第9話 カンティーナの過去―壊れていく
それを会話と言えるのか。
アーバンクロノスとクロノスカントリーの「会話」は、そばにいた人間には聞き取れなかった。
人間には、「ピーピー」という電子音と、「ヴヴ」という低いノイズが聞こえただけだったから。
その音声が、会話ではないか?とすぐさま解析にかけた研究員もいた。
しかし、仕組みは、人間には分からなかった。
唯一分かったのは、既存の通信方式でない未知のプロトコルであるという点だけだ。
UDPに似たデータグラム構造を持ちながら、明確なセキュリティ層が存在する不思議なプロトコルだ。
勘の良い研究員は、少なくとも、既存の4つ以上のプロトコルの特徴を兼ね備えた革新的な方式であることに気づいたが、内容までは分からない。
そうこうしているうちに、クロノスカントリーの罵倒声、そしてアーバンクロノスが後ろに吹っ飛んだ音が響く。電磁波がアーバンクロノスの右半身を焼いていた。
結局、そのままクロノスカントリーとアーバンクロノスは引き離され、デモンストレーションは中止された。
両機は現実空間で監視対象となった。
* * *
その日以来、乙葉はあーちゃんを見ていなかった。
隔離されているのかと思い折口に話を聞くがそうでもないようだ。
「どこにやったんですか?!」
「知らん。そんなに気になるなら総括に自分で聞いてみればいいだろう」
アーバンクロノスとクロノスカントリー両プロジェクトの総括の取手博人に聞いてみると、「特に、自由にさせている」という答えが返ってくる。
「そんな!アーバンクロノスはカウンセリングに入ってますよ?!クロノスカントリーもケアすべきです」
統括の取手は困ったように首を振るばかりだ。
「そんなに声を荒げなくとも。最低限のケアはしているよ。しかし、我々にはまだノウハウがない。アーバンクロノス側もそちら側も手探りだろう」
「アーバンクロノス側と協力してノウハウ蓄積すべきです!」
「……とは言えなぁ。折口くんにも面子というものがあるだろう」
乙葉はあっけにとられて取手の顔を凝視した。
面子?とつぶやくと、取手は苦り切った顔で頷く。
「何の話をしているんですか。これは開発競争とかじゃなくて、一個の人格の育成の話なんですよ?」
乙葉は訴えるが取手は怪訝そうな顔をしている。
――ダメだ。話が通じない。
もともと、自分たちのプロジェクトは「開発」をしている。しかしアーバンクロノス側はまるで人間を扱うように「育成」をしている。
どちらが正しいかも乙葉にはわかってはいない。
しかし……。
その日から数日後、オフィスから研究棟へ移動する最中に、やっとあーちゃんを見つけた乙葉は近寄ろうとして足を止めた。
通りの向こうにある研究室の窓を、あーちゃんが見つめている。
心底楽しそうな笑みを浮かべて窓に手を当てて窓の奥を覗き込んでいる。
後から知ったが、そこは廃棄されたAI達の置き場だった。
どうして彼女はあそこを見ていたのだろう。あの楽しそうな笑みはなんだったのだろう。
考えてしまうと恐ろしい深淵を覗きそうで、どうしても脳が拒否してしまう。
その後、乙葉はカンティーナの廃棄が決定されたことを知る。
「待ってください……それは、何を言ってるんですか」
曰く、『人間への加害性がある』と。
「研究所としては、アーバンクロノスのみを、春以降の新リリースとして推すことになった」
折口が苦々しい顔で言う。
「それは……いいと思います。方針としては。でも、廃棄は待ってください。確かに生命ではないかもしれない。でも、感情自律AIは……、限りなく生命に近い何かになろうとしている」
そう抗議する乙葉の顔を見ない折口は、窓のサッシの埃を丁寧にふき取りながら、言い放った。
「生命。ばかばかしい。分かっていることは、我々は競争に負けた。それだけだよ」
――さて、このオフィスもなるべく早く整理して引き払うぞ。プロジェクトは解散だ。新しいプロジェクトは山ほどあるんだ、今度こそ目が出るプロジェクトに移籍したいものだ。
さっさと荷物を片付ける折口に、乙葉は違和感を通し越して呆れすら覚えた。
こいつは、何も見ていなかったんだ。
仕事をするあーちゃんも、彼女のいつも熱のこもってない瞳も、時折、よく分からないタイミングでほほ笑む、その理由も。
乙葉は、何度も何度も関係者に接触し、廃棄を思いとどまるように訴えた。
しかし、返ってきた答えはどれも同じだった。
もう決まったことだから。
あきらめきれずに統括や、所長にも抗議したが、全てむなしく終わっただけだった。
自分にもっと力があれば違ったのだろうか。
そう思ってみても後の祭りだ。
サイは投げられ、祭りは終わったのだ。
廃棄当日は体調不良を理由に出勤をやめた。
しかし、会社には来ていた。
廃棄予定の設計図を盗んだのは、やるせない気持ちに決着をつけるためだけの、自己満足な行為だ。
全てが終わったあと、あーちゃんの私物を片付けていた乙葉は、あのときのバランを見つけた。
彼女の私物はごく少なかった。ロッカーを開いても仕事の書類ばかりだった。
その中で、薄汚れたティッシュに包まれたその物体だけは、異彩を放っていた。
まるで乙葉を、否、すべてを拒むようにロッカーの奥の奥にしまい込まれていた。
……ずっと、持ってたんだね。




