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電脳ハンター 伝送路に愛は残るか  作者: 秋野PONO(ぽの)
終章 ずっと一緒にいたい

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第54話 エイコとベラケレスの選択 一番怖い想像

 ヒロユキの運転する車の中で、エイコは運転席に背を向けて窓の外を見ている。彼女は車に乗った瞬間から、革の背もたれの端に顔を寄せたきり、ピクリとも動かない。

 綺麗に片付いた車内には、ヒロユキの配慮で森の香りが漂っている。

 しかし助手席で強張った顔をしているエイコには一切届いていない。

 大丈夫かな、とヒロユキが思い始めた頃、エイコの口が開いた。

「もう少し……早くなんないの」

「……いや、もう120キロ出てますって」

 ヒロユキは肩をすくめて計器を見た。

 アクセルを踏み込むと車は前方の車を追い越し、耳の痛くなるような残響を残しながら景色を振り切ってスピードを上げていく。

 スピードメーターは125キロを超えたところで白旗を揚げたように針が左右に揺れて、窓枠は微かな悲鳴に似た音を立てている。


 それでもエイコの強張った顔は緩まない。

 一瞬だけ助手席を見たヒロユキが、無言でペットボトルの水を差し出す。

「なんか飲んだ方がいいっすよ。顔が、青いを通り越して、白い」

 エイコは気の無い返事をしてペットボトルを受け取る。


「何、考えてるのかしら」

 怒りのような震えを伴った声が喉から絞り出される。

 彼は人間になりたいのだろうか。ずっとそんなことが頭をぐるぐるする。

 考えても分かるはずない。自分が何なのかも一向に分からないのに、彼のことなどわかるはずもない。

 エイコは手を窓にかざす。日はまだ高い。こうやって手を太陽にすかすと血潮が見える。

 

 窓の外の景色。眺めているうちに、だんだん目が痛くなってくる。景色が1枚の絵のように平べったく、現実味がなくなっていく。感情が高ぶると、現実から引いて物事を見ようとする。これは彼女の癖だった。

 強く拳で頭を叩いて必死に現実に戻ろうとする。

 

「音楽、かけます?」というヒロユキに首を振り、エイコは握り込んでいた手をほどいてその手で足を撫でた。

 知らず知らず力が入っていたのか、膝が意思に反して震えている。

 ダッシュボードに挟まれた資料を片手で取り出す。さっきから見てはしまい、しまってはまた取り出している。

 コア脳移植手術について、と書かれている。

 人工子宮で育てたボディに、AIの脳に当たるコアだけを移植して再接続。起動後に顔や体を全身整形で移植前に近づける施術だ。

「これ、やつが……失礼。ベラケレスさんがやろうとしてるやつっすか」と横からヒロユキの声がかかる。

「うん……」と頷いて「あほだよね」とため息をつく。

 そのままチラシをくしゃくしゃと丸め、呆れたように一言「意味がわからん」と呟いた。声がうわずって、一言一言が、やっと吐き出したという様子だった。

 ヒロユキは前方を向いたまま、首を振る。

「いや、俺は……分かるっちゃ分かりますけど」

 エイコが少しだけ目をみはった。

「だって……同じなら、もっとずっと守ってやれるし、離れていかないし。同じになりたい、と思う気持ちは分かる」

「はあ。あんた何言ってんの。せっかくあんなに合理的で美しい生命体がどうしてわざわざゴミになろうとすんの」

「ごみ……」

 そうよ、と頷いてエイコは頭を振る。自分の出した言葉の強さに自分で震えた。

 しばらくして「そうよ」ともう一度つぶやいた。弱々しいつぶやきだった。

「もしかして私のせいなんじゃない」

「はあ」

 ――得難い美しい宝石が汚れてゴミになること。

 その言葉は、口に出すと震えるほど怖かった。

「私が、宝石をゴミに変えた?」


 病院までの道がやけに長い。

 

「宝石……。いや……」

 ヒロユキは口ごもった。言いづらそうに、少し笑った。

「宝石って言ったらエイコさんの方が一億万倍くらい宝石っす」

 ヒロユキは「それはもうマジで……」と付け加えて少し黙ったあと、迷いを振り落とすように一度首を振った。

「エイコさんは自分を雑に扱いすぎでは。あとベラケレスのこと美化しすぎってか。あいつ結構……泥臭いっすよ」

「どろくさい」

「うん。泥の下にいるウナギぐらい泥臭い。澄ました顔で必死だもん」

 エイコは「……そう?」と細い声で言った。

 けれど口調は弱い。

「それでも、私には綺麗に見える。自分もああだったらなぁと、思う」

「ああ」

「?」

「やっぱり同じじゃん」とヒロユキが苦笑した。

 そう言ったヒロユキはエイコを見ず、もう前だけを見ていた。

 ヒロユキはそれ以上何も言わない。耳に残る微かなモーター音だけが、先ほどの言葉の証明のようで頼りない。

 

 窓の外では空がオレンジに変わっていく。

 ふと、エイコは研究所でのやりとりを思い出した。

 研究所に残った師匠は、今、病院に鬼のように電話をかけまくってくれている。全ての痕跡をひっくり返して洗いざらい調査して、ベラケレスの行方を追って突き止めてくれたのが彼女だった。

 その凛子に「任せたよ」と言われた。賭けだ。任せられる自信なんて無い。

 

 怒りはある。どうしてそんなことを、と引っ叩いてしまうかもしれない。


 自分のために無理や無茶をしないでほしいのだ。

 でもそれが正解か。

 

 答えが出ない。

 

 しばらくして、車線をまたがってふらつく対向車を避けて、ヒロユキが息を飲む。そのヒロユキがふと口を開いた。

「ねぇ、エイコさんにとって、一番怖い想像って何?」


 頭に浮かぶ。手術には「成功率」という言葉がある。

 それは、ずっと脳が思考を拒否している言葉。

 怖い、その言葉は心を刺す劇薬のトリガーだ。

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