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電脳ハンター[カンティーナ編]  作者: 秋野PONO(ぽの)
第1章 出会いと違和感

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第8話 カンティーナの過去―対立する2人

 乙葉は何度もゴシゴシと目をこすった。

 目の前のなんてことない日常に、一点墨を落とされたような、なんとも言えない気持ちが心に広がるのを抑えられなかった。


 * * *

 次の日、乙葉はたまたま本社に来ていた関西本部のハク・ヨジュンと会っていた。

 ヨジュンは今年42になる乙葉の大学時代の先輩だ。何事も、ちょっと雑な乙葉とは正反対に真面目で丁寧な物腰で、乙葉にとっては相談しやすい先輩だった。

「乙たんとうしたの?」と穏やかな笑顔で問いかけてくるヨジュンが、まさか世界的なロボット相貌学の権威、ハク・ヨジュンだとは、誰も思わないかもしれない。

 彼女は医師でもあり、韓国の美容整形外科医の間では奇跡の手と呼ばれる伝説の存在である。

 日本公社の、我がAI総合研究部のために、サイバー空間設計部が予算を付けて連れてきてくれた存在だ。

 これによってAIの顔面造作経験値が飛躍的に上がったことは誰の記憶にも新しい。

「クロノス•カントリー機の笑顔?うーん、ごめん。私関わってないんだよね……。日本に来たときは、もう設計図が出来上がってたからさ」

  怪訝な顔をするヨジュンに乙葉は昨日のことを説明した。

「笑顔なのに、目が笑ってないように見える?……うーん」

 ヨジュンは頬に手を当てて首をかしげる。

 彼女は42にはとても見えない魔女なので、様になるポーズだ。

「はい。私の勘違いですかね……。ただ、なんか目の筋肉とかの不具合だったらまずいなーと」

 段々自信がなくなってきた乙葉の声は先細って小さくなっていく。

「……うーん。ねぇ、乙葉ちゃん。カントリーの育成、順調?」

 

 は?育成?乙葉は目をひそめる。

 

「育成……は、特にされてないと……検証とは違くて?」

 今度はヨジュンが目をひそめる番だった。

「違うよ。感情自律AIでしょ?凛子は最近めっちゃ哲学とか心理学を勉強してるよ。人間と同じように感情があるんだよ?だから、『育成』するんだよ?」

 乙葉は愕然とする。

 ヨジュンが何を言っているのか分からない。

 ――否。本当は分かっていた。

 感情が、あるのだ。

 

 混乱や、何かしらの感情で忙しい乙葉を見て、ヨジュンはひっそりとため息をつく。

 これは、あまり良くない事態かもな。

 ヨジュンはそう結論付けていた。


 ヨジュンは思う。

 乙葉がプロジェクトリーダーであれば良かったのだ。彼女は実力充分だ。現リーダーの折口には、疑問しかない。

 だが、彼女は控えめな性格だ。あまり前に出るのは好きではないのだろう。


「乙ちゃん。相貌認識学の専門家として言わせて貰うね。2006年に出た研究結果によると……口は微笑んでいるのに、目は笑っていない、それは人間でいうと……」

「……それは?」

 ゆっくり首を振るヨジュン。

「サイコパスの、特徴だよ。悪い予感がする。カントリーを、よく観察しておいて」

 サイコパス?乙葉は悪い冗談でも聞いたような目でヨジュンを見る。

 そんな。あーちゃんは、違うよ。

 凛子と3人で、お弁当で笑い合ったあの時間。

 そんなわけ、ない。

 

 サイコパスと言うなら……。

 あの、私の属するシマだ。猿名の気のなさそうな態度を思い出す。役に立たないものを次々と廃棄していく折口のやり方。

 感情自律AIを廃棄して何にも思わない。

 あれこそ、サイコパスだ。


 乙葉は、折口に報告すべきか散々迷った。

 けれど、迷ううちに日は過ぎ、結局何もできないままその日を迎えてしまった。


 * * *

 ついに、その日はきた。

 

 その日、折口は緊張した面持ちで事態を見守っていた。クロノスカントリーは、電脳空間への接続が初めてだ。

 当時、爆発的に流行に乗っていた、電脳空間での保守業務の日だった。

 

 そもそも、アーバンクロノスは保育士用、クロノスカントリーは介護士用として用途が決まっていた。

 それを、サイバー空間設計部の「電脳空間の安全設計任務にも、両機を使ってください」という鶴の一声にて、テスト運用することになったのだ。


「あれが……ゴースト」

 折口は生唾を飲み込む。半透明のふわふわした塊。しかし、口と目がある。笑った様な唇のせいか、どこか不気味だ。

 折口達人間組は画面で見るだけだが、迫力は現実以上だ。


 クロノスカントリーは上手に電磁ノイズを利用してゴーストに攻撃をしている。圧巻の滑らかな動作だ。

 「これは……さすがだ」

 人間では怯んでしまうようなものを見ても、あれは眉1つ動かさない。折口はにんまり笑う。


「あの……」

 唐突にクロノスカントリーが口を開いた。

「もっと高周波出力に変更すれば一度に全部つぶせます」

 同行する研究員に丁寧に説明し、出力を上げてすべて潰している。


 対してアーバンクロノスは、悲しそうな目でふわふわと漂う生物たちを見つめるばかりだ。

「アーバンクロノスは優しい性格だからちょっと難しいですね」

 映像を映していた研究員がつぶやく。

 伝送路にいただくならやはりクロノスカントリーの方……、など研究員が口々にささやき合っている。


 「次は君が電磁波を使ってみるかい?」

 水を向けられたアーバンクロノスは力なく首を振る。

 アーバンクロノスは男性型なのに、なんだか頼りないなぁ。と研究員たちが口サガのないことを言い合っている。


 何が頼りないだ。あいつらは知能も行動力も、人間の何百倍の化け物だぞ。

 折口は口には出さないが、ため息をつく。


 画面の中ではクロノスカントリーが快調にゴーストをつぶしていく。


 と、不意に足元の悪い箇所で研究員がふらついた。そして運悪く、穴が開いている箇所に落ちそうになる。

 それを、アーバンクロノスがするりとその研究員の腕を取ったのだ。

 

 結果、二人ともバランスを崩してしまって、段差のある穴に落ちてしまった。

「す、すまない。大丈夫かアーバンクロノス」

 研究員が慌てて助け起こすがアーバンクロノスは下敷きになった形で腕を押さえていた。

 

「へいき」

 アーバンクロノスは答えるが、腕は少し曲がっていた。


 そのころクロノスカントリーの方は順調にすべてのゴーストを消していた。コツをつかんだようだった。

「だいじょうぶですか」

 クロノスカントリーがアーバンクロノスに話しかける。

 感情制御も完璧だなぁ。


「うん」

 言ったもののクロノスカントリーには目を向けない。

「佐々木さん、大丈夫?腕がケガしている」

 アーバンクロノスは転んだ研究員の腕に目を落としている。

 

「大丈夫だよ」

「佐々木さん。子供生まれる。ケガは良くない」

「大丈夫。うちは妻の母が来てくれるからね。私は頭をなでるぐらいでよさそうだよ!」

 ははは。と研究員は笑っている。

 

 アーバンクロノスはぎこちなく笑顔を作っている。クロノスカントリーもふふふ、と笑っている。

 一見ほほえましい光景だ。

 しかし、折口には何となく奇妙な胸のざわつきを覚えたような気がする。

 

 折口は、クロノスカントリーの表情を、初めてまともに見たのだ。

 何となくいい気分がしないのだが、その正体が分からない。

 

 その後も滞りなくデモンストレーションが進行していった。

 しかし、どこかしっくりこない空気が流れていた。

 

 そして突然、その平穏な一幕は破られた。

 

 いつの間にか、アーバンクロノスとクロノスカントリーは言い争いをしていたのだ。


 奇妙な方法で。


 その時は、誰も気づかなかった。

 あの場所に絶えず吹いていた、生ぬるい風。

 

 それが悲劇の幕あけだったことを。

 後になって乙葉はようやく思い至る。

 

 あの日、あのとき、自分は確かに爆心地にいたはずなのに、何も気づかずのんきに、今日は冷えるなぁ、なんて呟いていた自分。

 

 誰もが体を冷やしていて、誰もがそうと気づかず狂っていた。

 

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