13.司祭長の寵児
荒々しい足音が徐々に遠ざかっていくのを聞きながら、クリスは重々しい溜め息をつく。クリスが敵対する相手でなかったことは、俺にとって幸運だったと言わざるを得ない。
ところで、俺には気になることがある。
「司祭長の寵児とはなんですか?」
「司祭長殿と契約した者のことです。契約すれば、すべてが司祭長殿の支配下に置かれ、能力を伸ばすことができるのです」
そういう契約か、と俺は納得していた。いわゆる「従属契約」というものだ。契約主の魔力を分け与えて、従属の能力値を上げる。先ほど、ちょうど俺の能力値を見た。この能力値を見たが、確かにこれだけの能力があれば、従属の能力値も相当に上げることができるだろう。
「しかし、公爵はクリス殿を第二王子の婚姻相手にしようとしているのでしょう?」
「父が勝手にそう思っているだけです。司祭長殿と契約して第二王子の婚姻相手として選ばれれば、王宮と教団、ふたつの後ろ盾を得ることになりますから」
なるほどな。ギュスターヴ公爵家が王宮と教団の後ろ盾を得れば、筆頭公爵家にも劣らないほどの勢力を持つことができる。ギュスターヴ公爵はそのために俺を誘拐して、なんとしてもクリスと契約を結ばせようとしているのだ。
「私は、契約というものがなんなのか覚えていません。いまのうちに結んでしまっては?」
俺は挑発するように言う。契約がなんなのかも覚えていないし、どうやって結ぶのかもわからない。クリスがその気になれば、無理やり契約することもできるのではないだろうか。クリスと俺の能力差がどれほどのものかわからないし、それが可能なのかもわからない。だからこそ、挑発的な態度を取ることができるのだ。
クリスは怪訝な表情で俺を見たあと、また大きな溜め息を落とした。
「ご自分の影響力というものを理解したほうがいい。その発言は無責任です」
確かに、誰もが契約を狙う司祭長は、相当の影響力を持っているだろう。だが、俺はそれすらも覚えていないのだ。
「では、クリス殿は私をどうするおつもりですか? このままにはしておかないのでしょう?」
クリスは何も答えない。答えられないのだ。父親を裏切ることはできないし、かと言って俺と契約を結ぶわけにもいかない。それでいて俺を追い出すなんてことはもってのほか。まさに板挟みの状態だ。
「マーヤ、司祭長殿を頼むよ」
「はい」
クリスは苦々しい表情のまま部屋をあとにする。不憫という言葉は言い過ぎかもしれないが、ギュスターヴ公爵を父親に持ってしまった苦労は昨日今日だけでも窺える。
「クリス殿は苦しい立場にいるね。私をこのままにはできないし、父親を裏切ることもできない」
「亡くなった先代様だったら、こんな強硬手段には出なかったでしょう」
つくづくと言うマーヤに、俺は首を傾げて続きを促した。マーヤも渋い表情をしている。
「旦那様は早くに奥様を亡くされ、お子はクリス様だけです。有する魔力も、ナタウェル公爵家には遠く及びません。ですが、先代様だったら、司祭長様を誘拐するなんてことはしなかったはずです」
ギュスターヴ公爵は何か焦りのような、もしかしたら、家の存続について何かしらの脅迫観念のようなあるのかもしれない。それにしたって司祭長を誘拐するなんて幼稚な手段であるとしか言いようがない。
「私が司祭長の座に就いてどれくらい経つ?」
「二年ほどになります」
フランはおそらく二十代。勢力の弱い公爵家が契約者の座を欲するほどの力と影響力を持つにしては若いように思える。先代の司祭長は、止むに止まれぬ理由があって司祭長の座から降りたのだろう。
「そのあいだ、私と契約した人間は?」
「いまのところはいません。申し込みは山のようにあるでしょうが、フラン様はすべて拒んでいらっしゃいました」
だからいまが好機、ということか。それにしたって、誘拐したところで契約者の座は得られないだろ。クリスの言うことが本当なら、フランを取り戻すため、クリスの首は簡単に飛ぶことになる。いや、クリスひとりの首で済めば良いほう、とも考えられる。
「フラン様は自由なお方です。契約に縛られたくなかったのでしょう」
俺としても、フランが誰とも契約していないことは助かった。誰かと契約していては、すでに人生が決められたようなものだ。そんな自由のない第二の人生なんて、まっぴら御免だ。




