第1章 忘却【2】
「ふっ、フラっ……フラン様っ⁉ お目覚めになられたのですか⁉」
がたた、と音を立てながら聞こえた声に振り向くと、ドアに縋りつくメイド服の女性が、青い瞳をこれでもかと見開いていた。
確か、頭に着けているのはホワイトブリムというやつだ。それで、メイド服。いわゆる萌え萌えキュンなメイド服ではなく、クラシカルというタイプのメイド服だ。明るい茶色の髪を綺麗にまとめているところを見ると、ファンタジー小説に登場する「侍女」と呼ばれる職業の女性だろう。
「侍医を呼んで参ります!」
ばたばたと荒い足音とともに女性は飛び出して行く。俺が目覚めたのがそんなに一大事だと言うのだろうか。
それにしても「フラン様」と言ったか? この驚くほどの美形は「フラン」という名前らしい。
フラン……フランねえ……。駄目だ、まったく思い出せない。
どうしてだ? 自分が創った世界なのに。
「なあ、俺は何者なんだ?」
なんというイケボ!
自分の喉から発せられたということが信じられないほどのイケボだが、中性的な印象を受ける。この美形によく合った声だ。
【お答えすることはできません】
機械的な声はばっさり切る。そんな気はしていたが、親切さはないらしい。
「きみは誰だ?」
【あなたのために用意されたシステムです】
この機械的な声があのポップアップ広告と同じものなら、この声は「世界王があなたのために贈り物をご用意なさいました」と言っていた。世界王というものがどんなものなのかはわからないが、この声はきっと、世界王とやらが俺のために用意した案内人のようなものだろう。
よし。じゃあ、呼び方は「ナビ」だ。複雑な名前を付けると、後々自分が困るからな。
「フラン! 目が覚めたか!」
侍女の女性が開きっぱなしにしていたドアから、荒々しい声が聞こえた。遠慮なく部屋に踏み入れたのは、いかにも高位の貴族といった風貌の――つまりよく肥えた男だ。紺色のジャケットに金糸の刺繍、指にはいくつ着けるんだと突っ込みたくなるほど指輪を着けている。ふっくらとした金髪と同じ色の髭を生やしているが、貴族だとしても嫌なほうの部類の貴族だ。
俺の親父と同年代くらいだと思われる男は、何やら嫌な予感を覚えさせる笑みを浮かべて俺の肩に手を置く。
「そんなところに突っ立って。体に障るぞ」
男は俺をベッドに座るよう促す。もちろんだが、この男にも見覚えはない。
うん、そうだ。いっそのこと訊いてしまおう。それが手っ取り早い。
「あの……あなたは誰ですか?」
俺がそう問いかけた途端、男の顔が凍り付く。鷲鼻がひくひくと震えている。
「まさか、お前っ……記憶が……⁉」
フランと呼ばれた現在の俺がどんな状況だったかはわからないが、少なくとも眠る前は記憶を持っていたらしい。これほどまでに驚かれるとは。
「失礼いたします」
ゆったりとした声とともに、ゆったりとした動作で白衣の老人が先ほどの侍女に付き添われて入室する。腰は曲がっているが、綺麗にまとまった白髪と長い髭、垂れた目尻が穏やかさを演出している。どうやら彼が「侍医」らしい。侍医は杖をつきながら貴族の男に歩み寄る。貴族の男は、老体になんということを、と怒鳴りたくなるほどの勢いで侍医の肩に掴みかかった。
「クォルツ、一大事だ! フランが記憶を失ってしまった!」
「おやおや、それはそれは……。では、ゆっくり診察しましょう。旦那様、他の誰も近付けぬようにしてください」
頼んだぞ、とか細い声で言いながら、貴族の男はふらふらと部屋をあとにする。侍女も老医師のために椅子を用意したあと退散して行った。残された俺は、さてどうしたものか、と首を捻ることしかできなかった。




