21.誰か助けて
――助けて……!
不意に聞こえた声に顔を上げる。
ここは……どこだ……?
上も下も、右も左もわからない、ただ暗闇だけが広がる空間。遠くのほうから水滴が落ちるような音がする。まるで洞窟の中にいるような、肌にひんやりとした空気が触れる。
――助けて……誰か……!
懇願するような声が響く。辺りを見回しても、誰もいない。
そのとき、強い力で足が引っ張られた。がくん、と体が崩れる。足元を見ると、何本もの黒い手が俺の脚を掴んでいた。
なんだ、これ……軽くホラーだぞ。こんなシーンがあったか?
腕は力強く、俺の体を闇に取り込もうとするように引き摺っていく。このままで溺れてしまう。咄嗟にそう思った。
そのとき、突如として目の前が真っ赤に染まった。俺を取り囲むように、激しい炎が立ち上がる。それと同時に辺りに響くのは叫ぶような子どもの泣き声。
――助けて! 誰か! 助けて!
炎の向こうに、蹲って泣きじゃくる子どもの背中が見えた。俺は思わず手を伸ばす。あの子を、助けなければ。あの子を……。
その手は虚しく空を掴み、俺の体は暗闇の中に引き摺り込まれた。
……――
やっと呼吸を取り戻すように、大きく息を呑んで目を覚ます。チェストの上で、ランプの明かりが揺れている。窓の外は真っ暗で、まだ夜が深いことを理解する。それと同時に、俺の頭の中に、はっきりとした映像が流れた。
立ち込める炎、響き渡る金属音、悲鳴……。これは争いだ。この国のどこかで争いが起き、人が死ぬ。いますぐ助けに行かなければ間に合わない。
「ナビ! これはどこの映像だ!」
【南端の村、リュクスです。神殿騎士団の招集を推奨】
俺は勢いよくベッドから降りた。言われなくても、神殿騎士団の力が必要だ。俺ひとりでは力不足。自分の能力を把握しきれているわけではないが、おそらく戦闘能力はほぼないと言っても間違ってはいないだろう。
そういえば鍵をかけていなかった、とどうでもいいことを考えながら部屋を飛び出すと、すぐそばに誰かの姿があった。夜間警護の騎士だろう。俺の焦燥に気付いた様子で振り向いたのは、団長のダン・オーウェンだった。団長が夜間警護をしているのか。
「司祭長様、どうなさいましたか」
俺は逡巡した。この生真面目な騎士は、記憶がない俺のことを信用するだろうか。
「……神殿騎士団団長」
俺は事の重大さを伝えるため、硬い口調で言う。俺の言葉を信用してもらうには、冷静さが必要だ。
「あなたは、いまの私をどれくらい信用しますか」
俺は真っ直ぐにダンの紺碧の瞳を見つめた。その内心は読めないが、少なくとも俺の言葉を流そうという雰囲気はない。
「……例え記憶がなくとも、司祭長様は司祭長様であらせられます」
ダンは静かにそう言うと、俺の足元に跪いた。
「我が主人を信用しないなどということがあるはずはありません」
よかった。俺のただ事でない空気は伝わったらしい。そこまでしなくてもよかったんだが……。とにかく、いまはそんなことを気にしている場合ではない。
「いますぐ神殿騎士団を編成し、南端のリュクスへ向かわせてください。争いが起きます」
「かしこまりました」
「それと、私を連れて行ってください。私の治癒魔法が必要になります」
治癒魔法は俺の能力のひとつだが、この世界において珍しい能力というわけではない。他の司祭たちにも治癒魔法を持つ者はいる。だが、俺の治癒魔法は一般の司祭の能力とは雲泥の差があるのだ。
「司祭長様自らお出にならずとも、治癒魔法を持つ司祭は他にも――」
「私でなければなりません」
司祭長フランの治癒魔法……それは、蘇生以外の再生を可能にするもの。命さえ残っていれば、どんな傷でも、どんな病でも治癒できる。だからこそ、フランは司祭長となったのだ。
「かしこまりました。騎士団を招集して参ります。そのあいだに身支度を」
俺は団長に頷いて部屋に戻った。いまはもちろん、寝間着姿だ。なぜかギュスターヴ公爵家で身に着けていた女性物のような寝間着だったので、それとは別にズボンを用意してもらった。この世界の男性物の寝間着がどんなものかはわからないが、いわゆるワンピースタイプなのだ。無駄に美しい脚を露出する形状だったので、さすがにひとりだとしてもこっ恥ずかしてマーヤにズボンを用意してもらうよう頼んだのだ。
そんなことはどうだっていい。例の妙に色っぽい司祭の服に着替えて出立しなければ。事は一刻を争うのだ。
しかしこの妙に色っぽい司祭の服はなかなかに着るのが難しい。焦っていると尚更だ。そうしてどうにか着替えると、荒々しいノックとともにマーヤが部屋に飛び込んで来た。
「司祭長様! 予知夢をご覧になったのですか?」
マーヤもすでに外に出る準備が整っているようだ。ダンから報せを受けたのだろう。
「予知夢……かどうかはわからない。でも、私にはわかるんだ」
争いが起きる。そして俺は……フランは、高い癒しの力を持ちながら、民を見殺しにするのだ。
司祭長フランは、そういう男……悪役神官だった。
マーヤの手を借りてしっかりと上着まで羽織って部屋を出る。この上着が役に立つのかはわからないが、少しでも防御力が上がったほうがいい。
「行きましょう。神殿騎士団は裏口に招集しています」
この真夜中でも、司祭長の言葉ひとつで精鋭たちはあっという間に臨戦態勢を取れるのだ。きっとその勢力は宮廷騎士隊にも引けを取らないのだろう。
「司祭長殿!」
裏口に向かう途中、クリスが駆け寄って来た。彼も軽装の鎧を身に着け、腰には剣を携えている。
「クリス殿も行くのですか」
「もちろんです。これでも公爵家の騎士団を率いていました。多少なりとも戦えます」
「ですが、きっと危険な戦場になります」
「司祭長殿が戦地に赴くのに、私だけぬくぬくと眠っているわけにはいかないですよ」
さすが攻略対象。顔が良い。俺が主人公だったら、俺側の好感度が上がっているところだったな。
いや、いまはそんなことを考えている暇はない!




