する予定だったと言っていた。教団側としても、司祭長を救出するためにクリスの協力は必要なものだった。自ら進んで協力したクリスを厳しく罰するほど、教団員たちも冷徹ではなかったらしい。
「あの……幻滅させて、申し訳ありませんでした」
マーヤがまた深々と頭を下げるので、俺は努めて優しく笑った。
「謝らないで。マーヤの内偵が必要だったことは理解しているから。それに、例の件をマーヤに頼んだのは正解だったと思ったよ」
例の件というのは、俺がコーレインに嫌なものを感じて内密に探るよう頼んだ件だ。マーヤなら上手くやってくれると、そんな根拠のない直感が働いただけだったのだが。
「コーレインについて何か掴めた?」
「いまのところは何も……。他の司祭や使用人たちの信頼も厚いです。フラン様のご依頼がなければ、怪しむことすらなかったでしょう」
コーレインはフランに拾われて司祭になった。それだけ能力が高いということだろうが、貴族でもないコーレインを拾った理由が気になる。フラン司祭長には何か考えがあった。俺はそれを覚えていないだけで、コーレインには後ろ暗いものは何もないかもしれない。それを知るための密偵でもあるのだ。
ノックの音がして話すのをやめる。人に聞かせられる話ではない。どうぞ、と俺が応えると、ドアを開けたのはダンだった。話し声で、俺が目を覚ましたことに気付いたのだろう。
「司祭長様、お目覚めになられて何よりです」
ダンの視線は相変わらず厳しいが、リュクスで魔力が限界値を下回るまで民の救護に尽力した俺の評価が見直されたのか、少しだけ穏やかになったようだった。
「司祭長様がいらっしゃらなければ、どれほどの命が失われたことでしょうか」
「村の再建はどうなっていますか?」
リュクスは蛮族の襲撃を受け、火が放たれた家も数多くあった。民に襲撃前と同じ生活を取り戻させるためには、潤沢な財力のある支援が必要だ。例え命が助かったとしても、健全な暮らしが送れなければ意味がないのだ。
「王宮から支援がいくはずです」
「では、神殿からも支援を送ってください。民もまだ万全ではないでしょうから」
「はい。では、そのように」
リュクスの民の命をひとつも取りこぼさなかったことは、俺にとっても救いだった。もし目の前で民が息を引き取ったら、俺は無力感に苛まれただろう。
目の前で人が死ぬなんて、普通のメンタルしか持ち合わせない俺にとっては耐えがたいものだっただろうからな。その上で、自分の能力の確認もできた。俺の治癒能力は、確実に人の役に立つ。これからそれを正しく使うだけだ。
「団長。アウグステン帝国というのはどんな国ですか?」
俺の問いに、ダンの顔が一転、冷たいものになる。俺は民が息も絶え絶えになりながら教えてくれたことでその名を初めて知ったが、ダンならもっと詳しく知っているはずだ。
「蛮族の国です。エターナリア王国は世界王とハーグレイヴズ神の加護を受けています。ハーグレイヴズ神は争いを好みません。そのため中立国として確立し、如何なる争いも避けてきました」
ダンの声には憎しみがありありと浮かんでいる。中立国として平和を享受していたエターナリア王国。世界王とハーグレイヴズ神の加護を受け、どんな争いでも許さなかった。そんなエターナリア王国に火種を持ち込んだのだから、あの兵士たちには極刑が課される可能性も高かった。とは言え、もしあれがアウグステン帝国の遣いであったなら、もっと慎重になる必要があるのだが。
「その恩恵で民の暮らしも安定しています。帝国は以前から、その豊かさに目を付けていたのです」
「帝国は貧しい国です」マーヤが言う。「民は多額の税金に苦しめられています。その上、争いを好みます。そのため、周辺国は帝国への門を閉ざしているんです」
民に多額の税金を課し、豊かさを手に入れるためには争いも厭わない。周辺国が門を閉ざしたのは当然のことだ。争いに巻き込まれたらひとたまりもない。争いは確実に民の平和な暮らしを脅かすのだ。
どこの世界にもそういう物騒な話があるもんなんだな。とは言え、俺も平和な国で暮らしていた。周辺国が門を閉ざす理由は嫌と言うほどわかった。
「……これ以上、蛮族の話をするのは体に障ります」ダンが生真面目に言う。「私は外にいます。何かあればお呼びください」
一礼してダンは部屋をあとにする。捕らえられた蛮族たちの話も聞きたかったのだが、確かにこんなきな臭い話を続ければ気分が悪くなる。目覚めたばかりの俺には、確かに刺激の強い話だった。




